PART2 人生を劇的に変えた政策

2021-12-24 11:12:03

段非平=文

「チベット自治区の全ての発展は、民族の団結と進歩の意義や生活の改善と民心の結束の意義が与えられなければならず、各民族の満足感と幸福感、安全感の向上につながらなければならない」。今年7月、習近平総書記はチベット自治区を視察した際に、全身全霊で人々の生活に関わる問題の解決に取り組み、各民族により確実な満足感とより持続可能な幸福感、より保障される安全感を与えなければならないと改めて強調した。

チベットが平和的に解放され、「家畜のような奴隷」から「国の主人公」となり、「何一つもない状態」から「何も不自由がない状態」になった70年間、党中央の配慮と全国各地の支援、および地元の各民族の懸命な努力の下、希望の光は壮大な高原をあまねく照らし、人々が穏やかに暮らし楽しく働く幸せに満ちた絵巻は雪景色の高原で広がっている。

 

今年721日、習近平総書記はニンティ市のガラ(嘎拉)村を訪れ、村民たちと交流した(新華社) 

夢を支えた就職支援

チベット自治区ナグチュ(那曲)市シェンツァ(申扎)県には博翔タイムズスクエアという商店街がある。そこの民族衣装を扱う店で、ゲサンツェリンさんは来店客の対応に追われていた。彼は大学卒業後、ふるさとに戻り、主にチベット族の衣装を扱う小さな店を始めた。「自治区政府は新卒者の起業をサポートする多くの優遇政策を打ち出しました。各種の補助金によって、私たちは負担が軽減され、夢を追い掛ける道を身軽に進めるようになりました。いま商売は繁盛し、非常に満足しています。この偉大な国に生まれ、最高の時代に育ち、幸運に恵まれていると思います」と彼は笑顔で語った。

雇用は最大の民生だ。雇用優先(5)戦略の導きで、チベット自治区は雇用サービスや政策的保障を充実させ続け、政府社会企業の複数のルートで雇用問題を解決することで、より質の高く十分な就職の実現のために基礎を打ち立てた。昨年、同自治区の都市部調査失業率は4%以内に抑えられ、大学新卒者全体の就職率は99%に達し、就労困難者、最低生活保障の補助金受給者、農村部労働力などいわゆる重点層の就職率は全国上位になっている。

優遇政策のほか、各地からの支援も重要だった。第13次五カ年計画(「十三五」計画、2016~20年)期間中、中国各地で成約したチベット自治区支援プロジェクトは累計で247件に達し、成約額は約350億元で、チベット自治区民向けに1万2000人の雇用機会を提供し、中央政府が監督管理する国有企業が採用したチベット自治区戸籍の大学卒業者は1500人余りに達し、農民労働者1万人余りに働き口を提供した。

昨年7月、チベット自治区チャムド(昌都)市テンチェン(丁青)県のサンド(桑多)郷出身のロソンバデンさんは採用試験を経て、世界トップ企業500社にもランクインした中国海洋石油集団有限公司(CNOOC社)に入り、実習として地質調査関連の仕事を任された。「会社から実習の機会をいただき感謝しています。大学の専攻は現在の仕事とぴったり一致していて、自分にとって理想的な就職先です」とロソンバデンさんは言う。「実習中、業務能力が高まっただけでなく、視野も広がりました。今の職場で働き続けるとしても、戻ってふるさとの建設に参加するとしても、この経験は非常に貴重なものです」

CNOOC社のチベット自治区支援スタッフの付暁宇さんによると、雇用面の援助を的確に行うために、同社はチベット大学と提携して雇用政策の説明や就職活動指導などを行い、学生たちが各々に向いた仕事に就けるようにサポートした。昨年の卒業シーズン、チベット大学の81人の卒業生が同社に採用された。

ここ数年、雇用形態のさまざまな革新に伴い、より新しく、より広い就職の道筋は高原の人々の足元に延びている。

現在、チベット自治区には1548カ所の医療機関が人々の健康を守っている。チベット族の平均寿命は、平和解放前の35.5歳から70.6歳に向上し、「病気を理由にした貧困化や再び貧困状態になる」人口を基本的にゼロにした。写真はラサ市人民病院の病室で患者に病状を説明する医師(新華社) 

