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古巣に戻って~北京講演会(二)

ジャスロン代表 笈川幸司

日本語講演マラソンの実施中、唯一例外がある。それは、清華大学で講演を二回行ったことだ。

二〇〇一年十月、わたしは運命の糸に引っ張られ、清華大学の門をくぐった。そこに、馮峰主任の顔があった。笑顔があった。この十年、馮先生は常に笑顔でわたしを見守ってくれている。

わたしは清華大学で八年を過ごした。(北京大学では二年)

そのあいだ、馮先生はわたしに数え切れないほどのチャンスを用意してくださった。チャンスが多ければ、自ずと失敗もする。しかし、どういうわけか、失敗しても叱られたことがない。誰がどう見ても大失敗で言い訳すらできない場面、非難されて当然の場面で、わたしは常に褒められていた…。

わたしは、清華大学の教師でありながら、他校の学生を教室に集めて日本語やスピーチを教えるという特殊なことをしているが、おそらく、他校では許してもらえないだろう。

馮先生は、わたしの行為を「中国の日本語教育の発展のため」と割り切っている。トップがその考えだから、この点で同僚から文句を言われたことがない。コンテストで、清華大学の学生が、わたしが指導した他校の学生に負けたとしてもだ。

そもそも、馮先生のコンテストに対する考えはわたしと似ている。本気で一等賞を目指していないのだ。コンテストを通じて能力を高め、人間力を高めるといった、他人が口を揃えてキレイゴトだと言いそうなことを、本気で信じてやっている。

自慢話だと思われたら意図に反するが、馮先生にはこんなエピソードがある。

九年前、清華大学主催の北京市大会で成績トップが二人いた際、馮先生は、独断で他校の学生を一位に、自分の学生を二位にしたことがある。また、清華大学の学生が一位から三位まで独占した際には、大学名を出さずに結果発表をした。

教え子が全国大会で優勝しても別段褒めることはせず、成績が悪かった学生を本気で慰めている姿を見たときには驚いた。そして、これが馮先生なのだと知った。

「笈川先生がそんなに目立っていたら、主任に嫉妬されませんか?」 このようなことを冗談で聞いてくる人がいるが、それはあり得ないことだ。

「笈川さん、清華大学の名前と優秀さを、全国に広めてください」

これが馮先生の気持ちだ。日本語講演マラソンが始まってからもたびたび激励の電話をいただく。そして、わたしが北京に戻ったときには毎回お会いするが、そのたびにこうおっしゃるのだ。

さて、講演中、はじめて清華大学の一年生に会った。

1999年に日本語学科が設立されて以来、わたしは清華大学のすべての学生の授業を担当してきた。だから、彼らだけが教え子でないのだ。しかし、この講演のあと、数名の学生から連絡を受けた。

日本語講演マラソン実施中、日本大使館から後援名義をいただき、リクルートさん、CASIOさん、インターリンクさんから支援していただいている。しかし、全行程をこなすにはまだまだ資金が足りない。

そこで、冬休みを利用し、北京で特訓クラスを開く。そこで得た資金で、来学期も講演活動を続けたいと思っている。以前、この活動を一日先に進めることは奇跡に近いことだと書いたが、実は、毎日が奇跡の積み重ねである。

今回、うれしいことに講演を聴きにきた清華大学の一年生たちが、次々と特訓クラスに申し込みをしてくれている。

奇跡を起こすことに協力してくれる彼らに感謝している。

 

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年12月10日

 

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