PART3 文化の伝承と創造後押し

2021-12-24 11:21:49

李家祺=文

チベット自治区――人を魅了する雪の高原。ここは美しい自然景観に恵まれているだけでなく、長く重厚な文化の奥深さ(8)も持つ。1951年のチベット平和解放以来、経済社会の発展に伴い、優れた伝統文化がより良く保護継承され、現代文化と融合しながら輝きと魅力を増してきた。

ラサ市のノルブリンカでタンカを描くチベット族の画家。1000年以上の歴史を持つタンカは、チベット族の文化的特色を備えた絵画芸術としてしっかりと受け継がれている(新華社) 

面目一新した文化遺産

世界文化遺産のノルブリンカ(夏の離宮)に足を踏み入れると、歌声が聞こえてきた。高くそびえる古木を突き抜け、空に響く。

歌声は歴史的な建造物の修復工事の現場から来たのだ。職人たちはチベット族で、1000年にわたって受け継がれ、屋根や屋内の地面の修理に使われてきた「アガ土」技術に従って、歌いながら土を突き固め屋根を修理している。

ノルブリンカはチベット語で「宝の庭」という意味で、1751年に創建、歴代のダライラマの夏の離宮として使われてきた。2001年には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」に追加登録された。

今回の修復工事は昨年末に始まり、主に園内の歴史的建造物である黄金色の屋根を金メッキで補修し、屋根のアガ土および関連する付属文化財施設の修理を行う。このために国は特別資金3868万元を拠出した。

「文化財を守るために、私たちは介入を最小限に抑え、文化財の現状を変えないという原則を厳格に守り、主として伝統的な修復技術を使っています」と文化財保護の専門家アワンロジュさん(75)は語る。

「歴史に基づき絵を描き、絵によって歴史を語る」というのがチベット文化の伝統である。ノルブリンカ内の多くの宮殿には1820世紀のチベット絵画の傑作が集まり、輝かしい時期を含みチベット史の各段階の状況を網羅している。

ギャンサイポタン(ポタンは宮殿の意)の2階に上がると、北京の頤和園の全景を描いた壁画が目に飛び込んでくる。これは、ギャンサイポタンが完成した時、ダライラマ13世(1876~1933年)のお抱え絵師が、1908年にダライラマが上京して光緒帝と西太后に謁見した際、持ち帰った頤和園全景のスケッチを基に描いたものだ。

壁画から北京の香山や碧雲寺、八大処などの景観がかすかに見え、漢族の道教と神話の中の人物が生き生きと描写され、チベット族と漢族の交流と融合の長い歴史を物語っている。

敦煌研究院文物保護技術サービスセンターは、2019年から昨年まで1年半かけてノルブリンカの壁画の修復工事を行った。修復された壁画は600平方以上にも及んだ。

チベットの平和解放以来、党中央はチベットの伝統文化の保護と発展を非常に重視し、多くの文化財や旧跡、優れた伝統文化は効果的に保護され、継承、発揚されてきた。

7世紀に創建されたポタラ宮は、度重なる改修拡張を経て17世紀に完成。現在、チベット自治区で最大規模かつ最も保存状態の良い歴史的な宮殿式建造物群である。300年以上の風雨にさらされたこの古い宮殿建築は、かつて危険な状態になったことがある。このため1989~2009年、2度にわたって大規模な補修工事が行われ、その総投資額は4億元を超えた。また、18年末には期間10年で投資額が3億元に上るポタラ宮文化財(古書文献)の保護利用プロジェクトがスタートした。

その他、1997年に公布された『ポタラ宮保護管理規則』や2009年に改正された『チベット自治区ポタラ宮保護規則』、15年に公布施行された『チベット自治区ポタラ宮文化遺産保護管理条例』は、法制面からポタラ宮の保護にいっそう力を入れている。

白書『チベットの平和解放と繁栄発展』のデータによると、現在までにチベット自治区にある各種の歴史的建造物スポットは4277カ所で、そのうち指定された各レベルの文化遺産は2282カ所ある。中国は巨費を投じ、ポタラ宮やノルブリンカ、ジョカン(大昭)寺などの文化財旧跡の保護と修復を行っている。2006~20年には34億元余りを投入し、チベット博物館の増改築工事など155カ所の文化遺産の補修工事を行った。

