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一筋の日の光と小さな歩み

 

鈴木 洋晶

私が大学で中国について学ぼうと決めたのは、高校生の頃に李香蘭の半生を描いた劇団四季のミュージカルを観たことがきっかけだった。李香蘭は、中国人として当時「満洲」と呼ばれる中国東北部で女優活動を行った日本人であり、中国と日本の2ヵ国を祖国にもつ彼女の半生には深く考えさせられるものがあった。そして、その背景である「満洲」について調べてみたいと常に思いつつもなかなか行動に移せない日々が続いていた。だが今年の7月、私は実際に「満洲」があった中国東北部を訪れ、中国や韓国の学生と共に当時から現在の東アジアについて考えるといったスタディツアーに参加することができた。このスタディツアーでは、事前学習を経て現地へ向かうという構成だった。学習を通して感じた点、現地での交流や訪問を通して感じた点はそれぞれ異なるものであったが、どちらも現在冷え切っている東アジアの関係を溶かしてくれる日の光になりうる重要な要素を秘めていた。

事前学習では、講義に加え、3、4人の班でのプレゼンテーションを各大学に同時中継するというものもあった。私の班は満蒙開拓団に実際に参加した人々や彼らを受け入れざるを得なかった人々についての発表を行った。そのときに痛感したことは、歴史1つ1つは国家だけではなく国民1人1人が関わっている問題だということだ。中学生の頃教科書で満蒙開拓団について調べたとき、満蒙開拓団に参加した人は政策によって半強制的に行かされたか、騙されて行くことを決めた被害者なのだろうという印象を受けた。だが、現地で日本人が他の人種を差別する行動を取らなければ、ここまで現地の人に根強く残り続ける問題にまでならなかったのではと思ったのだ。一見すると歴史の出来事はすべて政府の責任で国民はただ巻き込まれただけと思いがちだが、国民1人1人も当事者なのであることは忘れてはならないと感じた。

また、現地で実際に中国、韓国の学生と歴史問題や現在の国際情勢について話し合うことはこれまでにない機会であった。ある日歴史認識についての話し合いを班で行った際、気まずい雰囲気になってしまったことがあった。話し合い後は皆で食事に行く予定だったが、それも難しいと思わせるくらいの雰囲気の重さだった。だが私の思いは杞憂に終わり、話し合いが終わった後ごく自然に会話に笑いが加わり、夕食後にはカラオケで互いの国の歌を歌い合うまでに至った。この流れはとても重要な要素を持ち合わせているように感じた。つまり、歴史は歴史で忘れてはならないことだと思う。戦争の痕跡があちこちに残る町で暮らす人と、ただ知識として知っているだけの人では戦争への思い入れが変わってくることも考慮せねばならないことだということも、班員の意見で気付かされた。だが、最も大切なことはこれからその歴史をどう活かし、これからの国際関係をどのように良い方向へ持って行くかだと思う。「満洲」に関する歴史について各々の考えを持つ班員が全員賛同した意見があった。それは、「私たち若者は未来に生きるのだから、これからどう東アジアの関係を良好なものにしていくかが最も大切なことだ、」というものだった。歴史を忘れないようにしなければならない最も大きい理由は、そこにある歴史問題を解決するためではなく、同じ過ちを犯さないようにするためなのだ。

今回の交流は小さいものであるかもしれない。だが、歴史問題について真剣に話し合え、かつその話し合いが終わると歴史に関係なく親交を深められる関係、歴史は歴史として慎重に扱う一方で、現在の東アジア情勢のようにそれに固執するようなことのない交流こそが今日に求められているものなのではないかと、私は強く感じた。そして、こういった小さな交流を積み重ねていくことで、各国間の関係も良くなっていくのでは、という考えが安直なものではないことを実感することができたスタディツアーであった。

人民中国インターネット版 2015 年12月

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