PART4 4人の女性から見る変遷

2021-12-24 11:25:00

ロブツェリン 王沁鴎=文

チベットの伝統的な文化において、「ドルマ」とは女神を表し、女性によくつけられる名前だ。歴史をひもとき、高原を渡り歩く中で、記者たちは4人の「ドルマ」に会い、彼女たちの背後にあるチベットの物語と時代の移り変わりに耳を傾けた。

 

ラサ駅で乗客に列車を案内するシュワンドルマさん(新華社) 

牛舎からの解放

デチェンドルマさん(65)は、生まれた時から貴族が所有する荘園に暮らす自由のない農奴だった。幼い頃の彼女は痩せこけ、髪はボサボサで、住む場所は牛舎しかなかった。

1959年3月、彼女の人生に転機が訪れた。中国共産党がチベットの各民族の人々を指導して民主改革を行い、デチェンドルマさんはついに牛舎を出た。「牛舎の牛はわが家に1頭分け与えられました」とデチェンドルマさんは当時を振り返る。彼女の母親は自分と娘が土地と家、家畜を手に入れられるとは信じられなかった。

社会制度の変革は旧チベットの女性および社会の下層にいた全ての人々に真の解放と平等をもたらした。旧チベットの法典では、女性は「下等下級人」に位置し、その「命の価値」はわら縄一本と同程度と規定されていた。59年にこれらの野蛮な法典は廃止された。

それからデチェンドルマさんは村に開設された小学校に通い、チベットの女性がずっと受けられなかった教育を受けた。改革開放後、彼女も他の村人と同じようにトラクターを購入した。この時、牛はもう不要になっていた。これまで農地と牛舎に囲まれた人生だったデチェンドルマさんは新たな生活をスタートした。いま、3人の娘は彼女の家から車で15分の距離にあるチベット自治区のロカ市で働いている。現地の農業機械化率は98%になり、農家はもう一年中農地にとどまる必要がなくなり、近場に出稼ぎに行ったり、商売をしたりするのが流行になった。

デチェンドルマさんは牛舎で生まれた4代目の子どもだ。「子どもたちは二度とあんな風にはならないでしょう」と語った。

鉄道で開けた進学の道

1981年、シュワンドルマさんはチベット自治区東部の山中にあるチャムドの村に生まれた。村から県内にある小学校に行くには、険しい山々を3日間歩き、トラックの荷台に立って1日揺られなければならなかった。

80年代、チベット自治区の深刻な人材不足とぜい弱な教育環境という実情に基づき、中国政府は内陸部でチベット出身の生徒向けに「チベットクラス(学校)」を開設する政策決定を行った。そして彼女は「チベットクラス」に合格し、車と船を乗り継いで半月かけて湖南省の岳陽中学校にたどり着いた。教育を受ける道のりは厳しかったが、「内陸部の学校に進学していなければ、今の私はありませんでした」と彼女は話す。

湖南省での4年間の学校生活では、ふるさとまでの距離があまりに遠く、交通が不便だったため、シュワンドルマさんは一度も帰省しなかった。村には当時電話が通っていなかったため、両親が「娘は学校に行ったまま行方不明になったのでは」と考え込んでしまうほどだった。当時を振り返ると面白くもあり切なくもある思い出だと彼女は言う。

2001年、ゴルムド(格爾木)市からラサ市に通じる青蔵鉄道の第2期工事が始まると、高校生だったシュワンドルマさんは、四川省の西南交通大学が青蔵鉄道の人材育成のためにチベット自治区出身の学生を募集していることを知り、迷うことなく申し込んだ。「卒業する頃、列車がふるさとを通過する風景が見たい」と決心した。 青蔵鉄道の開通から今日まで、シュワンドルマさんはずっとラサ駅で働いている。彼女が来たばかりの頃、駅の周囲は畑ばかりだったが、今ではラサハイテク産業開発区に発展している。現在、青蔵鉄道の営業距離は954、幹線道路の総延長は11万7000で、同自治区内の郷鎮、村の幹線道路開通率はそれぞれ95%と75%にまでなった。

シュワンドルマさんは毎年秋になると、内陸部の学校に進学するチベット族の学生を駅で見送る。多くの学校が駅と提携を結び、学生のために切符購入と送迎車手配のサービスを一本化している。それを見て「今の学生が本当にうらやましいです」とつぶやいた。

未来への道を切り開く

1990年代生まれのロサンドルマさんはモデルの仕事を選んだ時、母親と大げんかした。大学で法律を専攻したロサンドルマさんがファッションショーのランウェイを歩く姿は、母親にとって正業に就いていないように見えた。しかしロサンドルマさんはモデルになる道を諦めずに歩んだ。2011年、第25回ミススーパーオブワールドに参加した彼女は一躍中国エリア4位になった。

16年、ロサンドルマさんはラサでキッズモデルと情操教育養成のためのスクールを設立した。「子どもが独立し、自信を持つことを大切にしています。私は幸いなことに、自分の好きなことをやれていますが、生徒たちにも自分が打ち込めるものを見つけて、自分が得意な分野を恐れず探して、自分の未来を追い求めてほしいです」。このスクールに通う子どもの保護者から、子どもたちがモデルのレッスンを受けた後に自分の意見を述べたり自己表現をしたりするように変わったという意見をもらい、ロサンドルマさんは満足した。

一方その頃、標高4300以上のダムシュン草原では、放牧エリアに住むドルジェドルマさん(13)がサッカーを習い始めた。「女の子は女の子らしく」と両親から言われたが、学校の教師はドルジェドルマさんの熱意を後押しした。彼女が通う龍仁郷中心小学校はサッカー、バスケットボール、ローラースケート、ダンスなどのクラブを設立しただけでなく、女子サッカー部の開設も準備中だった。パサンツェリン校長はこう語る。「子どもたちがこれらのスポーツに対する興味を一つでも育んでくれれば十分です。これによって子どもたちがより社会に溶け込みやすくなり、より楽しい生活を送れるような手助けができます」

少し前に学校で年に一度開かれるサッカーリーグ戦に備えるため、ドルジェドルマさんの母親は娘に新品のサッカーシューズをプレゼントした。新品の靴を履いたドルジェドルマさんは、友達の女子生徒に声を掛け、男子生徒のチームに加わって試合に出た。学校は試合に特別ルールを定め、7人制サッカーでは各チーム少なくとも2人の女子選手を入れることにした。彼女らと彼らは、4000以上の高地を共に走り回る。女の子たちの熱意は、心配りと励ましに支えられている。

観客の「ドルマ走れ!ドルマ!」という声援の中、ピッチで青春を燃やす(10)ドルジェドルマさんは、高原に吹く風のように自らの夢に向かって駆けていた。

 

人民中国インターネット版

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