People's China
現在位置: 2010年 上海万博インタビュー

万博がもたらした驚くべき人々の意識変化

 ――『万博百聞』プロデューサー・呉四海さんに聞く

 

岡田紘幸ほか=聞き手 masato=写真

呉四海(ウー・スーハイ)
『中日之橋』『万博百聞』プロデューサー1962年、上海生まれ。復旦大学日本語学部卒業後、84年に上海テレビに入社。その後、研修のため日本へ。読売テレビで研修の傍ら、関西学院大学社会学部社会学博士課程前期を修了。96年上海に戻り『中日之橋』の放送をスタートさせる。03年、イギリス留学のため休職。04年に『中日之橋』再開。本年5月、上海万博の開催に合わせて新しいニュース番組『万博百聞』がスタート。中国のテレビ番組ベスト司会者賞「金話筒賞(ベストマイク賞)」の銅賞など多数の受賞歴を持つ。
上海在住の日本人なら、一度はその姿を目にしたことがあるのではないだろうか。日本語情報テレビ番組の草分けとして15年近い歴史を持つ『中日之橋』のキャスターであり、番組プロデューサーでもある呉四海さんのことである。現在は、月曜から金曜まで万博最新ニュースを日本語で紹介する『万博百聞』という番組も担当している呉さんに、日本に関する情報を長く扱ってこられた経験から、現在の上海と日中交流をどのように見ておられるのかうかがった。

向上の大きなきっかけ

――万博の会期も残り少なくなりました。今年新たにスタートした番組『万博百聞』を担当されて、万博の評判や感想はいかがですか

毎日ニュースをお届けするのは初めての試みでしたから、大変でした。『中日之橋』では週一回の収録を15年近く続けてきましたが、毎日放送があることに慣れるまでは苦労しました。今は5名のスタッフで。日々の万博ニュースを選別し、構成、放送まで行っています。番組の特集に取り上げたもので特に印象深いのは、6月12日のジャパンデーに万博センター大ホールで行われた日本館主催イベントです。ここでは司会も担当しましたが、そのなかで、日本のイベントの盛り上げ方が中国とは異なることを再認識しました。中国では派手さや華やかさをまず前面に出すのに対し、このイベントでは日本伝統文化の手品で幕を開けたのです。その静かな立ち上がりに、文化の違いを感じましたね。

上海万博は、中国にとって初めての経験が多く、至らない部分はたくさんあるはずです。ただ、開幕当初に指摘された会場内のいすの数の問題や日傘対策などを、運営しながら補正している万博事務協調局の努力を見ていると、中国も変わってきたことを感じます。日本を含む外国メディアからは、中国に関してマイナス面を多く指摘されますが、最近は国民の意見がよく反映されるようになり、万博会場内に限らず、適切な対応がされています。例えば、問題が指摘されてきた救急医療に関して、新たな救急の電話番号999が設けられるなど、改善の努力が進んでいます。万博を契機に、さらに民意を大事にする政策が進むことが期待できます。

――上海人として、今の万博や中国に感じることはありますか

不思議に思うのは、中国人がパビリオンに長い時間並んでいることです。サウジアラビア館では五~六時間も平気で並んでいる。その姿に驚きましたね。列を作って待つ行為についての中国人の限界は、従来1時間程度のはずでしたから。

2005年9月、私は閉幕前1週間という時期に愛知万博に行きました。そこで携わった中国館の「上海ウィーク」の際に、日本人の列を作って並ぶ姿を何度も目にしました。企業館に2~3時間も我慢強く並ぶ様子は忘れられません。そのときには、5年後の上海でも同様の光景がみられるとは、まったく考えられませんでした。ある意味、奇跡に近いことかもしれません。今回の万博は、人々が列に並ぶ習慣や公共マナーを重視する気持ちを持つきっかけになりました。非常にうれしいことですね。

