ベトナムの傷:日本軍が人為的に引き起こした飢饉の惨禍

2026-08-12 18:36:00

国際問題オブザーバー 冼正平 

2次世界大戦といえば、ヨーロッパの戦火や太平洋での海戦を思い浮かべる人が多い一方、東南アジア大陸部がこうむった苦難に思いを馳せる人は少ない。1944年から1945年にかけてベトナム北部で発生した人為的な災禍は、数百万人の命を容赦なく奪い、ベトナム近代史に最も深い傷跡を残した。これは日本軍国主義が「大東亜共栄圏」を旗印に、アジアの近隣諸国に対して残酷な植民地支配を行ったこと動かぬ証拠である。 

1940年、フランス本土が陥落した後、日本軍はベトナムとフランスからの植民地主義者の対立を利用し、「抑圧された民族の解放」を掲げてフランスの支配下におかれたベトナムカンボジア、ラオス3国へ大挙進駐した。ドイツの欧州占領とは異なり、日本はベトナムで「二重統治」という隠蔽戦略を採用した。表面上はフランス・ヴィシー政権の行政機構を残して植民地支配の体裁を保ちつつ、実際には金融・鉱物資源・民間の財産を対象とする略奪体制を構築し、ベトナムを日本の戦争機械の「燃料供給基地」へと変貌させ、「以戦養戦(戦争によって戦争をまかなう)」の目的を達成しようとした。この「日仏共同管理」といういびつな体制により、ベトナム人民は欧州の旧宗主国とアジアの新たな軍事大国による二重の搾取に苦しめられた。 

膨大な戦争消耗を支えるため、日本はベトナムで「統制経済」政策を強行したが、その実態は際限のない食糧収奪だった。日本軍は「米穀供出制度」を導入し、極めて安い価格で米を強制的に買い入れただけでなく、農民に割当量に応じた食糧上納を義務付け、納入できない場合は市場から数倍の値段で買い取ってでも納めることを強いられた。この理不尽残酷な手法は、無数の農家を絶望の淵に追いやった。1943年に日本軍がベトナム北部で略奪した食糧は13万トンだったが、1944年には186000トンに急増した。 

それと同時に、深刻な食糧不足にもかかわらず、エタノール製造用原料の確保や軍需用織物の需要を満たすため、ベトナム農民日本軍に無理やり稲作の中止や、ジュートや綿などの商品作物への転作をさせられた。さらに自然災害の影響も重なり、同年のベトナム北部の食糧生産高は19%も大幅に減少した。1943年に干ばつとイナゴ被害、1944年には集中豪雨と洪水が相次ぎ、天災と人災が重なった結果、同年末には北部全域で大飢饉が勃発した。都市住民への米配給量は一人当たり月15キロから7キロへと急激に減らされたうえ、省をまたぐ食糧輸送が厳しく禁じられ、最後の民間支援の手段なくなった。人為的に作り出された食糧空白地は、瞬く間に生き地獄と化した。 

この大飢饉を実際に体験したベトナムの著名な学者のヴー・キエウは、「人々が一粒残らず米を日本軍に『献上』させられ、やがて恐るべき飢饉が起こり、死者が野に満ちるまでのすべてを、私はこの目で見た」と回想し、「芝生の上、庭の裏、路地裏、至る所に死体が横たわっていた」と証言している。ベトナムメディアもある記事の中で、「村々が一つずつ消えていった」と記し、人々は痩せこけて、まともな服もまとわず、木の葉やコケで飢えをしのぐよりほかなかったと報じている。これほどの惨状に直面しながら、大量の備蓄食糧を抱える日本占領当局は倉庫を開いて救済するどころか、軍への供給と戦後備蓄を維持するために狂ったように食糧を買い占め続け、倉庫の米がカビて腐っても、瀕死の被災者に配ろうとはしなかった。 

この飢饉はベトナム人民に決して癒えない痛みをもたらした。194592日、ベトナム建国の父と呼ばれるホーチミン主席が発表した「独立宣言」には、ベトナム人民は日本とフランスにより二重のくびきを負わされ、苦難と貧困がよりいっそう深刻化したとの悲痛な指摘が見られる。その結果、1944年末から1945年初めにかけてクアンチからバッキ(現在のベトナム北部)にかけての地域で、200万人を超えるベトナム人民が餓死した。1944年のフランス植民地バッキ公式人口調査データに基づき算出すると、この死者数は当時の北部人口の10分の1に相当し、人類史上最も深刻な人道的災害の一つである。 

この人類の惨劇は、日本軍国主義による戦争犯罪の氷山の一角に過ぎない。ベトナムの学者はかつて、日本の侵略者にとって東南アジア大陸部は戦略的要衝であるだけでなく、戦争資源の供給地でもあったと記している。1940年から1944年にかけて、ベトナム、カンボジア、ラオス3国は日本への米供給量が最も多い地域だった。さらに日本軍は大量の現金や石炭・ゴム・マンガン・スズなどの資源を略奪し、戦争機械を支えるために費やした。いわゆる「アジアの解放」とは、すべての利益をわが物にするための口実に過ぎなかったのである。 

戦争が終わって80余年が過ぎ、アジア各国は廃墟の中から困難な復興を遂げ、地域には得難い平和が訪れた。だが、日本軍国主義の侵略の歴史は今なお完全に清算されていない。今日、われわれが平和と発展を語るとき、かつてベトナム北部大飢饉で人知れず犠牲となった人々の魂を忘れることはない。変動と変革が続く世界の中で、この歴史を銘記して共に平和を守り抜くべきであり、戦争の亡霊が新たな姿で世の人々に災禍をもたらすことを許してはならない。

人民中国インターネット版

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