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天皇誕生日を祝って

ジャスロン代表 笈川幸司

「お前は少しぐらい格好つけて、良いスーツを着ろ」

母の言葉だ。

毎年この時期に、日本大使館公邸で天皇誕生日を祝う式典が行われる。そのたびに同じスーツを着ていくわたしに、母はあきれている。

十五年前、衆議院議員の公設秘書になったとき、いちばんに喜んでくれたのが母だ。大学時代、社会人並に稼いだときには褒めてもらえなかったが、ボランティアをして誰かに喜んでもらったときには、「大したもんだ」と笑っていた。

2007年秋、日中国交正常化35周年では、日本大使館公邸で挨拶をさせてもらうことになった。電話で報告すると、受話器の向こうから弾む声が聞こえた。

「お国のためだから、どんなに忙しくても出席しろ!」

国歌斉唱のとき、わたしは胸に手をあててみた。そうする人は他にいなかった。それでも周りの人を気にせず、目を閉じてみた。胸に手をあてて国歌を聴くと、何とも言えない気持ちになる。表彰台に立って国歌を聴くオリンピック選手は、いったいどんな気持ちなのだろうか…。

丹羽大使の挨拶のあとは、歓談の時間だ。

今回700人が招待されたと聞いたが、正しい数でなかったら申し訳ない。

とにかく、人が多かった。そして、人ごみの中から、久しぶりに数人の教え子が声をかけてくれた。

日本で活躍している盛葉蘭さんは清華大学2002年入学組。「睡眠以外はすべて仕事の時間、それでも仕事が楽しい」と言っていた。天津政府に勤めている張晶さんは北京大学2003年入学組。立派なスーツを着てバリバリ仕事をやっているようだった。そして、周辺の方からまた褒められた。「いやあ、先生。この子のような学生を、どんどん育ててください」と。

「日本人なのに日本のことを知らない」

十年前、北京に来たばかりのときに悟ったことだが、恥ずかしいことに今でもちっとも変わっていない。それでも、お茶をいただき、茶菓子をいただき、「ああ、日本って良いなあ」と思えたのだから、少しは進歩したのだろう。

それから、「日本が好きです」と本気で言ってくれる学生に会うと照れてしまうが、そろそろ自分でも、「日本が好きです」と言っても良いだろうか。

日本を思うときがある。

三月、集落ごと津波に流されていくシーンがニュースで放送されたときは涙が溢れた。母が生まれた集落は、もう、なにも残っていない。

いま、仮設住宅に避難している母を思うときが、日本を思うときだ。

「お前は何も考えないで、中国の子どもたちのために頑張ってれば良いんだ」

母が言う。

母も、わたしが日本語を学ぶ中国の学生たちのために汗を流すことが、日本のためになるよう祈りながら生きている。

 

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年12月10日

 

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