教育で人生に光を

シガツェ市斉魯小学校の教室で、先生が天井からつり下げられた白いパネルを広げると、そこに元気なアヒルとニワトリが映し出され、堅苦しかった雰囲気の教室は一気に活発になった。「スマート教育によって、子どもたちの視野が広がり、学習力も思考力も大いに向上しました。このようなことはチベット平和解放前では想像もできないものでした」と校長のラチュンさんは話した。

平和解放前、チベットには近代的な学校が一つもなく、学齢児童の就学率は2%以下で、非識字率は95%に達し、大勢いた農奴の子どもたちは教育を受ける権利を奪われていた。平和解放後、そのような状況は完全に変わった。70年間で国がチベットに投入した教育支出は累計約2300億元になり、就学前教育と基礎教育、職業教育、高等教育、継続教育、特殊教育を含む現代教育システムの構築を推し進めた。さらに幼稚園から高校までの15年間の無料教育政策と食事学費の支給と宿舎を提供する政策を実施し、多くの農牧地域の児童生徒と都市部の貧困世帯の子どもの運命を変えた。白書『チベットの平和解放と繁栄発展』によると、現在、チベット自治区の新規労働力人口が教育を受けた年数は平均で131年に向上した。

無料教育政策のほか、40余りの教育支援措置も家庭の経済状況が厳しい学生に希望をもたらした。チベット大学法学部在学中のツェリンサンムさんは母子家庭だが、教育支援政策に支えられて現代教育を支障なく受けることができた。「教育支援政策のおかげで家の経済的負担は大いに軽減され、私は夢を追い続けられるようになりました」

近年、チベット自治区の職業教育体制も日増しに整い、社会に必要とされる各種の専門的技術者を輩出している。

シガツェ市公衆職業技能サービスセンターに入ると、どの教室も生徒が満員で、にぎやかだった。ロカ市チュスム(曲松)県出身のツァンタンさんは小さいころからコックになる夢を持っていた。系統的な訓練と積み重ねた努力によって、彼は今、一般的な中国料理と西洋料理、チベット族料理の調理法を身につけた。「必ず立派なコックになり、みんなに褒められる料理を作ってみせます」と将来を描く彼は自信満々に語った。

「十三五」計画期間中、チベット自治区では職業訓練を受けた人は年平均で延べ10万人だった。身につけたスキルは農牧民が豊かになる「黄金の鍵」になっただけでなく、より良い仕事を見つけるための武器にもなっている。

全員保障で安心感を

1940年生まれのトブデンギャンツァンさんはかつて農奴制社会の農奴だった。子どものころ、両親の病死に際し何もできなかった。このような病がもたらした死別は旧チベットで珍しくなかった。平和解放前、チベットには設備が粗末な公立医療機関が3カ所しかなく、医療従事者は100人足らずで、域内総人口の95%を占める農奴たちは病気になったらほとんど命を天に任せることしかできなかった。

「旧チベットでは、病気になるのが一番怖かったです。治療するお金がないからです」とトブデンギャンツァンさんは感慨深く言う。「今、国の社会保険政策のおかげで、私たちのような一般庶民でも医療費の大部分が還付され、自己負担はほぼありません。もし新中国で生活していなかったら、とても81歳まで生きられなかったです」 無料医療は国がチベット自治区の農牧民と都市部住民を対象に実施した特殊な医療政策だ。1993年、同自治区で無料医療特別資金が立ち上げられ、農牧民と都市部住民の病気予防治療において大きな役割を果たした。昨年、同自治区は一元化した都市部農村部住民基本医療保険制度を正式に実施し、医療費の最大還付金額は自治区内住民の1人当たり可処分所得の約7倍に相当する年間14万元に達した。

医療保障体制と共に整備されたのは医療保健の環境だ。解放初期と比べ、現在の同自治区の妊産婦死亡率は、妊産婦10万人中5000人から48人に、乳幼児死亡率は5歳未満児1000人中430人から76人に下がった。医療保健施設のネットワークは都市部と農村部をあまねくカバーし、各レベル種類の医療保健施設の数は1642カ所に達し、全ての郷に保健所があり、全ての村に保健室がある。各民族は家の近くで高水準の医療サービスを受けられるようになっている。

ラサ市城関区にあるツァシ(扎細)社区に住んでいるドルマさんは関節炎の持病を抱えており、痛むと歩行困難になる。「かつては体調が悪かったら、病院に行かなければなりませんでした。今は電話一本でホームドクターが診療しに来てくれます。ずいぶん便利になりました」

直轄市自治区別の養老金(年金)受給額ランキングでは、チベット自治区は数年連続でトップだった。充実した養老保健制度のおかげで、自治区の高齢者たちは安心した老後生活を送っている。

