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可能性が広がった~南京講演会

ジャスロン代表 笈川幸司

今年に入ってよくあるのが日帰り講演。昨年11月は天津⇔北京、河北省⇔北京の日帰り講演を敢行したが、もう少し距離を伸ばし、山東省講演、江蘇省講演も日帰りでできるという可能性が広がった。

今回は南京での講演会。2年前に南京の6つの大学で講演を行ったことがあるが、南京郵電大学での講演は初めて。今回は、日本語クラブの会長・孔さんの要請で日本語愛好者向けの講演を行うことになった。孔さんは孔子の78代目の子孫だと言っていた。彼は日本語学科の学生ではないが、わたしとの会話に困ることはなかった。中国にきて毎回驚くのは、独学で学ぶ学生の日本語力が、日本語専攻の学生顔負け、いやそれ以上!というシーンに出くわすことが少なくないことだ。

この日、朝4時40分に起床し、6時に家を出発。11時に南京に到着して、直接コンテスト会場へ向かった。南京スピーチコンテストでは審査員をつとめ、総評を任されたので、学生のスピーチ中はメモを取りっぱなしだった。息つく間もなく3時間が過ぎ去り、その後、簡単に夕食を済ませ、夜の講演会会場へ。

今だからいえるが、実は、いつになく疲労がたまっていた。コンテストでの総評の際、自分の声がいつになく元気がないことに自分で気づいてしまった。おそらく、他の人はわたしの大声を聞いて、元気いっぱいだと感じるかもしれないが、ほぼ毎日自分の声を録音し、それを聞いているわたしにとって、「声のはり」は、唯一の健康のバロメーターになっている。だから、声の出ない南京講演会の出来不出来を心配した。

今回、はじめて妻と息子が講演会についてきてくれた。妻はわたしが舞台に上がる直前に「天才さん、頑張って!」と声をかけてくれた。疲労困憊に苛まれているときに聞くこの一言は、最高の栄養剤になる。

会長の孔さんが事前に宣伝してくれたお陰で、いい雰囲気ではじまった講演会。妻の前で講演をするのは昨年11月以来。臨月を前に一時帰国した12月から、わたしの講演会も少しずつ慣れてきて、観衆の反応も徐々に良くなっていった。

今年に入り、上海、北京、海南、無錫、広西で講演会を重ね、少しずつ経験を積んできたので、体調不良だった今回の講演も、妻の目から見れば、「ずいぶん成長していた」とのこと。

結局こういうことなのだろう。経験を積み、実力をつけていけば、体調が悪くても、ハプニングに見舞われても、実力のなかったときの最高の状態よりもよい講演ができる。わたしたちは誰でも、経験を積むこと、自分の実力をつけることに気を配って生きていくべきだと声を大にして言いたい。これが、いまわたしが出せる「大切なことは何か?」に対する答えだ。

講演の最後に、妻と息子・友志を皆さんに紹介した。日本ではありえないことだが、ここ中国では、「よくぞ奥様をわたしに紹介してくださった。よくぞ家族の皆さんを連れてきてくださった」と歓迎を受ける。家族ぐるみの付き合いをより重視する国民性だからかもしれない。講演会が終わった後、大勢に囲まれ、わたしたちはひとりひとりと記念写真を撮った。友志にとっては、ここ南京が「講演会デビュー」となった。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年6月

 

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