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後輩たちが続く~北京市アフレコ大会

ジャスロン代表 笈川幸司

北京第二外国語学院の学生会が主催した北京市日本語アフレコ大会は、今年で四年目を迎えた。

2006年4月、わたしが北京大学で教鞭を取っていた当時、教え子たちと思い出作りをしようと始めたのが、北京市日本語アフレコ大会。

二年生の会話授業のはじめに、「来学期はみんなで何かイベントをやろうぜ!」とわたしが提案し、学生たちひとりひとりがプレゼンをして決めたのがこの大会だ。

翌年5月には、北京市教育委員会の援助を得て、二年連続の開催。しかし、わたしが北京大学を去ってから、北京では、アフレコ大会が開催されなくなった。

そんなとき、ある男子学生がわたしに声をかけてきた。

当時、北京第二外国語学院の同時通訳コース一年生だった劉叡さんだ。本科で同時通訳コースのある大学は、わたしの知る限り、中国ではひとつしかない。

彼は、大学入学前に日本語の基礎があったが、自分の能力を発揮する場所を求めていた。

「スピーチコンテストでは、大学で日本語を学び始めた学生たちと競争して勝ったとしても、うれしいとは思いません。それより、自分たちでコンテストを開催したいので、どうかお知恵をお貸しださい」

智恵を貸すだけ、というのが条件だった。

「もしスポンサーがつかなかったら、資金は先生が何とかしようか?」

彼は、お礼を言いながらも意地を通し続けた。それからは毎晩報告があった。そのほとんどが、「今日もまったく駄目でした」というものだったが…。

授業が終わると、アポイントが取れた日系企業に出かける。往復のバス移動の途中で宿題をする。これが彼の日課となった。

「俺は、特別なことをしているから、宿題なんか少しぐらいさぼってもいい」という考えはよくない。劉叡さんもそれを肝に銘じていた。傍から見ると、いまどきの若者にしては珍しいくらい謙虚で、苦労をものともしなかった。

その後、第一回アフレココンテストが無事、学生会の手で開催され、劉さんの苦労を実際に見てきた後輩たちが後に続いた。

劉叡さんといえば、その後、京都大学への国費留学を果たし、中国に帰国後、全国通訳コンテストの同時通訳部門で優勝。現在、中国国際放送局でアナウンサーの仕事をしている。今年、菅直人前首相の辞任挨拶を彼が同時通訳したが、その模様はCCTVで放送されていた。

さて、今大会はどうだったかといえば、13大学53チームが参加し、決勝戦には12チームが残った。例年通り、アニメが中心だったが、今年はドキュメンタリー番組を取り上げ、「タバコを吸わないで!」というメッセージがこめられた出し物もあった。 今大会を仕切ったのは二年生の王玥さん。スポンサー集め、審査員集め、会場取り、ゲストを招待、山ほどある仕事をひとつひとつこなしてきた。そんな彼女が語った。

「いま、北京市アフレコ大会は、五つの大学で行われています。来年は、他校との差別化を図る上でも、ぜひ、全国大会を開催したいと思います」

今年、日本語講演マラソンを実施して、北京以外の都市では日本語コンテストが年に一回あるかないかという状況だとわかったが、北京のどの大学でも全国大会を開催すれば、北京以外の学生たちにもチャンスが生まれる。

来年は、そういう一年になるだろうか。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年11月30日

 

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