芥川龍之介が観た 1921年・郷愁の北京

 

 夕月や槐にまじる合歓の花  

 灰捨つる路は槐の莢ばかり 

 石垣に日照りいざよふ夕べかな

 来て見れば軒はふ薔薇に青嵐

 

芥川龍之介(左)、1921年北京にて


 右の数首は1921年夏の北京の景観を詠んだ俳句だが、いずれも小説家芥川龍之介の手になるものである。中には、彼が北京から友人に送った手紙に書かれたものもあるし、後日発表したものや生前未発表のものもある。『羅生門』や『杜子春』などの人口に膾炙する名作を残した芥川龍之介は、実は俳句の名手でもあり、また、北京を句題にした俳句を書いたことは、中国でも日本でも知る人は意外に多くない。

 

 1921年に大阪毎日新聞社から中国視察旅行に派遣された芥川は、江南地方や長江流域の都市をひととおりまわった後、北京に約1カ月間滞在した。この悠久の古都ののどかな風情に、彼はすっかり魅せられたのである。今年2007年は、ちょうど芥川の没後80年にあたる。そして、彼のこよなく愛した北京は、一年後のオリンピック開催に向けて、21世紀の国際的大都会へと目覚しい変貌を刻一刻と遂げている。しかも現在、大手書店を覗いてみれば幾種もの芥川作品集が目につくように、中国で芥川作品の出版ブームが起きている。

 

 こうした背景の中で、北京に惚れ込んだ東京生まれの天才小説家の86年前の北京との出会いを振り返るのは、もっとも時宜を得ていると言えよう。このような趣旨で草したこの小文をもって、今年の中日文化・スポーツ交流年並びに芥川龍之介没後80年に捧げ、そして来年は世界的な大イベントの中心舞台となる北京に、ささやかな祝福を送りたい。

 

 芥川龍之介が北京に入ったのは、19216月である。時期はちょうど初夏に入る頃で、彼はすぐに中国式の夏服を一式あつらえた。そして、毎日のようにそれを着て出かけ、中国民俗学者中野江漢の案内のもと、北京の街を隅々まで歩き回ったのである。万寿山(頤和園)、玉泉山、北海、天壇、地壇、先農壇、雍和宮、什刹海、陶然亭、白雲観、永安寺(北海公園内)、天寧寺……。その見学の熱心さと徹底ぶりは、北京に長く住んだ中野江漢を驚嘆させるばかりだった。

 

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