PART1 インフラ整備で経済飛躍

2021-12-24 11:01:45

沈暁寧=文

今年はチベット平和解放70周年に当たる。この70年間、中国共産党の指導と全国の人々の支援の下、チベットの各民族は団結して奮闘し、現地の経済建設は絶え間なく飛躍的発展を実現してきた。2012年の中国共産党第18回全国代表大会(18大)以降、チベット自治区の発展と変化はさらに目覚ましくなった。同自治区の地域総生産(GRP)は昨年、チベット平和解放当時の1473倍となる1900億元を突破し、全国と共に小康社会(ややゆとりのある社会)を実現した。現在のチベット自治区は豊かさを実現する飛躍を成し遂げただけでなく、経済の質の高い発展を推し進める道がますます広がっている。

819日、チベット平和解放70周年祝賀大会で、習近平総書記が「美しく幸福なチベットを建設し、偉大な復興の夢を共に叶えよう」と揮毫した扁額と掛け物が披露された(新華社)

 

「世界の屋根」に高速鉄道時代

今年6月25日午前10時半、高速鉄道の復興号D2021号がラサ(拉薩)駅を出発し、東のニンティ(林芝)へとひたすら疾走した。途中の駅では、各民族の人々が盛装し、歌い踊って列車の到着を出迎え、チベット自治区が高速鉄道の時代に入ったことを祝った。

 

今年625日、路線距離435、設計時速160のラサ―ニンティ間鉄道が開通した。チベット自治区で初の電化鉄道だ(新華社)

 

青蔵高原は昔から交通が不便で、鉄道敷設は人々の宿願だった。06年7月、青蔵(青海―チベット)鉄道が開通し、鉄道でラサへ行くという夢が実現した。14年8月、ラサから自治区の2番目に大きい都市シガツェ(日喀則)まで鉄道が開通し、鉄道で世界最高峰チョモランマを見に行くことが流行した。今年、ラサ―ニンティ間で全長43548、平均標高3300の電化鉄道が完成し、復興号でラサへ行くことが実現した。

7月22日、習近平総書記はチベット自治区視察中にニンティ駅を訪問し、川蔵(四川―チベット)鉄道の全体計画とラサ―ニンティ間の建設運行状況を聞き取り、次のように指摘した。川蔵鉄道の建設計画はチベット自治区の発展と民生改善を促進する重大措置だ。科学技術革新の重大な役割を発揮させ、西部辺境の鉄道網建設を統一的にしっかり計画し、辺境地区の質の高い発展(1)と人々の質の高い生活にいっそう貢献しなければならない。

夏のチベット自治区南東部は陽光がきらめき、山々の頂には真っ白な雪が輝く。復興号は時速160で「世界の屋根」を飛ぶように走り、中国の鉄道の科学技術革新を新たな高みへ押し上げただけでなく、チベット自治区の経済社会の発展に新たなスピードをもたらした。

夏の盛りに雀児山はなおも雪に覆われていた。青蔵高原南東端にそびえるこの山の主峰は標高6168で、地元のチベット族は「タカも越えられない山」と呼ぶ。1950年代、道路工事部隊が川蔵自動車道の雀児山区間を建設した際、空気の薄さと酷寒による予想外の困難にぶつかり、300人余りが相次いで亡くなった。5412月、全長2412の川蔵自動車道北線が開通し、過去にラサから成都まで半年以上必要だった長旅を数日間にまで短縮した。新中国の建設者は汗と血を流してチベットに一筋の「生命線」を切り開いた。

2010年11月、雀児山トンネルの工事が始まった。17年9月、世界初の標高4300以上、全長7079のこの超長距離トンネルが開通し、「冬に雀児山を越えるのは地獄の一丁目に飛び込むようなものだ」といわれた困難は永遠に過去のものとなった。

雀児山区間の補修作業員、易興華さん(52)は小さい頃から高原で育ち、17歳でこの仕事に就いた。彼は雀児山で川蔵自動車道の巨大な変化を目撃してきた。易さんは「標高が高くて寒く、空気が薄い高原での道路補修はいっそう手間が掛かりました。山を越える途中で災難に遭った自動車のタイヤを交換し、運転手にお湯や食べ物などを渡さなければならないこともよくありました」と感慨無量で振り返る。雀児山トンネルの完成後、易さんの勤務地は標高5000以上の山上の自動車道路から麓の補修事務所に移り、主にアスファルト舗装路の清掃を担当するようになった。「以前は1日に200ほどの区間しかメンテナンスできませんでしたが、今では1日に数も担当できます」。彼をいっそう喜ばせたのは、1812月末に四川省の雅康(雅安―康定)高速道路の一部区間が開通し、川蔵自動車道が「高速時代」に突入したことだ。

