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南通講演

ジャスロン代表 笈川幸司

南通への訪問は2003年春節以来二度目だ。前回は家庭訪問の一環で、南通に住む二人の教え子の家を訪問した。青い考えと失笑を買いそうだが、新米教師だった当時のわたしは、「せっかく教師になったのだから家庭訪問をしよう」と、中国全土に散らばる10数名の教え子たちの家に行った。それは、想像よりも過酷なものだった。疲労困憊に苛まれたわたしは、「二度と家庭訪問をしない」と心に誓った…。

さて、そんな甘酸っぱいを思い出を胸に、再度南通の地に降り立った。九年の年月はすべてを変えてしまう。何一つ面影がなかった。今回、南通での任務は2つ。ひとつは教師研修、そして、講演会だった。

日本語講演マラソンを始めたのは昨年九月二○日。ひと月後、体力を完全に消耗してしまったわたしは足を止めた。今回の南通講演は、そのとき以来のピンチだった。到着二日目。スケジュールを詰め過ぎたのが理由かもしれないが、熱が出た。

何とか南通大学での講演を終え、すぐに病院へ出向いた。熱は39度を超えていた。今回のロングツアーは、無錫、南通、蘇州、上海の13日間。

妻が息子を連れ、ついて来てくれた。それで、その日の夜の講演から3日間、すべての予定をキャンセルすることを決意できた。もし一人できていたら、間違いなく、その日の夜の講演を実施し、その結果、蘇州、上海での仕事ができなくなっていたことだろう。今回のロングツアー最大のイベントは、上海の職業高校向けの特訓だったのだから、南通で無理しないことが正解だった。

発熱した夜、南通農業大学での講演をキャンセルすることになり、お詫びに会場で20分ほど話して、それからホテルに戻った。

計画というのは、からだが健康という最低条件があってこそ立てられる。一度、健康を害してしまうと、さまざまなことが進まない。南京講演の際に腹痛を起こし、数日後の常州講演では急性胃腸炎になり、北京に戻って気合いで完治させたその直後。免疫がなくなっていたのかもしれない。三日間、ただただ眠ることに集中した。

話を南通講演に戻すが、そこでは、数多くの先生方に講演を見学してもらった。講演中、わたしが気にかけていることを、実際に自分の目で見て欲しかったからだ。「自分が身につけた知識を、学生たちに伝えるのが教師の仕事だ」という人がいる。それは正しい。学問を志し、教師を心から尊敬し、新しい知識をたっぷり身につけたいと考える学生しかいないのなら問題ないだろう。しかし、相手がもしその知識を欲していないならどうすればよいか…。これが、今の教師の問題かもしれない。相手が知識を欲していないなら、教師の仕事はただの押し付けに過ぎない。ありがたい存在ではなく、迷惑な存在になってしまう。

わたしは講演中、学生たちから得た質問に答えることにしている。そして、毎回質問を受けるたびに学生たちに確認する。「この質問の答えを知りたいですか?」と。もし、学生たちが知りたくないというのなら、その質問に答えるつもりはない。もちろん、これまでそういう場面に出くわすことはなかったが。とにかく、学生たちが「知りたい」と言うまで、わたしは答えない。今の教師の問題、つまり、学生が欲していない知識を、どうやって欲するような気持ちにさせるのか、その点を見て欲しいのだ。

山あり谷ありの南通講演、そして教師研修を終え、次の訪問地、蘇州へと向った。

 

笈川幸司のご紹介

 

人民中国インターネット版 2012年6月

 

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