People's China
現在位置: 連載笈川講演マラソン

夜行バスに乗って~湛江講演

ジャスロン代表 笈川幸司

地図を見ないで旅することが良いのか悪いのか。今回は、湛江講演を終えたあとに地図を見たが、正直、あらかじめ見ないで良かったと思った。

湛江という街は広東省の東の端、海南島のそば、広州から夜行バスに乗って6時間のところにある。走行距離は500Km。個人比ではハードな日程だった。

前回記述した通り、広州郊外にある広東省从化市で講演を終えたあと、一旦広州のホテルに戻ってチェックアウトし、急いでバスターミナルに向かった。そして、夜行バスに揺られながら湛江市へ。到着後、広東海洋大学、湛江師範学院で講演を行い、その夜に再び夜行バスに乗って広州に戻るという、過去に前例のないスケジュールだった。更に広州に戻って講演をしたあと、その翌日は、広州から500Km西に離れた場所にある潮州へ向かうことを考えると気持ちがなえそうだった。昔々の五輪メダリスト、君原選手の「次の電柱まで走ろう!式」で、湛江講演だけに気持ちを集中させた。

朝四時半の湛江駅。広東海洋大学の李晶主任が迎えにきてくれていた。朝、四時半だ。ふと見ると、ゆうに五十を過ぎた大学教授がいた。そして、目を疑った。

しかし、出身が内モンゴルと聞くと心底安心した。なぜなら、わたし自身、誰かに細かいところまで気を遣ってもらうのが苦手だからだ。モンゴル出身の男性は、細かい気配りが得意というよりも、背中で引っ張っていってくれるタイプが多い。天津科技大学のチョルモン主任がそうだったし、深圳職業技術学院の韓勇主任もそうだった。口ではなにも言わないが、心が温かいのだ。

「12時にまた迎えに来るから、ここで休んでください」

大学の招待所に連れていってもらい、昼前まで睡眠を取ることができた。夜行バスでは眠れないことを予想していたかのように。おかげで講演開始前には、気力体力が復活していた。このような表現は、まるでパソコンで格闘ゲームをしているかのようだが、パワーが復活したというのがもっとも相応しいように思う。

さて、本題に入ろう。広東海洋大学では講演開始直前に、李主任から、ほら貝をプレゼントされた。そういえば戦国ドラマか何かを見ていた幼少のころ、喉から手が出るほど欲しかった憧れのほら貝。あれから30数年を経て、ようやく手にした本物のほら貝は湛江の名物だった。それで、気分を良くして話し始めることができたのだ。

広東省に来てほんとうに感謝しているのは、どの大学も講演受け入れを完璧にしてくださったことだ。どの会場でも、日本語を学ぶ全ての学生と全ての教師が集まっていた。いやらしい話になるかもしれないが、観衆が多ければ自然と力が入る。観衆の笑い声が大きければ、相乗効果でこちらの気持ちも乗るからだ。

わたしは芸人ではないから、6秒に1回話に笑いを入れる技術がないし、そういう講演はできない。ただ、学生たちを楽しませるため、1分間に1回、90分で90回大爆笑してもらえるよう工夫はしている。講演が終わり、部屋に戻って反省する点は、もっぱら笑いどころが弱い、間が悪かったなどという話で始まり、今日は『人志松本のすべらない話』を見て勉強しよう、綾小路きみまろさんのライブを3回見てから寝よう、という話で終わる。

講演が終わり、夕食をともにした際にはじめて知ったのは、大学時代に教育心理学を専攻されていた李晶主任が、わたしの講演中にどんな点に気を配っていたのかを客観的に分析してくださっていたことだ。

90分間、300人を前にすべての観衆の目を一点に集めるときに、同時に使う技術は6つ以上あるということ。声の高さ、大きさ、話のスピード、目つき、ま、動作、映像を見せる効果はテレビコマーシャルと同じ、声帯模写、誇張したモノマネ、等々。すべて見抜かれていた。

海洋大学での講演を終えると湛江師範学院に向かった。

前日、講演時間を午後から夜に変更して欲しいと依頼したところ、「まあ、聞いただけで気絶しそうよ。わかったわ、会場をすぐに変更しますから、明日期待していますよ」と快諾してくださったのは陳俊英主任。その期待にどうしても応えたかった。

会場に入るなり、雷鳴の如く響き渡る歓声が鼓膜を駆け巡った。それは、すべて陳主任が学生たちにわたしのことを紹介してくださったおかげだ。もともと、わたしのことを知っている学生などいるはずがない。にもかかわらず、わたしが書いた出版物を両手に掲げて歓迎の気持ちをあらわしてくれる学生たちがあちこちに見えた。講演中は、期待以上の大きな笑い声が聞こえ、最後に学生全員が起立したまま、日本の曲を歌ってくれた。涙があふれてきた。

夜行バスは11時半に出発。その時間まで、数名の学生と一緒に陳主任のマンションへ行って、ひと休みした。

湛江、初めての地。

ここに来る前は、不安で不安で逃げ出したかった。そんな気持ちを解放させてもらい、多くの人たちに助けてもらって何とかやり終えることができた。一生忘れられない一日をすべての学生にプレゼントしたい!と毎日努力し続けているが、毎回、どうも反対の結果になってしまう。

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2011年12月24日

 

同コラムの最新記事
夜行バスに乗って~湛江講演
満員御礼ありがとう~从化講演会
まったく期待をしていない~深圳講演会(二)
中山講演会
中国人の日本語作文コンクール