チベット仏教はチベット地域に伝わる主要な宗教で、チベット文化を形作る重要な部分でもある。今、チベット自治区には、チベット仏教の活動施設が1700カ所以上あり、僧侶と尼僧は約4万6000人いる。また、チベット仏教学院と、その分院10校には僧侶と尼僧は3000人余りが学ぶ。0520年に、計240人がチベット仏教の最高学位「ドランバ(拓然巴)」を取得した。

チベット自治区の街を歩くと、マニ車(転経器)を持って回す信者や、風に翻るタルチョ(五色の祈願旗)を至る所で目にする。また、ほとんどの信者の家には小さい経堂と仏壇が置かれている。

習近平総書記が今年7月、チベット自治区を視察した際、チベット仏教で最大の寺院デプン(哲蚌)寺で次のように強調した。「宗教の発展法則は『和』にあります。いかなる宗教の生存と発展も、その社会に適応しなければならず、これは世界の宗教の発展と伝播の普遍的法則です。チベット仏教の発展は、人々の生活の改善と社会の安定にプラスにならなければなりません。チベット仏教が正しい道に沿って発展することを望み、この道がますます広く、ますます良くなることを信じています」

 

トゥールンデチェン(堆龍徳慶)県のジャラ(甲熱)村のショトゥン祭でチベット劇団のメンバーが伝統的なチベット劇を披露(新華社) 

チベット文化の輝き発掘

チベット自治区南部の秋は、空が高く爽やかな季節である。木々の葉は黄金色に染まり、遠くに見える雪山に照り映え、まるで一幅の油絵のようにカラフルで美しい。

整然とした石畳に沿ってロカ市ネドン区のザシチュドン(扎西曲登)村に入ると、街のあちこちで壁に掛けられたチベット劇の仮面を見る。仮面は口角を少し上げ、客を歓迎するかのようだ。リズミカルな太鼓の音がチベット式の建物からかすかに聞こえてくる。

長い歴史を持つチベット劇は、歌と踊り、語り、文学を一体化した総合芸術で、09年にユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録された。

ザシチュドン村は「チベット劇第一の村」として知られている。「ここでは誰もがチベット劇を演じることができるし観るのも好きです」と、16歳から師匠についてチベット劇を学ぶニマツリンさん(49)は言う。

同村では現在、129世帯513人が暮らす。1951年の平和解放以前、チベットは封建農奴制が敷かれ、喜びとめでたさを象徴するチベット劇の仮面の裏には、多くの農奴たちのつらさと苦しさが隠されていた。「当時、村の人々は、ほとんどがザシチュドン寺の農奴とわずかな土地を持つツァバ(農奴主に支配された農民)で、多くの人が代々チベット劇を演じるよう命じられていました」と今年79歳のツリンワンムさんは振り返る。

「毎年のショトゥン祭(雪頓節)はラサの貴族が楽しく遊ぶ祭りです。でも、秋の収穫に追われる忙しい時期なのに、村人はラサに行ってチベット劇の出演を手伝わされ、重い負担に耐えられなかったんです。姉は過労から病気になっても、医者に診てもらう金もなく、残念ながら亡くなりました」

51年の平和解放から59年に民主改革が実行されるまで、ザシチュドン村はチベットの多くの村と同じように全く新しい村へと生まれ変わった(9)。昔の農奴は、土地とウシやヒツジを割り当てられただけでなく、解放されてチベットの主人公になった。特に近年の貧困脱却政策の推進に伴い、村全体が貧困から抜け出し、人々の暮らしもいっそう豊かになっている。

「旧社会では、私たちは農奴主を喜ばせるためにチベット劇を踊っていたのですが、現在は伝統文化を復活させ、より多くの人に知ってもらうためです」とニマツリンさんは言う。今、ニマツリンさんが率いるチベット劇団には31人のメンバーがいて、470平方の稽古場を持っている。観客が多い時は一晩に6、7回公演するという。

2006年から現在まで、国の財政から計2億元以上を投入し、チベット自治区の国家レベル無形文化遺産の代表的項目の保護や、無形文化遺産伝承者の養成研修、無形文化遺産保護活用拠点の建設などに使っている。今では、チベット自治区にはユネスコの無形文化遺産として、「ケサル」(チベット古代英雄叙事詩)、「チベット劇」「チベット医薬浴法」の3件がある。また、国家レベルの代表的項目89件、自治区レベルの代表的項目460件を持つ。

