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中日友好杯北京市アフレコ大会~対外経済貿易大学とわたし

ジャスロン代表 笈川幸司

2007年11月。わたしははじめて対外経済貿易大学で講演した。講演をした翌日、ひとりの学生がわたしを訪ねに清華大学にやってきた。実際これが、わたしと対外経済貿易大学の学生との出会いといえる。

その学生の名は李さん。中国国慶節後に日本語を学び始めて1ヶ月ほど。しかし、その日から毎日わたしのところに来ては教科書を2,3ページまる暗記して帰っていった。そんな日々をひと月ほど送ると、彼女は日本語を学び始めたばかりの一年生とは思えないほど発音も美しく、流暢な話ができるようになっていた。そこで、「年末に行われる予定のカシオ杯北京市日本語スピーチ大会に出てみないか?」と誘ってみた。

彼女はこの大会に参加し、4年生や大学院生のいる中で優勝した。日本語を学び始めて2ヶ月の学生が高水準のスピーチ大会で優勝したのは、後にも先にも彼女一人しかいない。彼女はいま、東京大学大学院に通っている。

それから2年後、北京で日本語特訓班を開催したときに、対外経済貿易大学からは数名の学生が参加した。ひとりは金さん。彼女はこの特訓班をきっかけに、半年間わたしのところに通ってくれたが、長い間、日本語コンテストでは良い成績を残すことができなかった。ようやく3年生のときに中華杯で北京市の代表となり、全国大会に出場することができた。彼女は今年1月に東京大学の大学院に進むことが決まった。もう一人、特訓班に参加した王さんは、2年生になったばかりの新学期に学生会を立ち上げた。そして北京市アフレコ大会を開催した。普通、大学が主催するコンテストは、各大学への連絡やスポンサーへの連絡など、すべての業務を教師がやることが多い。しかし、ここでは王さんを中心とした学生会が、年1回コンテストを主催するようになったのだ。その翌年からはどの大学の日本語学科でも学生会を立ち上げるようになったが、王さんたちはそのさきがけになったといえる。

ただ、対外経済貿易大学はコンテストに強い大学ではなかった。能力は強く、日本語を上手に話す学生は多いが、勝負強い学生は、以前は少なかったように思う。その証拠に、対外経済貿易大学主催のアフレコ大会でも、第1回は北京理工大学の学生が優勝、第2回は北京第二外国語学院の学生が優勝。公平であることは素晴らしいのだが、優勝経験がないというのは彼らにとってもひとつのコンプレックスでもあったようだ。

ところが、そんな暗い雰囲気を一気に変えたのが今年の1年生だった。わたしは昨年11月に再びここで講演会を行ったが、1年生男子を中心に、会場は盛り上がりっぱなしだった。6年前からずっと仲良くさせていただいている呉応傑先生の話によると、今年の一年生のやる気は教師陣を驚かすほどだという。これを、うれしい悲鳴と呼ぶのだろう。

今年1月に久しぶりに開催した特訓班には対外経済貿易大学から11名の1年生が最前列を陣取り、他校の学生たちを圧倒していた。授業でも積極的に手をあげるのは常に彼らだった。冬休みのうちにアフレココンテストの準備をしておくように伝えたが、その後、しっかり練習を積んだ彼らは、第3回大会にして、初めて対外経済貿易大学を優勝に導いた。日本語学習歴半年未満の彼らがだ。並み居る実力者揃いの先輩たちを押しのけ、今年は1位も2位も彼ら1年生たちだった。

ときどき忘れてしまうのが、熱意の大切さだ。日本語を本気で勉強したい!その熱意は、教師の教え方のうまさや学生の才能よりも大切なもののように思う。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年5月

 

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