PART4 国際社会で高まる貢献度

2022-08-05 11:45:03

王焱=文 

現代の中国の青年たちは、自信を持った姿で国際的な活動に積極的に携わり、世界各国の人々と共に、より美しい世界の構築のために取り組み、人類運命共同体の構築を後押しするよう青春の力をささげている。 

  

五輪に貢献するボランティア 

今年の北京冬季五輪では、2万人近くのボランティアの若者が、大会スケジュールの管理・調整や車両の手配、会場の案内、言語通訳、情報の伝達などさまざまな面で活動を行い、全世界に青年の活力と貢献の精神を見せた。 

北京外国語大学北京日本学研究センターの博士課程学生である范暁雅さんは、北京冬季五輪開催中、日本オリンピック委員会の山下泰裕会長のオリンピックファミリーアシスタント(OFA)を務め、日本側のオリンピック関係者との連絡や案内・通訳を担当した。 

范さんは、2019年に北京冬季五輪のボランティア募集開始の話を聞くとすぐに申し込んだ。通知が届いたのは昨年秋で、面接・事前研修・試験・実地研修など一連のプロセスを経て、持ち場に就いた。山下会長により良いサービスを提供するため、事前にいろいろな準備作業をした。準備をする中で彼女は、山下会長が世界柔道選手権で3回優勝したことがあり、国民栄誉賞の受賞者だと知った。 

「厳しい方だと思っていましたが、実際お会いしたらすごく親切な方でした」と范さんは語る。「年齢が自分の父と同じぐらいで、親しみを感じました。いつも『キュート』な笑顔でいるので、その理由について聞いてみると、柔道の試合では相手をまず勢いで圧倒するために怖い顔をせざるを得なかったが、実はそういうのが好きではないので、普段は常にほほ笑んでいたいと言っていました」 

山下会長と初めて会ったとき、范さんは自分の大学を代表してマフラーを贈った。その後、山下会長はよくそのマフラーを巻いていたという。「北京冬季オリンピック組織委員会からもマフラーが届いていましたから、単に防寒用に巻いていたとは思いません。そのプレゼントに喜びと感謝の意を表していたのだと思います。贈り物が相手に大切にされるのは、本当に喜ばしいことです。とても感動しました」と范さんは語る。また、山下会長は「大規模な競技大会に数多く参加したが、北京冬季五輪のボランティアたちは素晴らしい」と高く評価したという。 

1月31日から2月21日までの22日間、范さんは北京冬季五輪の各エリアを往復し、ほとんどの会場を駆け回った。だが、大変だとは思わなかったという。「自分にとって、忘れられない22日間です」と范さん。「日本やカンボジア、韓国などに行ったことがありますが、その国の人としか触れ合えませんでした。しかし、北京冬季五輪では、行ったことのない国の人々にもたくさん出会い、一緒にオリンピックの精神を身近で感じました。非常に貴重な経験でした」 

  

異国で平和を守る戦士 

「3、2、1、起爆!」 

大きな爆発音とともに、レバノンとイスラエルの国境にある山の斜面が震えた。地雷撤去員の許暁露さんは、自分が発見した地雷が順調に起爆したのを見て、こわばっていた顔にほほ笑みが浮かんだ。「次に何が起こるか誰も分からないので、作業のたびに初めての気持ちで慎重に取り組んでいます」と許さんは語る。 

昨年8月、中国の第20次駐レバノン平和維持活動(PKO)多機能工兵分隊がレバノン任務エリアに派遣された。4人の女性地雷撤去員のうち、きゃしゃで物静かに見える「00後」(2000年代生まれ)の許さんは最年少だ。レバノンとイスラエルの国境には植物が密生しており、環境が非常に複雑だ。撤去員たちはまず地面に生える植物を処理してからではないと、次のステップに進めない。そのせいで、もとより危険な地雷撤去作業が一層困難になっている。 

許さんは今でも自分の初めての作業をはっきりと覚えている。「怖いなら、隣で他の人の作業を見ていてくれ」と最年少の許さんは班長から気を使われたが、きっぱり断った。「怖くありません。1発目は私がやります」と言って、班長について地雷原に入った。 

