特集トップ  >

 今年1月から猛威を振るい始めた新型コロナウイルス感染症は、春節(旧正月)を控えた全ての中国人の年越しを完全に一変させた。ウイルスの感染経路を一刻も早く断ち切るとともに拡散を防ぐため、旧正月2日前の1月23日に武漢は封鎖された。中国各地の人々も、故郷で一家勢ぞろいで年越しを迎える「大移動」式から、各自家で過ごす年越しへと様式を変え、感染拡大の予防抑制は中国人全員の最重要課題となった。

 封鎖2日目の大みそか、上海や広東、そして軍隊から派遣された多くの医療チームが増援としていち早く集結し武漢に向かった。その後、全国の各省直轄市自治区から医療チームが、湖北省で感染拡大が特に深刻な地域へ次々と駆け付けた。当初は発熱外来に長蛇の列ができ、感染症と診断された患者の多くが入院できなかったが、2月上旬から仮設病院の建設が始まり、「一人も漏らさず収容し、一人も漏らさず治療する」措置が取られ、3月中下旬になると武漢の感染拡大は基本的に抑制された。

 その2カ月間は筆舌に尽くし難い日々であり、中国ではどこも厳格な予防抑制措置が取られ、武漢市と湖北省の状況に皆が釘付けになった。この武漢湖北を守る闘いに勝利するために、全国各地が支援し、約1000万人の武漢市民もこの空前の闘いに身を投じた。ここでは武漢の患者、武漢に駆け付けた医師、武漢で在宅待機をしていた市民の3人にまつわるエピソードを紹介し、感染拡大の中で彼らがどのように過ごしたのかを見てみる。

一家団らん願った入院生活

 向立山さんにとって、今年の春節はまさに夢の中にいるようだった。一家3人が突然新型コロナウイルスに感染し、さまざまな苦しみを乗り越えて1カ月半後に奇跡的に治癒し、再び家族団らんの日を迎えることができたのだから。

 新型コロナウイルスが人から人へ感染することが分かってから、向さんと妻は外出を極力控え、2人の子どもの家族と年越し料理を食べるのも止めた。マンションの外にごみを捨てに行く時でも、夜を選んで誰もいないエレベーターに乗った。しかし1月29日から、向さんと妻、そして娘に相次いで発熱とせきの症状が出始めた。

 こんなに気を付けている自分たちがウイルスに感染する可能性は低い、と向さんは思ったが、同月20日夜に近所の病院で薬を処方してもらったことを思い出し、また不安になった。日がたつごとに3人の症状は重くなったが、病気でもないのに病院に診察に行ってウイルスを持ち帰ってしまったらと考えると、家の中で耐えるしかなかった…

全文 >
U020200527582551256244.jpg

 

家族説得し増援に駆け付け

 武漢で感染が拡大し、全国各地から派遣された340以上の医療チームに所属する4万2600人余りの医療従事者は武漢市と湖北省の他の都市に駆け付けた。危険を顧みず敢えて赴いた医療従事者たちは、白衣の戦士や最も美しい逆走者とたたえられた。医師の馬楠さんもその一人だ。

 本来決まっていた馬さんの春節時の勤務表は、旧正月当日と翌日に出勤し、それから4日間休みというものだった。そこで、家族で雪景色のハルビン(哈爾濱)を旅行する計画を立てていた。しかし感染拡大が進むにつれ、馬さんが所属する大連市第四人民病院が全医療従事者に待機命令を出したので、すでに予約済みの高速鉄道のチケットやホテルも全てキャンセルした。

 大連の医療チームの第1陣が武漢に向かったのは1月25日。馬さんも武漢で生命の危機にひんしている患者を助けに行き…

全文 >

 

封鎖支えた近隣の助け合い

 武漢大学で日本語教師を務める夏晶さんは、封鎖中の武漢にいた。彼女たちは何を経験し、またその辛く苦しい日々をいかにして乗り越えたのだろうか。

 夏さんの家には夏さんの両親と息子の3世代が同居し、夫の両親は市内の別の小区(居住区)で暮らしている。広東省で働いている夫は有給休暇を取って春節連休前の1月19日に武漢に帰ってきたが、それから3カ月余りも滞在することになるとは誰も予想していなかった。

 1月24日の大みそかから一家5人の徹底した在宅生活が始まった…

全文 >

 

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850