チベット自治区の航空事業の発展も鉄道や自動車道の建設に遅れを取らなかった。青蔵高原は地勢が険しく、かつて世界の民間航空業界から最も飛行難度の高い地域の一つといわれていた。1965年3月1日、イリューシン18型旅客機がラサのダムシュン(当雄)空港に無事着陸したのに伴い、新中国はこの「飛べない空域」に北京―成都―ラサの航空路線を開設し、雪の高原の青空に鉄の翼のタカが飛び交うようになった。

2011年7月、世界で初めて高原を拠点として運航する航空会社のチベット航空有限公司が設立された。データによると、この10年で無事に計61万4000時間飛行し、旅客延べ2820万人を輸送し、路線総数は140路線に達し、国内外の66都市とつながっている。雪の高原の魅力的な風俗習慣や風景を楽しむのは、もはや難しいことではない。チベット自治区の人々が全国や世界各地の特産品を楽しむのも、もはや高望みではない。

今年4月、中国政府はチベット自治区の航空網をより充実させるために136億元余りを投じて3カ所の空港を建設することを決めた。また、ラサゴンカル(貢嘎)空港第3ターミナルがこのほど供用を開始した。ターミナルビルは、吉兆を象徴するハスの花がヤルンツァンポ川のほとりで満開になったかのような造形で、観光客やチベット自治区の各民族の人々にいっそう便利でスピーディーな移動サービスを提供している。

平和解放からの70年間、チベットは自動車道、鉄道、航空路線などの多様な輸送方式を包括した総合的立体交通ネットワークを徐々に構築してきた。かつての「天然の塹壕」は外部へ通じる平坦な道を整え、世界の手を取り、現地の人々は幸福をつかんだ。

特色ある農業牧畜業で増収

チベット自治区ロカ(山南)市ネドン(乃東)区ヤドイ(亜堆)郷チュデウォ(曲徳沃)村のツェリンヤンゾンさん(87)は緑あふれるハダカムギ畑を静かに眺めていた。高齢の彼女は数十年にわたるチベットの農業牧畜業の巨大な変化の証人だ。

ツェリンヤンゾンさんにとって旧チベットの記憶は苦痛に満ちたものだ。「人間に生まれたのに牛馬のように過ごし、おなかいっぱい食べることは身分不相応な望みでした。父は毎日遅くまで地元の農奴の主人に力仕事をさせられましたが、十分な食事を受け取れませんでした」

1959年のチベット民主改革でツェリンヤンゾンさんは身体の自由を獲得し、耕作地と家畜を分け与えられ、苦難を幾たびも経験してきた広範な大衆と共にチベット発展の新時代に踏み入った。チベットの農業牧畜業はここから発展の追い風(2)に乗り、各民族の人々も一つ一つの奇跡をつくり出していった。

70年来、チベット全体の農民牧畜民の収入は急成長を実現し、18年連続で2桁成長を記録し、6年連続で伸び率の全国1位に輝いている。昨年に農村住民の1人当たりの可処分所得は1万4598元に達した。これは史料の残る1965年の135倍だ。

同時に、改革の絶え間ない深化によっても、チベットの農業牧畜業の発展はいっそうの活力を持った。ロカ市ネドン区クソン(克松)社区(コミュニティー)は土地600ムー(1ムーは約0067)の使用権を流通させ、労働力の7割を耕地から解放し、ほかの土地で働けるようにした。農民はほかに耕地の使用権代金、農作業代金、土地委託配当金などの収入を得られ、コミュニティーの1人当たりの年収は2万5000元を超えた。

近年、チベット自治区の農業牧畜業の産業チェーンが絶えず拡大するのに伴い、人々の収入もアップしている。ツェリンヤンゾンさんと村民らはこの数年、ハダカムギを付近の農産品加工会社に売っている。これらの企業は「企業+協同組合+農家」モデルを通じ、ハダカムギを年間10以上加工し、周辺の農家に4000万元余りの増収をもたらした。

「彼らは家に来て買い上げますし、価格は市場よりも高いです。私はずっとツァンパ(ハダカムギの粉にバター茶を加えて練ったチベット族の主食)を食べてきました。ハダカムギをこれほどおいしく、これほど豊富な特色ある食品に加工できるとは思ってもみませんでした」とツェリンヤンゾンさんは語る。

統計によると、チベット自治区の農林畜水産業の総生産額は1965年の2億6400万元から昨年の233億5000万元に増加した。昨年までに同自治区は225万ムーの高水準耕地を整備し、国家級家畜規格化養殖場を14カ所新設し、農業畜産業総合サービスセンターが全ての郷鎮をカバーした。農業畜産業の大手企業は162社あり、主要農作物の総合機械化率は65%、農畜産品加工業の総生産額は57億元に達した。

