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家族の絆~瀋陽講演会

ジャスロン代表 笈川幸司

省都だけを訪問する予定だったこの、日本語講演マラソン。

しかし、「わたしたちの街にも来てください」という暖かい声をいただき、吉林省では四つの都市をはしごした。

ところが、そんな喜びと引き換えに、体力が擦り減っていった。

毎日10Km走っていた20代の頃なら何でもなかっただろうが、体力が落ちた40代、5時間移動→2時間講演→10時間移動の連続が骨に滲みた。出発前にもっと鍛えておくべきだった…。

瀋陽に着くなり、疲労で体調を崩してしまった。

9月20日に大連を出発してからひと月あまり突っ走ってきたが、とうとう力尽きてしまった。ふらふらになって沿道に倒れこみ、しばらく立てない、そんな状況だった。

実は、ここまで一日一日が奇跡の連続だった。

はっきり言って、自分ひとりでは何もできなかった。いや、きっとこれからもそうだろう。大勢の人たちのサポートがあって、はじめて、日本語講演マラソンという命を一日先に延ばすことができた。

わたしの体調を心配した妻が、瀋陽空港に来てくれた。

ハンドバッグを片手に。他には何も持ってきていなかった。つまり、彼女はわたしを連れて、北京に帰るつもりだったのだ。

ところが、ここで奇跡が起きた。自然と、力が湧いてきた。

これまでは、「よし、気合いを入れるぞ!」と何度も自分に言い聞かせ、ようやく動いてくれた体。ついさっきまで、前に踏み出すことができなかった。いまは、気持ちよりも先に足が動く。

家族の絆、家族愛。

そういうものを意識し、背負いながら、瀋陽講演会を続けた。

「さあ、この偉大な事業を、みんなで応援しようじゃないか!」

会場に集まった学生たちに向かってこう叫んだのは、同僚だった吉田明先生だ。定年まで朝日新聞の記者として活躍されていた吉田先生は、その後、清華大学で教え、いま瀋陽師範大学で教鞭をとっている。そして、日本語を学ぶ学生たちの上達、そして成長を第一に考え、日々奮闘している。

実際、こんな声があるそうだ。「笈川先生が来ると、仕事がやりにくくなる」。

しかし、そんな声に対し吉田先生は、「自分の都合じゃなく、教え子たちのことを考えれば、笈川先生が来てくれなきゃ絶対に困る」とおっしゃる。

瀋陽で、吉田先生の心に救われた。

また、瀋陽では訪問した5つの大学以外に3つの高校にも行ってきた。

いちばん印象深かったのは、東北育才外国語学校という高校だ。そこは、卒業生のほとんどが日本の一流大学へ留学するエリート学校。

講演中、彼らからいくつかの質問を受けたが、あれほど上手に日本語が話せる学生は、北京でもそうはいない。いや、ほんとうに驚いた。けっして大げさではなく、北京なら、大学四年生の中のトップレベルと考えてもらいたい。きっと、その事実をほとんどの日本人は知らないだろう。

瀋陽での五日間、妻の助けがなかったら、いったいどうなっていただろう…。

想像するだけでもゾッとする。が、ここから更に五日間、身重の妻との二人三脚が続く。

 

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年11月6日

 

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