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冬至節

 

 

  旧暦1122日(今年は1222日)は、冬至節だ。「冬至は新年(春節)のごとく大切である」といわれ、かつて、皇帝は天壇で天を祭り、庶民は神や祖先を祭った後、一家団欒して宴を楽しみ、冬を祝った。「亜年」とも称される。

 

天を祭る儀式

 

天壇の圜丘壇



 冬至は24節気の1つで、古代中国の暦の作成において、最も早くに確立された節気である。この日は、太陽が南回帰線上にあるため、北半球では昼が最も短く、夜が最も長い。冬至を過ぎると、昼は次第に長くなる。そこで、3000年以上前の周代(紀元前1046~同256年)の暦法では、この日を1年の始まりとした。

 

漢代(紀元前206~紀元220年)で暦法が改正され、正月1日を新年とするようになったが、周代から受け継がれていた千年来の歴史あるならわしは、国家の政令が変革されても断絶されることはなく、その後2000年以上、歴代皇帝は冬至に祭天――天を祭る盛大な儀式を行った。

 

北京の南にある天壇は、面積272万平方メートルの大きな御苑である。ここの圜丘壇、祈年殿などの古い建築は、明・清代の皇帝が天を祭った場所である。

 

祭天はきわめて荘厳な儀式なので、冬至の前日、皇帝は天壇の南にある「斎宮」で斎戒を行い、敬虔で神聖かつ純潔な気持ちを示す。そして冬至の早朝、灯籠に照らされた石畳の小道に沿って、さまざまな供え物をいっぱいに並べた圜丘壇に登り、道士が演奏する古典音楽のなか、天の神と先帝の位牌を敬虔に祭り、天候の順調や豊作、国泰民安を祈った。

 

冬至の祭天のならわしは、唐代に日本の宮廷へと伝わった。『続日本記』によると、奈良時代の神亀2年(725115日、聖武天皇は大安殿で文官と武官の朝賀を受け、宴席を設けた。延暦4年(785)の冬至、桓武天皇は河内国交野郡で天の神と先帝を祭った。

 

辛亥革命(1911年)によって清朝政府は倒され、皇帝が冬至に祭天することは、歴史上の出来事となった。しかし、民間では今に至るまで、祭天のならわしが残っている。

 

広東省や福建省、江西省などに散在する客家は、16001700年ほど前、中原の戦乱を避けるために南方へ移住した漢族である。客家には今でも、冬至に天の神を祭るならわしが残っている。各家は門の外にテーブルを設けて、「冬至円」と呼ばれる団子や各種のお供えを並べ、香を焚いてろうそくを点す。こうして敬虔に天の神を祭り、長寿や豊作、家族の幸せを祈るのだ。

 

北方の満州族の家庭では、庭に祖先を象徴する高い木竿を立て、その頂にひょうたん状の「ディアオ斗」(古代行軍用の道具で鍋として炊事などに用いた)を設置する。冬至の夜には、庭にむしろを敷いてお供えを並べ、天地の神や祖先の木竿に向かってひざまずき、天の神と祖先の加護を祈る。祭祀が済むと、水炊きした豚肉を一家で分け合って食べる。これは「吃白肉」と呼ばれている。

 

 雲南省に住むナシ族には、今でも盛大な祭天の儀式が残っている。彼らは木を立て、米や家畜を供えて祭祀する。ヨモギで穢れを取り除き、火を焚いて天の神や祖先を祭る。この祭天の文化は、古い書籍に記載されている周代の祭天の行事とまったく同じである。

 

冬至は新年のごとし

 

陝西省渭南市の民間に伝わる「麺花」(小麦粉で作ったお菓子)、当地ではコン飩とも呼ばれる。上にはやはり小麦粉で作った花や鳥をたくさん挿し、「万物は混沌から生まれる」ことを象徴している


漢代に暦法を改正した後、冬至は1年の始まりではなくなった。しかし、民間ではこの旧俗を受け継ぎ、「亜年」と称して、「冬至を越すと年を1つとる」と言われている。そして、年越しのならわしどおりに、冬至を祝う。祖先や神を祭り、一家団欒して宴を楽しみ、親戚や友人とともに節日を祝うのだ。

 

麦を栽培している北方では、ギョーザは、「ギョーザほどうまいものはない」と言われるぐらい最高の食べ物だ。冬至も春節(旧正月)と同じように各家でギョーザを包む。「冬至はギョーザ、夏至は麺」とも言われている。

 

江蘇省や浙江省の民間では、「冬至は新年のごとし」と言われ、少なくとも2日間は祝う。

 

冬至の前夜は「冬至の夕べ」と呼ばれ、大晦日のように、各家では盛大な宴席を設け、砂糖を加えた「冬至の酒」を飲む。テーブルには鶏や豚、アヒル、魚などの御馳走を並べ、「冬至の肉」「冬至の魚」などと呼ばれている。醤油で煮た「冬至の肉」を食べると、体が強くなり健康になると言われている。

 

「冬至の魚」は象徴として並べるだけで、食べはしない。もし食べたとしても、魚の頭と尾は残して米びつに入れる。こうすることで、「余」と「魚」は発音が同じことから、年頭から年末まで、米にゆとりがあることを願う。これは「吃剰有余」(食べるのに余裕がある)とも言われ、大晦日に魚を食べるならわしとまったく同じである。

 

冬至の早朝には、もち米の粉で団子を作り、形もまるい「冬至円」に一家団らん、万事円満の願いを込める。そして、節日の食べ物を載せた「冬至の盆」を持って、親戚や友人の家へ出かけ、冬を祝う。

 

福建省や台湾省の各家では、冬至の前夜に食事をした後、円になって座って「冬至円」を作る。このとき大人は、団子を作りながら「丸めて丸めて、まーるく丸めて。毎年どんどん大きくなるよ。大人は福と長寿を手に入れ、子供は歌を歌う」と、子どもに民謡を歌ってあげる。

 「冬至円」は紅白の2色だけではなく、牛や羊、桃、ミカンなどの形にして、赤や緑の色で染めることもある。見た目を美しくする一方、6畜(豚、牛、羊、馬、鶏、犬)の繁殖や各種果実の豊作を願う意味もあるのだ。

 

 広東省の客家も「冬至円」を作る。「冬至に団子を作れば、夏至には田んぼが買える」と言われており、彼らは、「冬至円」は家に富をもたらすと考えている。またこの日、羊肉を買って(羊肉が手に入らなかったら、雄鶏をしめる)それをぶつ切りにし、生姜と一緒に柔らかく煮込む。そこに適量の棗、赤砂糖、黄酒(もち米・栗などで醸造した酒。代表的なものに紹興酒がある)を加えて出来上がった「姜棗羊肉」は、体を温め滋養の効果がある。特に年寄りは、これを食べれば冬中暖かく丈夫に過ごすことができ、病にかかる心配はないと言われている。

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