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映画助監督からの転身、北京で“つくる”こだわり

 

文=馬島由佳子 写真提供=佐渡京子

「中国に興味を抱いたきっかけは何?」「どうして中国で生活をしているの?」「日本人は中国でどんな仕事に就けるの?」中国在住の日本人が何度となく受ける質問です。本連載来訪者の皆さまも、中国で暮らす日本人に“なぜ?”と興味津々のことと思います。

そこで、本連載は中国で活躍する日本人の「中国と生きる」理由を紹介するとともに、これから中国に渡り、留学や仕事をしたい方に向けてのアドバイスもお伝えします

「“映画をつくる” “授業を通して人をつくる”“大使館の建物をつくる” “中国語を通じて人との関係をつくる”……、常に何かを“つくる”仕事をしていたいです」と語る、北京在住10年の佐渡京子さん(34歳)。佐渡さんは大学卒業後、日本の映画会社に入社し、ドキュメンタリー映画の助監督として映画制作に従事してきました。退社後は北京に語学留学し、その後、河北省の大学で日本語教師として働き、現在は在中国日本国大使館に勤務しています。

日本語指導をする佐渡さん

---- 中国語の勉強を始めたきっかけを教えてください

1999年、当時働いていた映画会社の出張で初めて中国・北京を訪れました。街を見学した時、市場や商店で店員さんたちが仕事中に絶えずおしゃべりをし、ドアのないトイレの中でもずっと会話をしている場面に遭遇し、中国の方は“明るくて話し好き”という印象を受けました。日本ではそのような光景は見たことがありません。そして同時に「いったい何を話しているのだろう、何をそんなに会話をすることがあるのかな、私が中国語ができれば会話の内容がわかるのに……」と思いました。それが中国に興味を持ったきっかけで、日本で中国語を習い始めました。 

---- 映画会社に入社し、映画の助監督をされていて、周りから見れば、なかなか携われる仕事ではなく、格好いい、羨ましい職業に見えると思いますが、なぜ退社してまで中国に来る道を選んだのでしょうか

私が北京に留学したのは2001年です。日本のドキュメンタリー映画はフィルムからビデオに撮影方式が切り替わる時期でした。ビデオに替わるということは、監督自身で撮影することも可能であり、撮影クルーが縮小され、助監督がなくてはならない存在ではなくなってきました。好きなことを仕事にしたいと思いながらも、経済的にも自立した生活をしたいと考えていた私は、進路に悩み、最終的な答えが出ないまま、当時興味を持った中国語を本格的に勉強しようと、中国留学を決めました。

佐渡京子さん 映画イベント『2011REAL』のリハーサル(高橋伸彰撮影)
---- 留学先を北京に選んだ理由を教えてください

私の母校は一貫教育の私立学校で、昔、北京に分校がありました。それも一つの縁かなと思い北京に決めました。

--- 北京で中国語を学び、中国で働くまでの経緯を教えてください。 

はじめは1年の予定で北京の大学に語学留学をしましたが、中国で仕事をしてみたいという思いが強くなり、さらに留学を1年延長しました。2年勉強しても、まだ中国語能力が足りないと思ったのですが、早く社会復帰したいという気持ちもあったので、仕事をしながら、言語感覚を更に深められる“日本語教師”をすることに決めました。

日本語を学ぶ中国の大学生は、趣味で日本語を勉強しているわけではなく、日本企業に就職希望または就職活動を有利にするために上級の日本語検定を目指す学生たちで、「仕事で使う日本語をもっと教えてほしい」「面接で使う日本語を教えて欲しい」といった質問を頻繁に受けました。日本語教師としての2年間は、学生との交流も楽しく天職だと思ったほどですが、学生たちに中国における日本の企業や組織について教えられるように、まず私が日本人の組織で働いてみようと考え、北京で就職活動をして、現在の日本国大使館に勤務することになりました。日本語教師は授業を通じて、“人をつくる”仕事でしたが、今度は、大使館の新事務所の建設に携わること、“建物をつくること”が私の仕事になりました。

その間、映画制作や日本語教師としての経験を生かし、大使館の広報文化行事をお手伝いさせていただいたこともあります。

業務の参考に建設中の「鳥の巣」を見学
--- 2011年12月に北京で日本ドキュメンタリー映画の祭典イベントがあり、スタッフとしてご活躍されたそうですが、中国でも映画の仕事を継続することは夢なのでしょうか

中国で映画の仕事をしようとは考えていませんが、いつか中国の人びとを描いたドキュメンタリー映画をつくってみたいと思うことはあります。自分が直接映画に関わる仕事をしていなくても、自分の出来る範囲で、中国で映画関係の仕事で頑張っている中国人や日本人に対して、私が日本で学んできた映画の知識と技術を生かして、お手伝いし応援していきたいと思います。

--- 今後、中国の北京以外の土地に住みたいと考えたことはありますか

ありません。北京が好きです。北京は大きくて広くて、みんな大らかなところが好きです。ずっと在住するかはわかりませんが、中国や北京が私に刺激を与え続けてくれる、元気がある場所である限り、住み続けたいと思います。

--- これから中国で語学留学や仕事をしたい日本人へアドバイスをお願いします

日本に無いものを求めて中国にいらっしゃると思うので、それが何かを見極めることだと思います。日本しか知らない日本人と同じ考え方で、日本と同じリズムで生活するのは、中国に来る意味がないし、中国では仕事はできません。不景気の日本で仕事が見つからないから中国に渡るとか、逃げ道の選択肢として中国に来るというのはこれからはもう通用しないと思います。

 私は、これまで映画の仕事や日本語教師、大使館での仕事、と好きなことばかりやってきたように見えるかもしれませんが、“何かをつくる”ということにこだわりを持ってきたような気がします。“つくる”ことが形として残らなくても、人との関係や国との関係をつくることで、また何かがつくりだされると信じています。

--- 最後に…… 市場や商店での店員同士の中国語会話は理解できるようになりましたか

はい、もちろんです!(笑)

1999年、助監督として初の中国取材(北京・雍和宮) 「いつか中国の人びとを描いた映画を撮りたい」(2004年雲南旅行)

<取材を終えて>

佐渡さんは、一見、日本で仕事に悩んだ末に退社し、心機一転、中国に語学留学をして、仕事探しを始めたように見えましたが「 “つくる”という仕事を続けたい」という信念を持っていました。 佐渡さんは、中国に関することだけではなく、仕事についても、常に冷静に分析し、自分の能力を高めることに重点を置いているようです。 そして、佐渡さんは、明るく輝きを放っている素敵な女性でした。

 

人民中国インターネット版 2012年1月11日

 

 

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