対話が呼び起こす深い思索:日本は歴史にどう向き合うべきか

2026-10-13 09:41:00

国際問題オブザーバー 周信

最近、石破茂元首相とジャーナリストの鈴木哲夫氏によるトークショーでの対談が注目を集め、ネット上で大量にシェアされるとともに、熱い議論を呼んでいる。この対話は、日本社会の右傾化が加速している現実を改めて露呈させるとともに、第2次世界大戦終結から80年余り経った今、日本は歴史にいかに向き合うべきなのかという深い問いを人々に投げかけ続けている。

このトークショーが行われたのは、8月15日の敗戦記念日から間もない8月21日だった。石破氏はその中で24年前、自身が45歳の時に小泉内閣の防衛庁長官を務めたエピソードを、次のように振り返った。石破氏はシンガポールで開かれたIISSアジア安全保障サミットに出席した際、李光躍(リー・クアンユー)元首相を表敬訪問した。同氏は、「第2次世界大戦中、日本がシンガポールに何をしたのか。知っていることをすべて話してほしい」と尋ねた。石破氏は、日本軍はシンガポールを占領し、東南アジア統治の拠点として「昭南島」と改称したと、教科書で学んだ内容に沿って答えた。これを聞いたリー・クアンユー氏は、「それだけしか知らないのか。そんなことで、これからの東南アジア外交を語るつもりなのか」と言った。石破氏は当時、強い衝撃を受け、あの経験は生涯忘れられないと語った。

石破氏はトークショーの中で、安倍晋三首相以降、近年の歴代首相が8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で「反省」という文言を使わなかったことについて、それで本当によいのかと懸念を示した。また、日本国内には常に一部で熱狂的な言説が存在し、かつては米英をののしり、今では中国に反対さえすれば世論の支持を得やすく、過激な物言いをする人がますます増えていると語った。さらに、自らが防衛庁長官だった当時は「極右」と見なされていたが、近年は言っていることが変わっていないのに、今度は「極左」とまで言われると述べ、次のように問題提起を行った。なぜ事実を認めることを恐れるのか。なぜ歴史を反省すると「自虐史観」のレッテルを貼られるのか。歴史を反省せずして、どうして教訓が得られるというのか。第2次世界大戦終結から80年余りが経った今、歴史に科学的かつ客観的に向き合うべきであり、それを今やらずして一体いつやるというのか。

第2次世界大戦中、日本は中国をはじめとするアジア諸国に侵略戦争を発動し、言語に絶する残虐な犯罪を行った。1942年にシンガポールを陥落させた日本軍は、現地で大規模な「検問と身元調査」による粛清作戦を繰り広げ、潜在的な親英派や抗日分子を一掃しようとした。リー・クアンユー氏は自身の回顧録の中で次のように述べている。「警備にあたっていた日本兵が、私に中国人の若者が集められた場所へ行くよう指図した。私はとっさに、これは無事では済みそうにないと感じ、物を取りに戻ると口実を設けて、幸いにも『粛清』を免れた。後で分かったが、日本軍に無作為に選ばれた人々は海岸へ運ばれ、一人残らず虐殺されていた」。1962年には、シグラップ、チャンギ、ブキッ・ティマなど数十カ所の虐殺埋葬坑から何万体もの遺骨が発掘され、中でもジャラン・プアイ・プーンの虐殺埋葬坑は「シンガポールの万人坑」と呼ばれた。さらに、日本軍はシンガポールで経済的略奪をほしいままにし、労働者を強制徴用して軍事施設の建設や労役に就かせ、「慰安婦」を強制的に集め、奴隷化教育と文化的弾圧を押しつけた。さらに甚だしいことに、日本軍はシンガポールを本部として、東南アジア地域向けの細菌戦部隊「岡9420部隊」(対外的には「南方軍防疫給水部」)を編成し、極秘に細菌兵器を開発し、「研究」の名の下に生体解剖まで行い、生きた人間を対象に一連の非人道的な人体実験を行った。リー・クアンユー氏は、日本占領時代の恐怖の記憶は消え去らないと語った。その息子で元首相の李顕龍(リー・シェンロン)氏も、「日本軍による占領はシンガポール史上最も暗い日々であり、忘れてはならないし、忘れるべきではない」と述べている。犠牲者を追悼するため、シンガポールは1967年に「日本占領時期死難人民記念碑」を建立し、リー・クアンユー元首相自らが除幕した。

