バイオリン磨き人も磨く

2020-10-21 14:14:44

袁舒=文 秦斌=写真

洗練された欧風の建物の中から、バイオリンの音が途切れ途切れに聞こえてくる。「はい、指の位置に注意して、弦をしっかり押さえて」という若い男性の指導の下、弾き手は簡単なメロディーを繰り返し練習する。ここは北京市市街地から北東に70㌔離れた平谷区東高村鎮。静かで清潔な村の中に、あか抜けた工場と白い欧風建築の展示館があり、敷地の入り口には「北京華東楽器有限公司」と書かれている。ここは華北地域最大のバイオリン製造工場で、世界のバイオリンの3丁に1丁はここで作られているという。そしてここは、同区で芸術的な雰囲気が最も色濃く漂う場所でもあり、建物の中からはバイオリンやピアノの音が聞こえてくる。展示館の扉の向こうは、芸術の世界だった。

 

若き職人魂

バイオリンの音色に連れられて来た教室では、若い男性が4、5歳の女の子にバイオリンのレッスンをしていた。「今日はここまで。ちゃんと毎日練習するんだよ」。そう念を押して、劉尊飛さん(30)は女の子を見送った。劉さんは華東楽器社のバイオリン職人で、カスタムメイドのハイエンドバイオリンの製作とバイオリンのレッスンを担当している。中央音楽学院のバイオリン製作学科修士課程を修了した彼は、2年前に平谷区に来た。「ここは雰囲気が良くて、落ち着いて好きなことができるんです」と劉さん。工房へ案内してもらうと、作業机には秋山利輝の『一流を育てる』(中国語版)と数々の彫刻道具、そして製作途中のスクロール(渦巻き)が置かれていた。「13歳の時からこういうものにハマってしまって、その時からすごいバイオリンを作りたいという思いを胸にやってきました。私はバイオリンを弾くことも作ることもできますが、自分にとってはどちらも芸術だと思ってます」と劉さんは語る。

劉さんの工房では、一人の青年が机に向かって、鉛筆と物差しで木材に印を付けているところだった。劉さんの愛弟子の張爽さん(22)だ。少しシャイな張さんは、黙々と作業を続けている。彼は華東楽器社の名声を慕ってバイオリンの作り方を教わりに来たのだ。張さんを指導する時、劉さんの顔からは笑顔が消え、厳しい師匠としての真剣な目付きになる。良いバイオリン職人は自らもバイオリンを弾けなければならず、このようにして完成したバイオリンは奏でる音色に感情が宿ると劉さんは信じている。だから劉さんは張さんにバイオリンの作り方だけではなく、弾き方も教える。勤勉な張さんは、朝7時半から夕方5時半までの勤務時間以外をバイオリンの練習にほぼ当てている。

 

張爽さん(右)に木材への印の付け方を教える劉尊飛さん

劉さんはバイオリンの製作にエコの理念を取り入れている。彼と共に工場に入り、あるドアを開けた瞬間、植物の爽快な香りが漂ってきた。ここは塗料を塗ったバイオリンを乾燥させる部屋だ。だが鼻を突くようなペンキ臭は少しもしない。劉さんによると、これは会社が独自に開発した100%植物製の塗料で、シェラック、クチナシ、ラベンダーなどの天然植物や生薬から精製され、環境にも人体にも害がないのが特徴だ。それだけでなく、製造の過程で発生した木くずなどの廃棄物も肥料にリサイクルされ、地元の栽培業に使われている。

 

ニス塗りを待つバイオリン

 

量から質目指す転換

乾燥室から出ると、工場を視察する同社の劉雲東会長(56)がいた。劉会長はこの企業のトップだが、工場によく足を運び、社員と共に取り組んでいる。劉会長は同社のエピソードを語った。

1988年に設立された華東楽器社は、劉会長が7000元の資金で立ち上げたものだ。2010年には世界に名をはせ、30カ国以上から注文を受け、世界のバイオリン生産量の30%を占めるようになった。劉会長の右手は、2本の指が半分の長さしかない。それは彼の創業の「勲章」だ。創業当初、音楽とバイオリンに関する知識がなかった劉会長にとって、その勤勉さとひたむきさだけが取りえだった。彼は中国の有名なバイオリン製作家を顧問に招き、勉強に励み、試行錯誤しながら会社を発展させていった。だが、1993年のある日、機械でバイオリンの裏板を削っていた時に悲劇は起きた。思考が一瞬飛んだその瞬間、全身がしびれ、頭が真っ白になった。彼の2本の指は秒速1万回転する電動プレーナーに巻き込まれたのだ。会社は厳しい発展時期にあり、自分のけがで従業員が動揺することを心配した劉会長は、指先の激痛を我慢し、仕事を片付けた後、1人でバスに4時間乗って、病院で20針縫った。そして傷痕が安定すると、事故から10日もたたないうちに工場に戻って仕事を再開した。「仕方のないことです。その時は素人だったので、何事も自分の目で見てみないことには。あのプレーナーは今でも家に保管してあるんですよ」と劉会長は笑った。

