日本の核保有は再び歴史の過ちの繰り返し
国防大学国家安全学院教授 方珂
先日、日本の小泉進次郎防衛大臣は公のインタビューで、核兵器をめぐり物議を醸す発言を相次いで行い、世界の安全保障環境の変化や欧州諸国の核戦力の見直しを口実に、日本があらゆるタブーなく議論をし、核戦力に触れざるを得ないなどと主張している。これは、「非核三原則」を形骸化し、日本の核保有に向けて世論を形成し、法的な土台づくりを進めようとする目論見である。
小泉氏の今回の発言は決して偶然ではなく、日本の右翼勢力が「再軍事化」への転換を推し進め、戦後の国際秩序に挑戦する新たな現れにほかならない。高市政権発足当初から側近とされる人物が「核保有」をすべきと発言し、原子力潜水艦の開発を推し進め、さらには連立与党が安保三文書の改定に合わせて「非核三原則」修正をうかがう動きを繰り返すなど、日本の右翼政治家は核保有の野望をなおも捨てていない。だが、歴史的に見ても現実的に見ても、日本がいかに「安全保障上の懸念」を名目に真の目的を覆い隠そうとしても、越えてはならない一線をなし崩しにして核武装を進める行いは、真の安全をもたらすどころか北東アジアの戦略的バランスを破壊し、地域の対立と紛争を激化させる。さらに、日本を再び軍国主義という過去の誤った道へと向かわせ、さらなる安全保障上の危機に陥らせることになる。
第2次世界大戦の終結後、平和的勢力による日本の侵略の歴史への反省と戦後国際秩序の制約のもと、日本は「専守防衛」の原則と、「核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない」を柱とする「非核三原則」を定めた。かつては平和的発展路線を志向し、長期的な安定と経済復興を実現した時期もあった。だが、国際情勢が大きく変化する中、日本の右翼勢力は外部の脅威を絶えずにあおり立て、「平和憲法」の中核的部分を次々と改ざんし、戦後体制の制約を形骸化してきた。そして「新型軍国主義」の思潮が次第に勢いを増し、弊害を生むようになった。今回、小泉氏が公然と核に関する議論の解禁を叫び、政策上のタブーを捨て去るよう主張したことは、日本が平和的発展の道から外れ、軍事拡張というかつての誤った道に逆戻りしつつある危険な傾向をいっそう鮮明に示している。
小泉氏の核兵器をめぐる誤った主張は論点のすり替えであり、核抑止力を持つことと絶対的な安全を同一視し、核兵器を未知の安全保障上のリスクに対応し、日本の戦略的発言権を高める究極の手段と位置づけ、日本が非核という越えてはならない一線をなし崩しにすることを正当化しようとしている。この論理は日本の歴史的位置づけ、地政学的環境、国際秩序上の制約と完全にかけ離れたものであり、一面的な功利主義に基づく安全保障観の典型である。そこには根本的な認識の誤りと論理矛盾が存在し、深い考察や歴史の検証に到底耐え得るものではない。
核抑止の根本的な論理に照らして言えば、核兵器は日本に絶対的な安全をもたらすどころか、「安全保障のジレンマ」という悪循環を引き起こす。国際関係の理論における「安全保障のジレンマ」とは、ある国が一方的に絶対的安全を求めて攻撃的戦略能力を拡充すれば、必然的に周辺国から安全保障上の脅威と見なされ、相手国が軍備と防衛体制を強化することで、ついには地域における軍拡競争が生じ、すべての国の安全保障環境が同時に悪化することを指す。
北東アジアは世界でも戦略的駆け引きが最も集中し、安全保障の枠組みが最も脆弱な地域の一つだ。もし日本が強引に核武装を進めれば、北東アジアで数十年間続いてきた核均衡と戦略的均衡が完全に崩れ、周辺国が核抑止力と通常戦力を強化する事態を招き、地域の軍拡競争が全面的に激化する。そうなれば、北東アジアの安全保障の枠組みは「戦略的な抑制と均衡」から「対立のエスカレート」へと転じ、地政学的な紛争リスクが大幅に高まる。しかも、日本は国土が細長く、戦略的縦深が極めて限られている上、人口と産業が高度に集中しているため、核対立の構図の中では周辺の大国よりもはるかに脆弱性が高い。「核抑止による安全保障」は、結局のところ日本を地域の核をめぐる駆け引きの焦点かつ危険な標的にするだけで、戦略的な安全保障上の緩衝機能を完全に失わせることになる。