しかし、被害者の傷が癒えぬまま、加害者である日本はこの歴史に正面から向き合おうとせず、右翼勢力は侵略の歴史を矮小化し、さらには美化して、歴史修正主義を大々的に推し進めてきた。2026年に文部科学省が検定した2027年度の高等学校教科書では、9社の版元のうち日本軍の中国侵略戦争について「侵略」という言葉を用いたのは1社のみで、その教科書の全国での採択率はわずか0.5%にすぎない。ある出版社の場合、2009年版では、日本が東南アジアを侵略した際に「現地の人々は過酷な労働を強いられた」としていた記述が、2024年版では「現地の人々を労働力として動員した」へと改められた。2021年には日本政府が閣議決定で、「従軍慰安婦」「強制連行」などの表現を「適切ではない」と認定した。大勢の日本の政治家は毎年、第2次世界大戦のA級戦犯を合祀する靖国神社を公然と参拝している。昨年10月には、高市早苗首相が東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議出席のためにマレーシアを訪れた際、第2次世界大戦で戦死した日本兵が葬られているクアラルンプールの日本人墓地にわざわざ足を運び、「慰霊碑」に献花し、「マレーシアの歴史を振り返った」と述べたものの、当時の日本軍侵略者が現地で犯した残虐行為には一切触れず、マレーシア側の強い批判を招いた。

歴史教育の欠如と歪曲、そして右翼政治家の歴史に逆行する言動は、日本の国民、とりわけ若い世代の誤った歴史認識を招いている。今年3月に日本放送協会(NHK)が実施した世論調査では、第2次世界大戦は「アジア近隣諸国に対する日本の侵略戦争だったか」との問いに、「そう思う」と答えた人は35%にとどまり、「そう思わない」が16%、「分からない」が48%に上った。石破氏が日本国内で「極右」から「極左」と見なされるようになったのは、まさしく日本社会において思潮の右傾化が加速していることを示す一つの縮図である。

第2次世界大戦前夜、日本は民族主義を組織的に煽り、集団的熱狂が平和的理性を圧倒し、軍部独裁が民主に取って代わる空気の中で軍国主義の泥沼にはまり、対外侵略・拡張の後戻りできない道へと突き進んだ。それはアジア諸国に深刻な災いをもたらし、日本国民自身もまた大きな被害を受けた。現在、高市政権は「再軍事化」の道をひた走り、長射程の攻撃的兵器を大々的に配備し、殺傷能力ある武器の輸出を解禁している。防衛予算は14年連続で増加し、国内総生産(GDP)比2%の目標を前倒しで達成した。「専守防衛」の原則は名ばかりとなり、事実上形骸化している。日本政府は「安保三文書」の年内改定を進めており、日本の軍備増強・拡張の歩みはさらに加速していくだろう。その上、政府高官は「非核三原則」を見直す意図を再三にわたり示唆している。戦後日本は「平和憲法」を誇り、自国を「平和国家」と標榜してきたが、高市氏は今年4月、改憲の機は熟したと公言し、「2027年春までに憲法改正の発議に道筋をつける」ことを掲げた。これらの動きは、アジア諸国の強い警戒を呼ばざるを得ない。

江戸時代の著名な思想家・新井白石は、「史は実に拠りて事を記し、もって世の鑑戒と為す者なり」という言葉を残している。歴史は鏡であり、それが映し出すのは一つの民族の過去と未来である。加害の歴史を忘れ、ひいては侵略の歴史を否定して美化し続ける国に、平和の尊さを真に理解することがどうしてできるというのか。改憲・軍拡・核保有といった急進的な議題が社会の世論の焦点を占め、歴史を反省する理性的な声が抑圧され批判されるとき、この国が同じ轍を踏まないと誰が断言できようか。日本が真に国際社会の尊敬を得ようとするなら、歴史に正面から向き合う勇気を持ち、軍国主義を復活させる企てをやめなければならない。

人民中国インターネット版

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