現在、中国の経済構造は、主に三つの主要な塊から成っていることはよく知られている。それは華南の珠江デルタ経済区、華東の長江デルタ経済区、それに華北の環渤海経済区である。
その中で華北経済の中心である天津は、最近、とりわけ注目を集めている。今年3月、天津を「国際港湾都市、北部の経済センター、エコロジーの都市として建設する」ことが決まったためである。今年6月、温家宝総理は、ここを視察し、調査研究を行った。
浜海新区の核心をなすのは塘沽区であり、すでに国内外の大企業がここに投資し始めている。海を隔てて日本や韓国とも近い塘沽区に、世界から熱い視線が注がれている。
深セン、浦東に次ぐ新区に
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塘沽の天津経済開発区 |
「天津」という呼称が歴史上、最初に登場するのは、明の永楽元年(1403年)のことである。天子が乗船する渡し場を意味していた。1404年に天津の築城が始まり、「天津衛」と名づけられた。
現在の天津は、四つの中央直轄市の一つである。また600余年の歴史を持つ歴史・文化都市であり、重要な港湾都市でもある。市内には古今の建物が集まり、中国式の建物だけでなく洋風建築もそれぞれ異彩を放ち、「まるで建築の万国博覧会のようだ」と言われる。
1997年、中国政府は天津を「環渤海経済の中心であり、中国北部の重要な経済の中心とする」よう位置づけた。その後、経済の急速な発展にともなって、天津の地理的、経済的役割はますます重要になった。
今年3月22日、温家宝総理が主宰した国務院会議で、中国政府は、中国経済における天津の地位を格上げした。これによって、北京は中国の政治と文化の中心、北京に近い天津は「北部経済の中心」と位置付けられた。その天津の浜海新区の開発が、国家全体の発展戦略の布石の中に組み込まれたのである。
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解放路商業区の夜景 |
1986年に鄧小平氏は、天津経済技術開発区を視察したときに早くもこう指摘した。「天津は、港と都市の間にこれほど多くの荒地を持っている。これは大変有利なことである。天津の潜在力は大きく、肝っ玉をもっと太くして、発展をもっと速めることができる」。そして「開発区大有希望」と揮毫した。
それから20年、たゆまぬ努力の結果、昔日の荒地は、いま内外から注目される浜海新区に発展した。2005年の工業販売収入は4000億元に達し、上海の浦東新区を上回った。輸出も、5億ドルから185億ドルに増加した(1994~2005年の統計による)。
6300以上の外資系企業や海外が投資したプロジェクトが、浜海新区で発展している。その中には、世界のトップ500に入る企業が151社も含まれている。
浜海新区の総生産額は平均13.9%で増加し、中国経済の中で発展のもっとも速い、外資の収益率のもっとも高い地区の一つとなっている。
今年6月26日、温家宝総理は、国の16の主要関係部門の責任者を率いて、浜海新区を視察し、明確にこう指摘した。
「浜海新区の建設はすでに、党と中央政府から非常に重視されており、浜海新区をうまく計画し、建設することは、天津の長期的な発展にかかわり、環渤海経済を振興するという中央政府の重大な戦略の布石ともかかわっている」
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塘沽区にある外灘広場 |
今年3月14日に、第10期全国人民代表大会第4回全体会議で承認された『国民経済と社会発展の第11次5カ年規画要綱』の中で、「天津の浜海新区の開発・開放を推進し、この区域の経済発展を促す」ことが決定された。これは、中国政府が打ち出した重要な国策である。
天津の浜海新区を、深センの経済特区、上海の浦東新区に次ぐ中国第三の国家レベルの新区にすることは、環渤海圏の経済の大発展を促すだろう。
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