班長の判断では、地雷はすぐ近くにあった。許さんは訓練通り、地面の植物を取り除いてから、探知機を作動させた。すると、予想通りにすぐ近くで警報が鳴った。許さんは作業用バッグからスコップやはけ、ハサミなどを取り出し、ひざをついて息を凝らして掘り始めた。時間がたつとともに土壌が少しずつはがれていく。地雷との距離が縮むほど、スピードを落として慎重に見極めなければならない。ひざをついたまま30分間作業を続けた末、地雷の後部がやっと姿を現した。「人生で初めて地雷を発見したとき、私は自分に勝ったと感じ、そしてPKOに取り組む意味も分かりました」と許さんは当時の心境を語る。 

地雷原ではいつも予想外の危険な状況が起こり得る。もう一人の「00後」女性撤去員である孔晴さんはこういう経験をした。2人の戦友と地雷原で作業する中、1頭のイノシシが3人の後ろから突然飛び出してきた。驚いた孔さんは危うく叫び出すところだったが、イノシシを刺激して地雷原で暴走されたら大事故につながる可能性があったため我慢した。孔さんは恐怖を抑えながら戦友たちとゆっくりイノシシに近づき、イノシシを安全なところまで誘導した後、やっと胸をなでおろした。 

今年3月まで、中国の第20次駐レバノンPKO多機能工兵分隊は計4200平方㌔余りの地雷原を探索し、991個の対人地雷を撤去した。青春と情熱で世界平和を守る誓いを貫いた彼らは、国連の駐レバノン臨時部隊司令部から高く評価された。また、地雷撤去作業で生活の安全性が向上したことで、地元の住民はPKOの若い士官・兵士に会うたびに親指を立てて「いいね」の意を示す。「非常に光栄に思うし、自分がやっていることに意味があると自信がつきます。世界の平和はやはりみんなで守らなければと思いました」と許さんは語る。 

20年に発表された白書「中国軍の国連平和維持活動参加30年」によると、1990年代から、中国軍は25件のPKOに参加してきた。PKOの軍事要員延べ4万人余りを派遣し、彼らは青春をささげて世界平和を守った。そのうち16人の士官・兵士が任務中に殉職した。 

  

中国の駐レバノンPKO部隊は、地雷撤去任務の間に現地の生徒に地雷対策基礎知識のキャンペーンをした。中国のPKO部隊の青年兵士たちが、レバノンの生徒たちに防爆防護服を試着させている(cnsphoto) 

  

他国と共に「一帯一路」建設に 

2013年に「一帯一路」イニシアチブが打ち出されてから、中国は「一帯一路」の建設に向けて149カ国および32の国際組織と協力文書に調印した。中国の若者は次々と積極的に「一帯一路」の建設に参加し、世界各国の若者と共に、「共に話し合い、共に建設し、共に分かち合う」の理念を踏まえ、人類運命共同体の構築に若い担い手としての責任感を示している。 

昨年2月、中国人が春節(旧正月)を祝っていた頃、ギリシャのピレウス港に派遣された馬亮さんをはじめとする中国遠洋海運集団(以下「中遠海運」と略称)の若い中国人社員数人は、安全ヘルメットを着用し、巨大な浮きドックで機械のテストや船舶整備の進捗状況の確認に追われていた。 

ギリシャ語で「陸への通り道をふさぐ」という意味を持つピレウス港は、アテネから9㌔離れたギリシャ最大の港だ。欧州債務危機の影響により、ここは一時的に経営不振になっていた。機械が老朽化し、たくさんの船が他の港に泊まることになった。多くの地元の人々はふるさとを出て、生計のために他の町へ赴いた。しかし、08年からの中遠海運の投資により、この港は再びよみがえった。コンテナ取扱量は、10年の世界ランキング93位から20年には26位に上り、世界でも成長のはやいコンテナ港の一つとなった。 

「春節も家族とビデオ電話をするだけです」。馬さんは、家にいる5歳の息子のことを特に気に掛けながらも、自分の仕事を続けることを選んだ。「船には修理の期限があり、修理が遅れると船主に莫大な損害が発生します。お客様との契約を守るため、土日祝日にかかわらず全力で作業します」 

