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新たな可能性に気づく旅~南寧講演会

ジャスロン代表 笈川幸司

早朝玉林を出発し、広西大学の蒋敬誠主任の車に乗せていただくこと3時間。午後に豪雨の中、到着した広西大学で講演会を行った。蒋先生の計らいで、同じキャンパスにある広西大学行健文理学院の学生も集まり、250名を超える学生に向け、わたしは大声で叫び、メッセージを送った。

大人数が集まる場合、マイクを使って話をすることがほとんどだが、今回は大教室の向こうの壁まで生の声を届けたいと考え、マイクを使わず話し続けた。ここ最近、腹の底から声を出すことがなかった。9月から再開する日本語講演マラソンを前に、どうしても声を出し方を思い出したかったのだ。

プロ野球でいえば、今学期の講演会はすべてオープン戦にあたる。完全に感覚を取り戻すところまではいかないが、ここひと月の間に、海南、無錫、玉林と実践を積ませていただいたので、顔が引きつったまま90分話続けるようなことはなかった。

日本語学科がある南寧の大学は全部で6つ。今回、わたしは4つの大学で講演を実施したが、そこに6つすべての大学の学生が集まった。これは、すべて広西大学の蒋主任によるネットワークのたまものだ。驚いたことに、わたしは南寧で日本語を学んでいる学生全員と会ったことになる。また、どの大学もほとんどの教師が見学に来てくれたため、知らぬ間に、南寧市日本語界のほとんどの方と知り合うことができた。

翌日、広西外国語学院と広西師範学院で講演を行ったが、午後には広西師園学院の学生が全員来てくれた。この3つの大学は3年制なので、日本では短大にあたるという。その先生方と昼食、夕食を一緒にさせていただいたが、そこで教師たちの共通の願いを聞いてみたところ、盲点だったかもしれないが、答えは、教師自身の日本語レベルをあげることだった。わたしは、これまで学生のためだけに講演活動を行ってきたが、現地の教師たちの生の声を聞くことで、教師研修の大切さを思い知らされた。

最終日は、南寧郊外にある広西城市職業学院へ。この大学は民間学校で、少し変わった学校でもある。「変わった」などという表現は相応しくないかもしれないが、なんと、写真にあるとおり、自然の山がキャンパスの中にあるのだ。山頂から見渡す景色は最高で、桂林とそっくりだ。それで、地元の人たちはこの地域を「小桂林」と呼んでいる。ちなみに、来年の広西スピーチ大会はここで開催される。

これまで大学一年生向けに中国語を挟んだ講演をして欲しいと依頼されることはあったが、日本語科以外の学生向けの講演を依頼されたことはなかった。

わたしにとって、それはいわゆる挑戦だが、玉林講演会においでくださった譚建主任が、「絶対に大丈夫」と太鼓判を押してくださったお陰で、今回はほんとうに自由にさせていただいた。

地方講演を通じて感じるのは、地方の学生の熱意は想像以上で、そこに日本企業が支援することはあまりないというミスマッチという問題が生じている。現地の先生方の要望に応える為、近い将来、中国全土の地で知り合った先生方に、日本企業や日本の大学を紹介できるような仕事もしていきたいと思う。わたしの可能性も少しずつ広がってゆく気がした。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年5月

 

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