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延辺講演~念願が叶う

ジャスロン代表 笈川幸司

前回ご紹介した通り、例外中の例外・吉林市からバスに乗り、長白山が見える街・延辺へと向かった。

実は、十年前から縁あって、ずっと延辺の学生たちを教えていた。清華大学の朝鮮族クラス(第一外国語クラス)を担当していたからだ。夏の特訓班では、週末に彼らと歩いて香山へ行った。徒歩六時間半。香山のふもとで引き返そうとしたが、「頂上まで上りましょう!」と叫ぶ元気な男子学生たちに背中を押され、飲んでもないのに千鳥足でゴールした。

「必ず延辺に来てください。絶対ですよ!」「わかった」

あれから十年。

バスで四時間、凍りつくような寒さが体を襲う。

一番後ろの座席に座ったのがいけなかった。冬のバスでは前の座席をお勧めする。途中、パーキングエリアで降りたが、運転席付近が暖かかった。にもかかわらず、もとの席に戻った。なぜなら、がら空きのバスの中では一番後ろの座席を独占、横たわることができたからだ。靴下のうえに手袋をはめて寝た。これなら安心だ。ここ数日、移動のせいで朝四時起床が続いた。しかし、途中あまりの寒さに跳び起きてしまった。窓の外を見ると、昨日降ったものだろうか、一面が銀世界、そこは雪国だった。

途中で起きてからは、延辺出身の教え子たちと携帯メールのやりとりをしていた。

「どこどこのお店の冷麺がお勧め」「叔父さんが延辺大学の日本語教師です」「来年夏に帰るときは、一緒に行きましょう!延辺を案内します」

などなど。バスの中は寒かったが、わたしの心のエンジンは温まった。

延辺に到着。いよいよ念願だった延辺講演が、ようやく現実のものとなる。

学校の要求で、二、三年生を中心に約300名が来てくれた。しかし、20名ほど、四年生の姿も見えた。こっそり会場に来てくれたらしい。

その子たちの「先生を四年間、ずっと待ってました」という元気な声のお陰で、寝不足から来る疲れが吹き飛んだ。「四年生だから、まだ三年しか日本語を勉強していないだろう?四年間って…」などという考えは、一瞬たりとも浮かばなかった。(笑)

さて、大きな舞台での講演は久しぶりだ。

スタンドマイクならいいのかもしれないが、漫才でもあるまいし、舞台の真ん中に立って話すのは大の苦手である。それで、あちこち、歩き回った。普段、暇を見つけては「きみまろライブ」を見ている。誰かにその影響を受けていると指摘されたとしても否定できない。

講演後には、どの先生からも「一緒に写真を撮ってください」と声をかけられ、権院長からは、「毎年夏にここに来て、うちの学生たちのために特訓をして欲しい」と誘われた。

もともと省都のみ40都市をまわる予定だった日本語講演マラソン。

こうやって、ひとつの街にひとつしかない大学を回ることで、中国人の心の温かさを改めて実感することができるなら、自然と、「どんなところへも行ってみようじゃないか!」という気持ちになれる。

延辺の先生方が、昼食、夕食と延辺で最高の料理をもてなしてくださり、鉄道駅まで見送ってくれた。手を振って別れるとき、ほんとうに淋しい気分になった。

たった半日の延辺の旅…。

夜行列車に乗って、長春へ。そして、到着後、すぐに高速鉄道に乗りかえ、吉林省最後の都市・四平へ向かう。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年11月2日

 

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