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チャンスをつかむ旅~玉林講演

ジャスロン代表 笈川幸司

桂林なら、私たち日本人の誰もが知っているところだが、広西チワン自治区と聞いてピンと来る人は多くないのではないだろうか。仙台、横浜、名古屋、神戸出身の人の特徴は、自分の出身地を紹介するときに、決して県名では言わない点。桂林の人も同じだ。

今回、広西日本語スピーチ大会の審査員として、玉林という地を訪問することになった。わたしにとって広西への旅は6年前に桂林を訪れて以来2回目。もちろん、玉林は初めて。恥ずかしいことに、玉林師範学院の呉芳主任に招待されるまで「玉林」という地名さえ知らなかった…。中国に11年もいるというのに、ほんとうに情けない…。

午前11時に家を出て、12時に北京空港に到着。午後1時に飛行機に乗り、午後5時30分に南寧空港に到着した。単純計算で約4時間半、国内線を甘く見ていた…。すぐに着くかと思っていたが、北京―成田間以上の長旅だった。更に南寧空港に着いてから車で移動。空港には日本語学科の黄先生が出迎えてくれた。「南寧空港から玉林までは2時間です」という黄先生の言葉に一瞬安堵したが、次の瞬間、地方独特の計算かもしれないと疑った。つまり、2時間だと言われた場合、4時間だという心の準備が必要だ。実際、途中にトイレ休憩を挟み、玉林に到着したのは9時半だった。

ホテルに到着すると呉芳先生が暖かく迎えてくれた。そして、「機内食はおいしくないから、夜食を食べに行きましょう!」と誘われ、近くのおしゃれな喫茶店へ。更に、「お疲れでしょうから、マッサージに行きましょう!」と誘われ、すべて終わってホテルに着いたのは夜中の1時だった。

翌朝7時に迎えが来て玉林師範大学へ。到着後、学生たちとの触れ合いの時間は午後5時まで続いた。その後、急いでホテルに戻って食事会場へ向かい、そこで広西の先生方と対面&名刺交換をして、急いで食事を済まし、急いでスピーチ会場へ向かった。

食事会で知り合った先生のほとんどが「講演を見学してもよろしいでしょうか?」とおっしゃるのでドキドキしたが、鼻にもかけてもらえなかった数年前の状況と比べれば、これほどうれしいことはない。

講演は夜8時スタート。2年前に青島の中国海洋大学で夜7時半スタートの講演会を実施したことがあるが、この時間にスタートするのは始めてのこと。

夜のライブは久しぶり。10数年前にお笑いライブに出ていた頃を思い出した。あの頃は、ほんの数分間舞台に立つため、血を吐くほど練習したが、大した成果を挙げることができなかった。いま、こうやってどこへ行っても90分好きなことを話せる機会をいただけるのは、ちょっと考えただけでも幸せなこと。「会場に来てくれた300数十名に、一生忘れられない一夜をプレゼントしたい。そして、せめて1ヶ月分くらいは笑ってもらいたい」と思い、両頬をパンパンはたいた。結びの一番を前に、気合を入れる力士のように…。

講演中、肇慶学院の張玉琴院長には即興コントに付き合ってもらったり、全員で「わたしは天才です」と大合唱したりして、90分があっという間に過ぎ去った。

広西講演は、日本語講演マラソンの一環というわけではないが、ここ最近は、海南島や無錫で講演をしてきたこともあって、無駄な緊張をせずに始めることができた。それに、この半年、呉先生がわたしのことを学生たちに宣伝してくれたお陰で、わたしは有名人になったかのような歓迎を受け、講演会は終始笑いに包まれていた。

この講演を見に来てくれた先生たちが、「うちにも来ていただけませんか?」とおっしゃるので、その後、南寧の日本語専攻のある6校すべての学生の前で講演を行う機会に恵まれた。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年5月

 

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