これは中国において、万博開催の最大のポイントです。万博自体には、科学の進歩や発展を披露したり、エコライフの提案を発信したり、さまざまな目的がありますが、私たちは万博開催に中国独自の意味を見出すことができます。会場内でのトラブル対策や人通りのルート整備など、上層部が日々対策を立てる様子を聞いていると、政府の対応がとても早くなったことを感じます。従来なら重視されなかったかもしれない部分も、各種ミーティングを重ねしっかり解決しています。本当に大きな進歩です。

上海ゆかりの日本人たちの質問にていねいに答える呉さん。聞き手は、磯部美月さん(復旦大学文化国際交流学院)、岡部直子さん(主婦)、蟹江廉士さん(華東師範大学二年)、浜田あゆみさん(復旦大学四年)、矢野瑶子さん(慶応義塾大学商学部二年)

人の縁が導いてくれた

――呉さんの日本への興味・関心はいつから始まって、今の番組放送などにつながるのでしょうか

日本との縁は、1980年代に手にした日本製のラジカセから始まりました。中国製がほとんどなかった時代、この素晴らしい製品をつくる日本人の民族性に興味を抱き、大学で日本文学を専攻します。そして大学卒業前、就職先探しの時期です。当時は、政府や学校が学生の就職先を決めて本人に通知する「統一分配」制度が一般的でした。そうしたなか、自分には新しい海外番組を作れるのではないかと、上海テレビの人事課へ就職を直訴に行ったのです。そんな学生はほとんどいなかったと思いますよ。そして、八四年に上海テレビに入社しました。

入社の翌年、日本の読売テレビの社長が上海を訪問した時に通訳を任されました。そこから縁が生まれ、読売テレビの研修生として日本に行けることになり、日本の大学に留学もできました。それが、今の『中日之橋』の土台になりました。そして95年、上海テレビに呼び戻され番組を立ち上げることになるわけですが、当時はなじんだ日本を離れることに悩みましたね。そのときに、「あなたが上海に行けば、存在は百倍の価値になるだろう」と言われました。今思えば人生の節目に必ず大切なアドバイスをしてくれる人が現れ、運命の導きで中日の懸け橋を担い続けてこられたと思います。

違いを認め吸収し合う

――呉さんの考える中日友好、中日の懸け橋とは具体的にどのようなことでしょうか。また、日中学生交流に期待することはありますか

まず双方が知り合うことが大事です。「あなたの考えと私の考えは違う、違いがあるから価値がある」ということを分かち合いたいですね。2003年に休職し、ロンドン留学へ行った際、国際社会について多くの発見をしました。例えばイスラム圏の人たちにはとっつきにくい印象を持っていましたが、実際に話してみてイメージとの大きな違いを認識し、自分の持つ世界観は偏った、不足のあるものだと気付かされました。考え方や文化などに自分との違いがあるだけで、それを受け入れる自らの器があればいいのです。当時、自分は未熟だと感じましたね。

その経験を踏まえて、学生のみなさんに言えるとすれば、相手国の人の悪いところ、足りないところを探すのではなく、まず見て知ることです。知り合い、話し合えることが、友好の前提です。いいところ探しだけでは仮の友好です。知り合えたら、お互いが足りない点を指摘し合うことでほんとうの友好関係になれます。ぜひ若いうちから、ものを見る目や発想力を養ってください。上海に留学している日本の若い世代は、中国と日本の良いところも困ったところも実感できるはずです。思いをぶつけ合える学生交流があるといいですね。

――上海は今回、万博開催という大きな経験をしたわけですが、万博後はこの機会をどのように生かし、更に発展を遂げると考えますか

万博は開催して終わりではなく、閉幕後にどうなるかのほうがずっと重要です。上海人や中国人の意識向上や転換のきっかけになって、今後の発展につながると思います。来場目標として掲げた七千万人は、中国の人口からみれば難しいことではありません。数字よりも、人間の意識向上につながれば最高ですね。

 

人民中国インターネット版 2010年9月26日

 

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