特色ある農産品などの高品質を保証するため、チベット自治区はこれからハダカムギやヤク、チベットブタ、チベットニワトリ、チベットヒツジなど、高原の特色ある遺伝資源を巡り、高原の特色ある品種の保護と利用、優れた品種の探求と導入を堅持して同等に重んじる。25年にハダカムギ優良品種の割合が95%、家畜優良種の割合が40%以上に達するよう努力し、同自治区の農民牧畜民の恵まれた自然資源をいっそう素晴らしいものにする。

エコツーリズムで栄える農村

ニンティ地区は以前から「チベットの江南」と呼ばれていた。風景が美しく、気候が快適で、全国各地の観光客を引き付けている。かつて地元の村民は山の上の樹木を伐採して家計を支えていた。地元政府は05年に「伐採禁止令」を出して以来、持続的に投資を増やし、農民牧畜民の住宅と農村のインフラを改造し、現地のエコツーリズム(3)の基盤を整備してきた。地元民も木を切る人から木を植える人に変わり、生態環境を活用して暮らすようになった。

ニンティ市ギェバ(結巴)村のソナムジョガさんは07年、村内初の民宿の経営を始めた。当初は小さな木造建築1棟だけだった。地元政府の大きな支援の下、彼女は10年に二つの民宿を持つようになった。

「生態環境が良くなり、観光客も増え、収入も以前より増えました。昨年、民宿の収入は十数万元でした。ほかにオンラインショップも経営しています。村内でチベット生薬を調達してネットで販売し、3万元余り稼げます」とソナムジョガさんは話す。

 エコツーリズムは地元民の就業と増収をもたらしただけでなく、村全体の経済にも活力を注入した。ビジターセンター、リゾートロッジ、マツタケ加工場、生態養殖基地など、村の集団経済は絶えず成長し、村民の増収手段はますます豊富になった。

データによると、ニンティはこの5年間、国家エコ文明建設モデル市づくり、国家全域観光モデル区づくりを大々的に推し進めており、観光客受け入れ数は延べ3200万人、観光収入は240億元を超えた。

ニンティの成功はチベット自治区のグリーン経済発展の縮図だ。同自治区は近年、生態優先とグリーン低炭素発展を方向性とする質の高い発展の道を積極的に模索し、生態環境の価値が持続的に増加している。チベット自治区生態環境庁の羅傑庁長によると、平和解放以来の70年間で生態環境分野に計814億元を投じ、一連の生態保護整備プロジェクトを実施した。美しい自然と優れた生態環境はすでに自治区全体の経済成長のエンジンになっており、人々の増収と豊かさにつながった。

グリーン発展を模索する過程で、チベット自治区は国家クリーンエネルギー接続基地になろうとしている。昨年末時点で水力や風力、太陽光などのクリーンエネルギーが現地の発電設備容量の8909%に達した。各地の農村はトイレの新設改修を行う「トイレ革命」や環境整備、農村緑化などのプロジェクトを相次いで実施し、農村の生活ごみの回収輸送処理体系を一歩一歩構築し、健全化している。

中国チベット学研究センターの鄭堆研究員は「国家はチベット自治区のエコ文明建設を非常に重視し、制度革新を持続的に推進し、生態環境整備の取り組みを強め、人と自然の生命共同体の構築を推し進めています。目下、同自治区の生態系は全体的に安定し、環境の質は引き続き好転し、グリーン発展の枠組みは差し当たり出来上がりました」と指摘する。

デジタル産業も近年のチベット自治区で発展が比較的速い産業の一つだ。昨年末、同自治区の情報化指数は15年の633から758に上昇した。ソフトウエア情報技術サービス企業は300社を超え、デジタル経済の規模は330億元を突破し、自治区全体の質の高い経済発展を推進する重要なエンジンになった。

「チベット自治区の経済は追走、並走の状態から、高原生物やグリーン工業、クリーンエネルギーなどの分野で独走を実現し、後発優位性(4)をはっきりと示しました。発展スピードと同時に明らかになったのは、発展の新しい原動力が徐々に強化され、起業創業と革新の活動が活性化していることです。長年の発展を経て、チベット自治区はすでに中国の特色とチベット自治区の特徴を備えた質の高い発展の道を歩んでいます」とシザラチベット自治区主席は語る。

7月21日、習総書記はニンティの建設状況と発展計画を視察した際、次のように指摘した。高原で暮らす各民族の人々は長らく大自然と互いに依存し、高原環境と調和を取って付き合う生活様式を形成してきた。地域の特長を際立たせ、このような人と自然の調和共生の理念、持続可能な発展の理念を燃え立たせるよう導かなければならない。

 

チャムド市ペンバル(辺壩)県のツァオカ(草卡)鎮では、農牧民の科学技術特派員が地元民に農作物の栽培方法を教えている。この5年間、チベット自治区の経済成長に対する科学技術の進歩の寄与率は45.6%に達した(新華社)

 

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