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久しぶりの緊張感~北京講演会(三)

 

ジャスロン代表 笈川幸司

朝7時に北京工業大学に到着。それは、「8時から始まる講演会を前に一緒に朝食をとりましょう」と張主任に誘われたからだ。

張先生とはかれこれ6年のお付き合いになる。企業経験があり、気遣いのできる女性。これが第一印象だった。そしてこの6年、何かイベントがあるたびに手に手をとってやってきた。

また、毎年6月に日本文化祭が開催されるが、まだ結婚していないときから妻が、「出口先生」として招待され、学生たちにお化粧をほどこしてきた。

ここに面白いエピソードがある。妻は学生たちにお化粧をするのが好きで、数年前からずっとやってきたのだが、昨年の日本文化祭で、ある学生にお化粧をしたあと、自分の顔を鏡で見せたところその子が驚いた声で、「あっ、きっ、きれい」とつぶやき、ため息をついたそうだ。

中国の大学生でお化粧をする子はまだまだ少ないが、「美しくなりたい」という気持ちはどこも同じなのだろう。

北京工業大学とわたしたち夫婦は、日本文化祭やスピーチ大会、朗読大会など、様々なイベントを通したご縁によってつながっているというわけだ。

さて、今回は冬休みに特訓クラスに参加してくれた2人の1年生たちの性格が、新学期に入って突然明るくなり、授業を積極的に引っ張ってくれ、教師にいろいろ協力してくれてありがたい!という理由で急遽招待され、北京講演会が実現した。

この大学の有名人をひとりだけ挙げるのは難しいが強いて言えば、徐乃馨さんだろうか。昨年大学を卒業し、いまは金澤大学の大学院に通っている。彼女は、カルタ(百人一首)が趣味で、段取り(初段)に成功した最初の外国人だ。

わたしは、講演活動を2007年に始めたが、最初は「無償でやらせてください」と言っても、「いやいや、今学期は忙しいから…」と面倒臭がられ、すぐに受け入れてくれるところがなかった。

あれから5年、「学生たちの日本語が上手になるのは、私たちの喜びだから、笈川先生には何度でも足を運んでいただきたい」とおっしゃる。

何事も焦らずに、ひとつひとつやることだ。

ところで、この日の夜にはもうひとつの講演があった。それは、数年前、北京郊外にある良郷大学城に建設したばかりの北京理工大学だ。

留学生も少なく、日本人が来るのは珍しいとあって、本科生50名のほか、日本語愛好者5、60名を加えた総勢100名を越す観衆が集まってくれた。

その日は、わたしのファンとおっしゃる譚先生がアレンジしてくださった。ちょうど、NHK「テレビで中国語」のカメラも入り、会場は最初から盛り上がっていた。

実際、久しぶりの講演で何から話せば良いのかもわからず、個人的に言えば、これほどひどい講演会はなかったのだが、大観衆の協力が予想外に大きかったお陰で、暖かい雰囲気が会場を包み込みこみ、常に安定していた。

北京理工大学といえば、毎年秋に開催される大学二年生スピーチ大会が思い浮かぶ。おそらく、大学二年生大会は、中国ではここだけではないだろうか。

午前中に予選を行い、勝ち残った約20名だけが午後の本戦に臨む。この大会はレベルが年々上がっていて、著名な方が審査員をするようになった。

北京理工大学の功績は、誰の目から見ても明らかだ。

講演会は生き物だ。だからこそ、失敗するとひと晩中眠れないし、うまく行き過ぎても、良かったシーンが脳裏をよぎってなかなか眠れない…。

この日は、どちらかといえば、後者だった。

 

笈川幸司

1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。

2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/

 

人民中国インターネット版 2012年4月9日

 

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