このようにして、劉会長は世界に誇る民間企業を打ち立てた。この会社の従業員の多くは平谷区の地元住民だ。従来、同区で最も有名なのはジューシーな平谷大桃で、地元住民の多くは桃の栽培に従事しており、1人当たりの年収は約2万元だった。しかし、バイオリン製造業に転職してからは、1人当たり3万〜4万元に増え、地元の人々の生活レベルも大幅に向上した。

 

楽器工場でニスを塗ったバイオリンを磨く従業員。華東楽器社の工場では他に、チェロやコントラバスの生産も行っている

今、華東楽器社は新しい発展段階に入り、創業初期の量産重視からブランド重視へと移行している。2010年の最盛期、同社は年20万本のバイオリンを生産したが、ローエンドのものが主で、最も安いバイオリンは200元で、この種類の生産量が全体の80%を占めていた。しかし、企業の規模が大きくなるにつれ、ブランドの影響力がますます重要になり、劉会長は「質の向上と量の低下」を推進し始めた。主な生産対象をハイエンドのものに移行した。カスタムメイドの定価は7万〜8万元に達することもある。年間生産量は20万本から12万本に減ったが、5000万元だった生産額は8000万元まで増加した。それより重要なのは、北京ひいては中国を代表する芸術ブランドが徐々に確立され、「メード・イン・チャイナ」の品質が認められるようになったことだ。

華東楽器社のモデルチェンジが軌道に乗った時、新型コロナウイルスの襲来は全てに待ったをかけた。海外からの発注がメインだった同社は、欧米諸国の深刻な感染まん延により大量の注文を失った。しかしピンチはチャンスでもある。同社は今回の新型コロナの影響を産業形態改善のチャンスと見なし、オンラインでの音楽教室を開講した。同時に、販売面では、最近はやりのライブコマース形式を取り入れ、工房にライブ配信セットを設置し、ライブ動画を通じて消費者にバイオリンの製造過程を見てもらうことができるようになった。劉さんも参加し、リアルタイムで消費者とやりとりし、バイオリンの製造や手入れの仕方などを紹介。さらに多くの人にバイオリン業界とバイオリン職人の仕事の魅力を発信している。

 

地元密着の次世代育成

新型コロナはバイオリンの生産に大きな打撃を与えたが、劉会長はこう言う。「正常な運営が維持できる限り、私は続けますよ。今一番関心を持っているのは、いくら稼げるかではありません。私が一番見たいのは、私たちの仕事によって優秀な音楽人材がここから世界に羽ばたいていくことなんです。商売で損をしても、得した気分ですよ」。劉会長が考える文化芸術ブランドの使命とは、人材を育成し、国の文化発展に貢献することだ。彼は北京市の人民代表大会の代表として、現地の芸術教育を振興し、優れた音楽人材を育成し、現地の芸術に対する素養を全体的に向上させることを自分の責任と見なし、芸術教育の重要性を強調する提案をしてきた。

創業当初、平谷区でバイオリンを弾く人はほとんどいなかった。それが今ではレッスンを通して、何十人もの子どもが芸術の道を歩んでいる。そして同区内の全ての小学校で、基礎教養としてバイオリンの授業とピアノの授業が開設されている。劉会長の孫娘は今年7歳で、チェロを習っている。「芸術的な雰囲気を釀成するには、何世代にもわたる人々の努力が必要です。孫娘くらいの子どもたちが大きくなるころには、きっと何かが変わります」と劉会長は自信を込める。

工場から出ると、レッスンを終えたばかりの子どもが母親に手を引かれて教室から出てくるところだった。7月から北京の感染再拡大もほぼ収束し、子どもたちは教室に戻ってきた。子どもたちの元気でかわいい姿から、嵐はいつかきっと過ぎ去るという自信が湧いてくる。芸術の種はすでにここに芽吹き、あとはそれが大きくたくましく成長していくことを見守るだけだ。

 

  
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