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南京日本語スピーチコンテスト

ジャスロン代表 笈川幸司

南京をはじめて訪れたのは2003年春。それは、中国国内でSARSが猛威を振るう直前の冬休みのことだった。わたしは、家庭訪問を敢行した。家庭訪問は、中国ではそれほど多くないらしいが、日本で育ったわたしにとっては教師になった以上、一度は味わってみたいと思えるビッグイベントだ。

「家庭訪問をする大学教師などいない」と周囲に笑われたが、わたしは誰もやらないことをやるのが好きな人間だ。清華大学で教鞭をとるようになって1年、信頼関係を築いた学生たちの家を回ることにした。実際にやってみると、どこへ行っても歓迎され、「すごいですね」と褒められた。

まずは山東省へ行った。そこから南下し、江蘇省、上海、浙江省を回った。約10都市、10数名の学生の家に行ったのだが、家庭訪問の合間を縫って、わたしは南京の地に降り立った。もちろん、南京大虐殺記念館にも足を踏み入れた。中国で日本語を教える者として、行っておかなければならない場所だと思ったからだ。

次に訪問したのは2010年4月。当時は、いま実施している「日本語講演マラソン」の布石になるような活動を行い、6つの大学を訪問、そこで講演を行った。そのとき講演を聞きに来てくれた新入生たちは、現在3年生になっていて、中には今回のスピーチ大会に出場した学生もいた。

そして、今回は3回目の南京訪問。ここ最近は日帰り出張が多く、今回もそれに似た日程だったが、朝4時40分に起床して、妻と息子を連れて北京南駅に向かった。

なぜ、幼子を連れて行ったのかといえば、実は、今年9月に上海地区を中心に再開される「日本語講演マラソン」では、家族3人で移動しようと決めているからだ。

今回は息子・友志にとっては初舞台となる。友志という名前は他でもない、日中友好の「友」。生まれる前から、息子には日中友好の架け橋になってもらいたいと願い、夫婦二人で「友志」と名づけた。

今回、南京市大会決勝戦に出場した学生は23名。印象に残った点を挙げるなら、まずは会場のすばらしさ。500名は収容できる会場はとても美しく、そのステージに立てるだけで学生たちは幸せだ。

3分のテーマスピーチと90秒の即席スピーチ。舞台に立ってみると照明の強さのみが感じられる。客席の顔がはっきり見えるようになるまで30秒はかかる。目が慣れないからだ。23名の中には、膝を震わせてながらスピーチする者もいた。大舞台は、初参戦の学生にとっては酷なのかもしれない。次に気に入ったのは、PPT(パワーポイント)を提示した点で、観客はスピーチに飽きることなく聞いていられた。左右に吊るされたスクリーンを見ながらスピーチを聞けば、内容をよりよく理解できる。最後に、スピーチの合間に演じられた寸劇「花より男子」が良かった。それは、この日会場がもっとも盛り上がった瞬間だった。

実際に印象に残った点を挙げてみたが、スピーチについてまったく触れなかった。もちろん中には非常にレベルの高い学生がいて、入賞こそできなかったものの、まだ二年生だと聞き驚いた。優勝したのは南京林業大学の学生だった。

大会を主催したのはACB朝日という日本語学校。南京では大きな支持を得ていて、大会は第五回を迎えた。

主催者によると、大会は年々規模を拡大していて、南京大会として最近になってようやく認知されるようになったそうだ。やはり、誰からも愛される大会にするまでには、最低でも五年はかかるというわけだ。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年5月

 

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