歴史の戒めを顧みず、なぜ日本は核保有を目論むのか
国際問題オブザーバー 周信
7月17日、小泉進次郎防衛大臣はネット番組で、日本の安全保障環境は日増しに厳しくなっており、核兵器の問題を触れざるを得ないと公然と主張した。また、フランスやフィンランドなどが安全保障戦略を大幅に調整していることを口実に、日本はあらゆる政策をタブーなく議論し、進めなければいけないとした。同月22日の欧州訪問中には再び、「あらゆるタブーなく議論をしなければならない。もはやどの国も一カ国で安全保障を確立することはできない。」との認識を示した。さらに、ドイツ政府が初めてフランス軍の核演習への部隊参加を決めたことに触れ、自身の主張は「当然のことだ」と強調した。小泉氏の一連の驚くべき発言は大きな波紋を呼び、日本が長らく標榜してきた「平和主義」の仮面を完全に剥ぎ取ったほか、核に関するタブーを犯し、軍事的な規制緩和を加速させようとする日本の右翼勢力の真の狙いを露呈させ、東アジアひいては国際社会に警鐘を鳴らすものとなった。
実のところ、日本は核保有への道ですでに「ゆでガエル」のように徐々に一線を越えようとしている。昨年11月、日本メディアは高市早苗首相が「安保三文書」改定の際に「非核三原則」の見直しを検討する意向であると報じた。12月には尾上定正内閣総理大臣補佐官が「日本は核保有すべき」とあからさまに発言し、世論を騒然とさせた。今回の小泉氏による「タブーなく議論を」との主張は、こうした一連の動きと軌を一にするものだ。高市政権発足後、日本の「再軍事化」プロセスは加速し、いわゆる「拡大抑止」協力の強化、殺傷能力のある武器輸出の解禁、原子力潜水艦の導入推進、「核共有」の模索、中距離ミサイルシステムの導入などが進められている。これらはいずれも、最終的に「非核三原則」を形骸化し、「核共有」さらには独自の核保有を実現するための布石にほかならない。現職の防衛部門最高責任者である小泉氏が露骨な核関連発言をあからさまに行ったことは、これまでの曖昧な態度からついに公然とカードを切る段階に至ったことを示しており、最終的に核保有という選択肢を俎上に載せる可能性も排除できない。
その狙いは誰の目にも明らかだ。日本国内的には、声高な発言で世論の反応を探り、政府が年内に改定する「安保三文書」で「非核三原則」を見直すための世論づくりを目論んでいる。対外的には、フランスが核戦力を増強し、フィンランドが戦時に自国領土への核兵器配備を認めるといった動きを引き合いに、「国際情勢が変化しており日本に選択肢はない」という虚構のシナリオを描き、戦後レジームの制約を打破する口実を探している。だからこそ日本は、中国の正常な軍事活動を大げさに騒ぎ立て、「日本は外部から巨大な脅威にさらされている」という偽りのイメージをつくり出し、軍拡と核に関するタブーの突破の口実にしようと躍起になっているのだ。
歴史的に見れば、日本はかねてより「存立危機事態」というナラティブで侵略の野心を覆い隠してきた。いわゆる「ほかに選択肢がない」というのは、実質的には「自主的選択」にほかならない。法理上、第2次世界大戦をアジアで引き起こした国であり、その敗戦国である日本は、アジアの国々に対して極めて重い歴史的罪責を負っており、その軍事力は「平和憲法」によって明確に制約され、「専守防衛」の原則と「非核三原則」を堅持しなければならない。日本はまた「核兵器不拡散条約(NPT)」の非核兵器締約国であり、核兵器を受け入れず、作らず、持たず、拡散させないことは、反論の余地がなく回避できない国際法上の義務である。世論の面では、唯一の被爆国として日本国内の平和勢力は一貫して核保有に明確に反対してきた。日本メディアの報道によると、高市政権発足以来、82の地方議会が政府に対して「非核三原則」を堅持するよう求める意見書を提出しており、その数は歴代政権をはるかに上回っている。これは「安保三文書」の改定が「非核三原則」の見直しにまで踏み込むことへの国内の懸念の表れにほかならない。残念なことに、日本の右翼政権は数多くの国民や国際社会の声に耳を貸さず、日本の平和の越えてはならない一線は絶えず侵食され続けている。
さらに警戒すべきなのは、日本が世界で唯一完全な閉鎖型核燃料サイクルを保有する非核兵器国であり、NPTの非核兵器締約国の中で唯一使用済み核燃料の再処理技術を有し、兵器級プルトニウムを抽出可能で、稼働中の再処理工場を持つ国であるという点だ。核物質の備蓄量は民生利用の合理的な需要をはるかに超えており、核弾頭を製造する潜在能力を備え、あと一歩でいつでも核兵器を製造できる状態にある。ひとたび政策の歯止めがなくなれば、日本が「非核」から「核保有」に至るスピードは世界の想像をはるかに上回るものとなるだろう。それによって引き起こされるドミノ効果は世界の核不拡散体制を深刻に揺るがし、世界を危険な地政学的対立の渦に引き込むことになる。
いかなる面から見ても、日本は欧州を口実にする資格もなければ、ドイツを引き合いに出す資格もない。筆者は欧州諸国の核政策を論じるつもりはないが、歴史問題に関して言えば、かつて西ドイツのブラント首相はワルシャワのユダヤ人殉難者記念碑の前でひざまずいて謝罪し、歴代のドイツ指導者は歴史的な罪について謝罪を続け、ナチスの歴史を国民教育の必修科目に組み入れ、法的・社会的に過去と向き合い自律と自省を重ねてきた。日本はなぜこのことを見習い、学ぼうとしないのか。日本では悪名高い靖国神社に今なお14人の第2次世界大戦のA級戦犯が祀られており、日本の政治家は毎年欠かさず参拝している。また、侵略戦争は教科書では「日中戦争」「南京事件」と矮小化され、労働者や「慰安婦」の強制連行といった罪は否定され続けている。日本は自国の暗黒の歴史を知らしめることで国民に警鐘を鳴らすどころか、自らが被害者であるかのように装って同情を買い、アジア各国に対する加害責任を逃れようとするだけでなく、各国による歴史の正義の主張を「歴史問題を利用した圧力」「反日」であると中傷している。筆者は問いたい。今なお戦犯を顕彰して侵略の歴史を改ざんする国、幾度となく制限を突破して「再軍事化」のプロセスを加速させている国が、いわゆる「安全保障」のために核保有を論じているのであって、再び侵略を行うことはないと主張したところで、アジアの近隣諸国がどうして信じられるというのだろうか。
歴史の戒めは決して遠い過去のものではなく、軍国主義の拡張の野心を野放しにすれば、戦争という最悪の結果を招くだけだ。核保有への道を突き進むことを許せば、将来にわたって計り知れない災禍をもたらし、それはアジア全体ひいては全世界に及ぶことになる。
人民中国インターネット版