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忘れ物を取りに~大連講演会

ジャスロン代表 笈川幸司

「前人未到、誰もできないことですね!」

これは、日本語講演マラソン開幕式にあたり、中国のマスコミの方にかけていただいた言葉だ。確かに、以前誰かが同じことをしたと思っているわけではないが、誰もできない「偉業」とは思わない。少なくとも、これまで遥かに大きな日本語教育事業をされてきた大先輩がいて、わたしはその先輩方の意志を継いでいきたいと思いながらいまを生きている。

これまで何度か口にしてきたことだが、わたしには心から尊敬している先生がいる。中国で日本語を教えている日本人教師なら覚えておかなければならない方々だ。ひとりは故大平正芳氏。そして、大森和夫・弘子先生夫妻だ。

現在、中国の主要大学で日本語教育を推し進め、もっとも影響力のある先生方の多くは、大平学校の出身だ。今から三十年ほど前、大平学校と呼ばれる特訓クラスで日本語を学んだ中国の諸先生方が、その後、中国で日本語教育に取り組むようになった。そして、その諸先生方を実質育てたのが大森先生ご夫妻であると、個人的に思っている。

大森先生ご夫妻は二十数年前に私財を投げうって、中国で毎年作文コンクールを主催し、多くの人材を育てられた。わたしの事業が先生の足元にも及ばないことは重々承知しているが、先生とは同じ方向を見ているつもりだ。

九月に実施した大連講演会では、忘れ物をしてきた。

遼寧師範大学には曲維副校長がいらっしゃる。五年ほど前に大森先生にご紹介いただき、今ではたいへんお世話になっている。

大森先生ご夫妻を「おやじ」「おふくろ」と仰ぐ曲維先生は、わたしが大連を訪問するたびに歓迎会を開いてくださるのだ。しかし九月には、大学設立六十周年の式典と重なり、わたしの講演会が実現しなかった。この一件に関し、劉凡夫院長と李韡主任が気にされていたので、「必ず再訪問します」と言い残し、大連を発った。

それから二ヶ月が過ぎ、ようやく大連の地に戻ってくることができた。東北三省で約50回の講演を行い、心身ともにベストの状態で臨んだ「遼寧師範大学・笈川講演会」がようやく実現した。

誤解されては困るので触れておくが、わたしはどこへ行っても手を抜くことはしない。しかし、この日の舞台は気合いが違っていた。

中国日本語学会会長・修剛校長(天津外国語大学)を生んだ遼寧師範大学。大連で、いや中国における長い日本語教育の歴史の中で、常にトップを走り続けてきた遼寧師範大学。その教研室のすべての教師、そしてすべての学生たちが講演会場を埋め尽くし、わたしを待っていてくれたのだ。

わたしは腹の底から声を絞り出し、最大音量で約二時間語り続けた。

話は、すべて学生たちのために語っている。彼らを勇気付けることがわたしの仕事だと思っているからだ。ただ、彼らの反応を見て、わたし自身が勇気付けられることは多々ある。会場が大爆笑に包まれたときは、快感を飛び越えて達成感すらおぼえる。

秋も深まる大連の大舞台を駆け回り、上半身も下半身も汗びっしょりだった。そして、これまでにないほど大きな拍手をいただいた。

ことあるごとに「報告」という形で、わたしは大森先生に状況を伝えている。

そして、この講演会の大成功をいちばんに喜んでくださったのは、他でもない、大森先生ご夫妻である。

 

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年12月5日

 

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