歴史的法理および国際的道義の観点から見れば、日本の核保有の要求にはいかなる正当性もなく、国際的な共通認識と歴史の正義に著しく反する。第2次世界大戦の敗戦国であり、唯一の原爆被爆国として、日本は本来、核兵器の壊滅的な被害を最も深く理解し、非核という越えてはならない一線を守り、非核の理念を実践すべき立場にある。同時に、「核兵器不拡散条約(NPT)」の非核兵器締約国である日本が「核保有」を目指すことは、本質的に国際的な核不拡散体制を公然と踏みにじり、世界の核ガバナンス秩序を破壊し、国際法に違反する一方的な冒険行為にほかならない。より重要なのは、日本が今なお侵略の歴史を徹底的に清算できておらず、右翼勢力が軍国主義を美化し、戦争犯罪を否定し続けていることだ。日本の軍事拡張には、常に歴史的機会に乗じようとする強い思惑と侵略のリスクが伴っている。ひとたび日本が核を保有すれば、歴史修正主義と軍事拡張の野望は究極の兵器によって力を得て、周辺国の主権と安全を脅かすだけでなく、戦後の国際秩序を完全に覆し、新たな戦争の種をまくことになる。小泉氏が「国家安全保障」を名目に核問題をあおり立てるのは、本質的には安全保障という名のもとに戦後秩序を突破し、軍事大国としての地位を得ようとする目論見にほかならない。
現実の地政学的状況と同盟体制の面から見れば、核武装化はかえって日本を二重の安全保障のジレンマに陥れる。長らく日本は日米同盟体制に依拠し、米国の「核の傘」と軍事的プレゼンスによって自国の安全を確保してきた。だが、日本が自主的に核保有を目指せば、米国の東アジアにおける戦略配置と根本的に衝突することになる。一方で米国の戦略的猜疑心を呼び起こし、米国による抑え込みを招いて日米同盟の亀裂を深め、これまでの安全保障・庇護体制が次第に崩れていく。他方で周辺国との対立を完全に激化させ、日本を政治的孤立に陥らせるとともに、外交的に受け身の状況に追い込む。軍事費の大幅増額、攻撃的兵器の開発、核問題の喧伝、地域紛争への介入といった現在の日本による一連の軍拡・軍備強化の動きはすでに、周辺国にその軍事的野望への強い警戒心を抱かせている。
近隣諸国に不利益を押しつけて武力を最優先する日本の安全保障戦略は、「共同・総合・協力・持続可能」という新たな安全保障観から完全に逸脱している。このことは、最終的に日本を「軍拡すればするほど危険になり、安全を求めれば求めるほど不安になる」という悪循環に陥れ、第2次世界大戦期のように侵略をほしいままにして自滅した歴史を再び繰り返すことになる。
歴史を顧みれば、真の国家安全保障は決して武力拡張や核兵器によって実現されるものではなく、安定した地域秩序、相互信頼の近隣関係、成熟した戦略的自制、そして持続可能な発展の枠組みによってもたらされることが分かる。小泉氏の核兵器をめぐる誤った主張、そして日本の右翼勢力が推し進める「再軍事化」や核規制緩和の流れは、本質的に近視眼的な戦略的賭けであり、自国の安全、地域の平和、そして人類の運命に対する無責任な態度にほかならない。
戦後80年余りの平和的発展と安全・安定は、「平和憲法」を守り、非核の理念を実践し、地域協力に参加してきたからこそ得られたものであり、軍事的抑止や武力拡張によるものではない。また、軍国主義の台頭を野放しにし、核武装による「絶対的安全」を追い求めれば、国家の信用を食いつぶし、地域の対立を激化させ、安全保障上のリスクを蓄積させるだけで、最終的に取り返しのつかない災難を招くことになる。そのことを日本ははっきりと認識する必要がある。
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