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透明な壁

 

山崎 顕吾

喫茶店でアルバイトをしている最中、お客さんから苦情を言われた。行ってみると、そのお客さんの隣の席に中国の方が四名、賑やかに談笑している。中国人同士であるから勿論中国語である。苦情を伝えにきたお客さんが言うには、マナーがなっていない、ということだった。騒がしくて迷惑だ、注意をして少し静かにさせてほしい。そういう趣旨のことを述べ、最後に「これだから中国人は」と、付け加えた。私は苦情を受け、店員という立場上、声の調子を抑えてもらうよう中国人のお客さんにお願いをせざるをえなかったが、何故だろう、すっきりとしない。苦情の最後に付け足された言葉に、じりじりとしたもどかしさを感じた。私自身が謂れ無き中傷をされたかのように。

吐き捨てられるように付け足された「これだから中国人は」という言葉には、言った人が意識しているかどうかはともかくとして、侮蔑したような響きがある。少なくとも私にはそう感じられた。ちょうどその頃、私は五週間の北京留学から帰ってきたばかりであり、余計に敏感になっていたのかもしれない。しかし、実際に中国に行って現地の人達とふれあってきたからこそ言えるのだが、「これだから中国人は」は明らかに偏見である。

とはいえ、かくいう私自身も、実は中国留学の当初、マナーについて悩まされることが度々あった。地下鉄に乗れば、声を張り上げて携帯片手に通話している人がいる。「やはり中国」と思った。その他にも公共の場で、大声で話をしている人を目にする度に、「さすがは中国」などと思ったりした。

北京に滞在して3週間が経った頃、以前東京で日本語を学んでいた友人の盧さんが、私達が北京に来ていると聞いて、会いに来てくれた。そして、北京の横丁、いわゆる胡同を案内してもらった。胡同は人、人、人。まさに喧々囂々、行き交う人たちが大声で話しながら歩いている。私の語学力が低いせいもあって、周囲の会話の内容が理解できず、声の調子を聞いている限りでは喧嘩をしているようにしか思えなかった。よほど私の表情がこわばっていたのであろう、盧さんはそんな私を心配してくれ、次のように言ってくれた。「日本とは様子が少し違うかもしれないけれど、みんな喧嘩をしているわけではなくて、仲が良いだけ。仲がよくなればよくなるほど声も大きくなるの」。

その時、私は文化の違いを体感したような気がした。今までにも文化の違い、異文化という言葉は耳にはしていた。だがそれは、観念にしか過ぎなかった。文化の違いを生々しく体感したその瞬間、北京に来た当初、心に湧いた「さすがは中国」「やはり中国」という思いは、一種の偏見であることに気がついた。「日本ではこんなことありえない」、無意識のうちに「日本では」という先入観で向こう側を眺めていた。無論、それではあちら側まで見通せるはずがない。盧さんの言葉は不意打ちだった。一つの事象でも、違う角度から見れば全く違って見えてくる。「喧嘩しているように見える」のと「仲が良さそうに見える」のとでは正反対だが、何がそうさせているかというと、それこそ文化の違いである。ある中国人の友人がこんなことを言っていた。日本の電車は車内がしんとしていて圧迫感を感じる、と。きっと「中国では」ありえないのだろう。周りに迷惑をかけまいとする日本人の気遣いが、かえって気詰まりになっていたようだ。

自文化中心という透明な壁。見えづらいからこそ頭をぶつけやすい。摩擦なく交流するためにも、まずはその壁を認識することが大事だと思う。今回の短期留学で実感したが、実際に触れあってみることが大切だ。異文化を直に体験したその時、透明な壁の存在に気づくだろう。物理的に近くにいても、声に出して近づかないと心の距離は縮まらない。日本人同士だけでしか通用しない以心伝心ではなくて、「以言伝心」「以行伝心」、これが透明な壁の扉を開く鍵になるだろう。

 

人民中国インターネット版 2015 年12月

 

 

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