チベットの言語と文字も良く保護され伝承されている。チベット自治区の小中学校と幼稚園では、チベット語と中国語のバイリンガル教育が普及している。チベット語の定期刊行物は16種、新聞は12紙発行されており、チベット語の図書も累計4009万冊出版されている。国の拠出により1984年、チベット自治区公文書館が新築され、300万巻(冊、点)以上の大量の貴重なチベット語公文書が保存され、所蔵されている。

フランスの作家ソニアブレスライさんは、2007年から4度もチベット自治区を訪問しており、その発展と変化は衝撃的だと感慨深げに語る。「西側メディアの報道とはまったく逆で、チベット自治区のインフラ整備が急速に進むと同時に、文化財や旧跡がよく保存されているのを目にしました。チベット自治区の伝統文化の保護に、中国政府が多大な努力を払っていることを実感しました」

 

にぎわいを見せるラサのバルコル街。さまざまな店が軒を連ね、国内外の観光客や地元民、僧侶や信徒が思い思いに街歩きを楽しんでいる(新華社) 

伝統と現代の共生発信

白い壁と、天井の横木に彩色や彫り物が施されたチベット式の門の扉を押し開き、チンジュデチさんの経営する民宿に入る。客室は清潔で、茶の間やシャワー室、台所も完備している。

チンジュデチさんの民宿があるザブジャン(札布譲)村は、ガリ(阿里)地区ツァダ(札達)県にあるグゲ王朝遺跡の麓にあり、数えきれないほど多くの国内外の観光客が、神秘的なグゲ文化を求め遠路はるばるこの地を訪れている。

チンジュデチさんは2006年から民宿業を始めた。「以前は日干しレンガの家で、トイレもシャワーも不便でした。多くの観光客が宿泊設備を見たらすぐに出てしまいました」と振り返る。

政府が展開する全国各地の力を集めてチベット自治区の建設を支援する政策の下、ザブジャン村は2018年に河北省の援助を受けて家屋の改築を行った。現在、チンジュデチさんの民宿は広く明るくなり、室内にはチベット式のソファーや低い机などの伝統的な家具がある。また、それだけでなくカラーテレビやワイヤレスネットワークなども整っており、民族的な風情を体験できると共に、現代生活の快適さも兼ね備えている。

伝統と現代がこの雪の高原で見事に溶け合い、活気に満ちあふれている。

ジョカン寺を一周するバルコル(八廓)街は1300年以上の歴史があり、ラサで最もにぎやかな商店街の一つだ。ここは昔ながらの街の面影をとどめており、道の両側にチベット式の建物が立ち並ぶ。タンカ(仏画の掛け軸)や銅像、ヤクのバター細工、美しいチェマ(祭事などに使う吉祥を象徴した木箱)、香ばしいカプセ(揚げ菓子)など、さまざまなチベット式の伝統工芸品や食べ物がズラリと並ぶ。プブツリンさん(46)はこの街でタンカと銅像を商う店を開き、もう20年余りになる。

現代と伝統のぶつかり合いは、バルコル街に新たな活力を生み出した。

「醍醐」という商店は、独自にデザインし開発したオリジナルな手工芸品を取り扱っている。チベットのお香やじゅうたん、イヤリング、ブレスレット数珠など多くの品が現代的なライフスタイルに合わせて改良されている。中には西洋風の芸術スタイルを取り入れたものもあり、人気を集めている。オープンから5年の同店は、バルコル街だけで3店舗を構える。

チベット族の伝統的な衣装もイノベーションによって現代の生活に溶け込んでいる。高原の自然環境と気候に適応するため、チベット族の伝統衣装の特徴は、「ゆったり腰回り、長い袖とスカート」で、素材はウシやヒツジの革、ウール、目の粗い綿布を主とし、生地はずっしり重く大きい。

改良された新しいチベット族の衣装は、デザインがより多様化し、着やすく、絹やサテン、リネンなどが多く使われている。チベット自治区の若者の間では、民族衣装とモダンな洋服のミックスが新たな潮流となっている。

チベット族の若い女性ニチェンさんは、ファッションデザイナーであり、カメラマンでもある。今のチベット族の人々の姿をカメラに収めることが好きだという。コーラを飲むラマ僧、ファッション誌を読むおばさん、シーフード料理が得意なシェフ、ラップが好きな女の子……「誰もが『二面性』を持つことができます。伝統的なところもあれば、現代的なところもあります」とニチェンさんは語る。

この悠久の歴史を持つ雪の高原は、伝統的でありながら現代的な文化の魅力を発信している。

 

人民中国インターネット版 2021

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