また、この港の発展は、地元のギリシャの若者たちに才能を発揮する場を提供することにもなった。20年に英国留学から帰国したギリシャ人の若い女性フランタチさんは、ピレウス港の未来の発展を見込んで、そこで働き始めた。フランタチさんは馬さんら中国の若手社員とよく業務内容について交流し、互いに学び合い、共に成長している。フランタチさんは、将来は中国に行って勉強を続け、さらに上を目指したいと言っている。 

  

タイでキャリア積む若手役者 

海外に住む新世代の中国の青年は、さらに積極的な態度で現地の文化・生活に参加している。劉洋陽さんはタイに暮らしてもう12年になる。大学3年生だった劉さんは10年にタイに留学し、現地の環境を気に入り、卒業後は現地の大手企業に入社した。14年のある週末、友人の紹介で、劉さんは撮影スタッフの通訳のアルバイトをすることになった。 

あるCMの撮影中、東アジア人の顔を持つ人を探していた監督は、撮影現場で劉さんを選んだ。彼女はとても興奮した。 

「たまたま主役が私の好きなアイドルだったので、一緒にCMを撮ることになり、すごくどきどきしました」 

仕事が終わった後も、劉さんは撮影チームと連絡を取り合い、彼らからよく映画の撮影を頼まれた。最初はセリフもない脇役ばかりだったが、それでもやる気満々だった。「通行人の役でも、どんな役でも引き受けました。朝3、4時に出発して、夜11、12時に終わることもよくありました」。劉さんは次第に他の撮影チームとも出会うようになり、より多くのチャンスを手に入れた。週末だけでは物足りなくなり、いっそ仕事を辞めてフルタイムで役者の仕事をするようになった。 

外国人が現地の俳優として成長する上で最大の問題が言葉の壁だ。劉さんはこう振り返る。 

「何年もタイ語の勉強をしていますが、なかなかネイティブと同じように発音できません。俳優の仕事を始めたばかりの頃は、標準的でない話し方をしていたため、よくその場で他の役者に代わられました。重要な役の面接で、二人から一人を選ぶという最終パートまで進んでいたのに、発音の問題で落選してしまったこともありました。そのときは特に悔しくて家に帰って大泣きしました」 

この道を進むと決めた以上、劉さんは人一倍努力する覚悟をした。タイ人の友人に発音を一字一句直してもらったり、タイの俳優に「このセリフはこういうトーンで」とアドバイスをもらったりした。時間があると、セリフを繰り返し練習した。 

15年、劉さんはタイドラマ『心の影』で男性主人公の秘書の役を手に入れた。その後、数百本のドラマ、映画、CMに出演した。その間にいくつかの地方テレビ局のアナウンサーも務めた。今は地元でも有名になり、ファンクラブもできた。「ショッピングモールに行くと、たまにファンに気付かれて一緒に写真を撮ることもあります」とうれしそうに語る。 

タイの人々の温かさや親しみやすさも、劉さんがここに残った重要な理由だ。先日、祖母を亡くしたが、彼女は新型コロナの感染拡大のため帰国することができず、とても落ち込んだ。 

「それを知ったタイ人の親友は、1カ月間私の家に泊まり込み、気晴らしに付き添ってくれたり、お寺にお参りに連れて行ってくれたり、祖母の冥福を祈ったりしてくれました。そのおかげでとても温かい気持ちになりました」 

中国とタイの交流が深まるにつれ、中国の発展という特急列車に乗ろうと、タイで中国語を学ぶ人が増えていると劉さんは言う。最近、彼女が最初に勤めた大企業から、タイのファッションを中国市場に進出させたいから広告塔になってほしいという連絡が来た。劉さんは将来、俳優としてだけでなく、中国とタイの文化交流の使者になりたいと思っている。 

  

今年2月、タイ映画に出演することが決まり、クランクイン前に現地のメディアのインタビューを受ける劉洋陽さん(写真・本人提供) 

 

関連文章