今年71歳になるピンツォワンドィさんはラサ市城関区のバイティン(白定)村の村民で、自宅には広い庭があり、花の世話をしたり、民族舞踊をしたりする楽しい日々を過ごしている。「養老金のほか、自治区とラサ市からの高齢者手当をもらっています。生活には何も心配がありません」とピンツォワンドィさんは笑った。同村駐在第一書記のツェリンウェセさんによると、村の60歳以上の高齢者は全て養老保険と医療保険に加入しており、確実な保障(6)を受け、お年寄りたちは本当の意味で「扶養があり、医療を受けられ、楽しい日々が送れる」老後生活を体験している。

白書『チベットの平和解放と繁栄発展』によると、チベット自治区の社会保険カバー率は100%に達しており、養老医療失業労災出産の五つの保険を主とし、都市部農村部住民全員をカバーした社会保障システムは全面的に確立されており、人々の生活は効果的に保障されている。

 

ジョムダ(江達)県ズガ(字嘎)郷のタズ(塔字)村に住むザシジョムツォさんは職業訓練を経て一人前のチベット族衣装の仕立て職人になった。昨年、チベット自治区では60万人以上の農牧民が移転による就労で新たな生活をスタートさせた(新華社) 

全ての人に温かい家を

「5年前まで、徐中郷に住んでいました。そこの山道はとても危ないです。お父さんは毎日オートバイで私を学校まで送っていました。片道1時間半揺られてやっと着くんです」と小学生のツェリンチュマさんは振り返った。16年、家族と一緒にチャムド市マルカム(芒康)県の中心地からわずか3離れた達孔頂貧困救済集中移住団地に引っ越した。きれいな建物や快適な生活に喜んでいるが、それ以上に通学が便利になったことがうれしかった。「今は歩いて10分で学校に着きます。お昼は学校の食堂で食べて、よくうちに帰って休憩しています」と彼女ははにかんだ。

2012年の中国共産党第18回全国代表大会以降、チベット自治区は人々の生活を改善するために住みやすい地域への移住(7)活動にいっそう力を入れた。昨年末までに、標高が比較的低く、生産生活に適した地域に964の移住団地、計6万軒余りの住宅を作り上げ、26万6000人が新居に引っ越した。「かつては庭でウシを飼うなど人と家畜の混住が多かったです。昨年末に新居に引っ越し、家族みんなが自分の部屋を持ちました。水道も整備されており、冬場は水をくみに外に出る必要がなくなりました」とブラン(普蘭)県クギャ(科迦)村に住むラバさんは笑った。

安心して住めてこそ楽しく働ける。居住環境の持続的な改善は人々の生活レベルの向上における重要な指標の一つだ。平和解放前のチベットでは、90%以上の人は自分の住宅がなく、大勢いた農奴の居住環境は非常に劣悪で、都市部住民1人当たりの居住面積は3平方にも満たなかった。平和解放から70年、チベットの住宅事情と居住環境は大きな変化が起こった。低所得層向けの居住支援の「安居」プロジェクトや貧困救済のための移住活動、都市部におけるバラック地区改造保障的住宅建設など一連の人々の生活改善に向けた事業によって、チベットの人々は土を固めて造ったぼろぼろの住宅や石造りの住宅を離れ、広々として明るい集合住宅に住むようになった。昨年のデータによると、チベット自治区の都市部住民1人当たりの私有住宅面積は334平方に、農牧民のそれは415平方に達した。

76歳のゴムサンさんはラサ市のロツァイ(繞賽)社区にある団地に住んでいる。あちこちの隙間から風が吹き込む「土造り住宅」から、粗末で狭い借家、さらに家族がそれぞれ自分の部屋を持つ広い住宅まで経験したゴムサンさんは感慨深げに言う。「小康生活のあり方はわが家の居住環境が変化する中、ますますはっきりし、ますます素晴らしくなっています」

わずか数十年で1000年以上の飛躍を遂げた。平和解放後の70年間、チベットの人々の生活向上に奇跡が起こった。しかし、生活改善の道のりには終わりがない。今も新たな歴史的起点にあり、人々の幸せの生活の絵巻はまた引き続き描かれていく。

 

今年114日、シガツェ市のガジリン(嘎吉林)村住民の移転用住宅で、盛装してチベット暦の正月を祝うチベット族の人々(新華社)

 

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