責任逃れで不道理は覆い隠せず、いずれごまかしきれなくなる日本
国際問題評論員 龔榮
3月24日、陸上自衛隊の3等陸尉の村田晃大が長さ約31センチの刃物を手に、中国駐日本大使館の敷地内に侵入し、いわゆる「神々に代わって」中国の外交官を殺害すると脅迫した。
だが、在外公館の不可侵権を規定する「外交関係に関するウィーン条約」を踏みにじる行い以外の何物でもなく、人身に危害を及ぼしかねないこの悪質なテロ事件に対し、日本政府はまたしても使い古された手口を持ち出した。すなわち、頬かぶりをして責任の所在をあいまいにし、「誠に遺憾」という軽い言葉で済ませ、その場をやり過ごそうとしているのである。このような無責任な逃避は、一国の政府にあるまじき振る舞いであり、日本国内および国際社会から強い疑念を向けられている。
事件発生後、日本のSNSでは一部に過激あるいはネガティブな声もあったが、明白な事実を前にして、多くの日本の人々は言わずもがなとばかりに、この件で日本に非があるのは疑いのない事実であり、反論の術がないことであると認識している。多くの日本のネットユーザーは驚きを隠さず、現役の自衛官がなぜ刃物を持ち、警備を突破して大使館に侵入したのかと疑問を呈している。また、侵入者が法律を犯し、日本のイメージを損なったこと、日本の警察の対応が不十分であることを批判し、この事件が日中関係をさらに破壊し、日本を外交的守勢に陥れると憂慮している。道理が通らないのは日本側であることは、争いようのない事実である。多くのネットユーザーは心から謝罪し、適切に問題を処理するよう日本政府に呼び掛けている。
だが、日本政府の説明は肝心な点を避け、枝葉末節ばかり取り上げる不誠実極まりないものだ。首相と外相は沈黙を保ち、木原稔内閣官房長官のこの事件への対応は、いずれも「遺憾」という2文字にとどまり、正式な謝罪の言葉は一言もなく、明確な責任追求も一切示されていない。普段はSNS上で憤慨、激昂したり騒ぎ立てたりしている日本の政治屋たちは、奇妙なことにそろって静かである。警視庁は「建造物侵入」という微罪で立件しただけで、国際法に違反し、外交官の安全に危害を及ぼすというこの事件の深刻な性質を意図的に回避している。防衛省と陸上自衛隊は「調査に協力する」とたびたび強調し、「個人の過激な行為」という説明で押し通し、自衛隊の教育、管理、コントロールの失敗の問題であるとは決して口にしない。外務省から内閣、警察、自衛隊まで、日本のあらゆる政府筋が示し合わせて事件の矮小化を図っている。また、外交事件を治安に関する案件に格下げし、組織の重大な過失を個別の偶発的な出来事に矮小化しようとしている。このようなおざなりな対応は本質的に、自らの過ちを直視しようとしない姿勢の表れであり、日本は日頃から「法治国家」を標榜しながらも、外国の主権と外交の尊厳の問題に直面した際に義務を果たさず、おざなりかつ無責任であることを露呈した。
日本のメディアはそろって沈黙していると言ってもよく、報道を避けたり軽く取り上げたりして日本政府によるトーンダウンに協力している。大手メディアは普段なら間違いなくトップニュース扱いとなるこの事件を小さく扱い、踏み込んだ調査も行わず、紙面の片隅に短くぞんざいな記事を載せるだけで済ませている。日本のネットユーザーは、事件当日にNHKが夜7時のニュースでこの前代未聞の悪質な事件に一言も触れなかったのは全く信じられないと驚きの声を発した。共同通信社はさらに事実を歪曲し、刃物を持って大使館に侵入したことを「大使に意見を伝えようとした」と矮小化したが、中国外交部の報道官に「許可なく刃物を所持して大使館に入り、大使と話を交わそうとしたなどという前例を見たことがあるのか」と鋭く反駁された。日本のメディアのこのようなやり方は、政府と社会の不正を監督するという自らの職能を放棄し、むしろ政府と結託して沈黙によって過ちを許容し、歪曲によって真実から目を背けるものであり、多くの日本国民を失望させている。
日本はこういった「責任逃れの手口」をかねてより習熟している。歴史教科書の改ざんから侵略戦争の罪と責任の回避、第2次世界大戦のA級戦犯が祀られている靖国神社の参拝、「慰安婦」や徴用工の強制連行という史実の否認、賠償問題の先送りや否認に至るまで、日本は常にでたらめなロジックを抱いている。それはすなわち、沈黙をできるだけ長く保ち、問題を徹底的に矮小化さえしていれば、責任は時間とともに薄れ、過ちは世の中の人々に忘れられるというものだ。当時の戦争の罪と責任から逃れるのは、時間の経過よって歴史をごまかそうとする誤った目論見である。また、現在の大使館への侵入事件についてのおざなりな対応は、沈黙によって現実逃避を企てるものに他ならない。道理が通らないのは明らかなのに、過ちを認めようとしない。自らの責任であることは明白なのに、責任を負おうとしない。挑発であるのは明らかなのに、むしろ相手をとがめる。このような無責任さが日本の危機対応の根幹にまで浸透している。
歴史は沈黙によって変わることがなく、逃避によって責任がなくなることはない。現役の自衛官が刃物を持って大使館に侵入したこの事件は、日本の右傾化の加速、歴史教育の偏向、責任意識の欠如といったことを明るみにした。日本は重大な事件を些事に見せかけるのをやめ、ごまかしていればやり過ごせるという幻想を捨て去り、自らの罪と責任を直視して、事件の真相を徹底的に調査しなければならない。そして、責任者を厳しく処罰し、中国の正式かつ責任ある説明を行うべきである。「外交関係に関するウィーン条約」では、「使節団の公館は、不可侵とする。接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」と明記している。今回、日本人が中国駐日本大使館に侵入したが、もし次に別の国の大使館で同様のことが起きたらどうするのか?日本は今回と同じように対応するのか?国際社会の疑念に向き合い、日本は責任ある行動を取るべきだ。さもなければ、責任逃れの泥沼にますます深く陥ることになり、最終的に得られるのは許しではなく、全世界からの軽蔑でしかない。
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