夢と希望にあふれる大地 新疆ウイグル自治区訪問記
東洋学園大学教授 朱建栄=文
雄大で神秘的な大地
1990年代半ば以降、私は新疆をおおよそ10年置きに3度訪れている。旅の感想は毎回違うが、新疆が夢に満ち再訪したいと思わせる、中国の希望ある未来が託された場所だという思いはいつも変わらない。
95年、私は光明日報の招待で初めて新疆の土を踏み、日本に帰ってから朝日新聞が発行していた月刊誌『論座』のコラムに風変わりな紀行文を書いた。何が風変わりかというと、国際関係という現実を研究する学者である私が、コラムの書き出しをSFチックにしたからだ。その書き出しはこうだ。
夏休みに、新疆ウイグル自治区を2週間ばかり回ってきた。あなたは信じないかもしれないが、カシュガルからウルムチに戻る飛行機の窓から、筆者は砂漠の上空を飛んでいるUFOを見た。また新疆最北端のカナス湖で、中国版「ネッシー」、正体不明の生物が頭かせびれを出して泳いでいるのを見、またそれをビデオカメラのレンズに収めた。
日本の5倍の面積に当たる新疆はこのように、どんなことが起きても不思議ではない、人に夢を与える土地だ。
神秘的な新疆では何が起こっても不思議ではないと思っていたので、UFOを見たのは錯覚だったかもしれないが、カナス湖で見た正体不明の生物は本物で、そこにいた10人くらいの旅行者も目撃しているし、泳ぐ姿を撮ったビデオは日本のテレビニュースで放映されもした。
高山に囲まれたじょうごのような地形で、盆地の最深部が地下154㍍に達するトルファン(吐魯番)にも足を延ばした。トルファンはブドウの産地としても有名で、世界でもまれな蚊がいない場所でもある。昼間は最高気温が40~50度にも達するため、水路の水は全て蒸発してしまい、ボウフラが生き残れないのだ。よって現地の人々の生活用水はカレーズに頼っている。カレーズとは古代ペルシャから始まる、遠い高山の雪解け水を地下の暗渠で引いた用水路で、万里の長城や北京_杭州大運河同様、古代三大プロジェクトの一つとして知られている。
雪山を背にし、「優美な牧場」とも称されるウルムチ市(cnsphoto)
多民族の文化が共生
私は新疆を訪れることで、そこに住む人々の文化と地理に対する概念を知ることができた。新疆には47の民族がおり、うち14の民族は主に新疆に住んでいる。ウイグル自治区と呼ばれるのは、ウイグル族の人口が最も多いからで、ウイグル族の名が少数民族の自治を表す自治区の名称として使われている。広西チワン(壮)族自治区も新疆同様、十数の少数民族が暮らしているため、チワン族の名が自治区を代表する名称として使われている。
新疆は非常に大きく、民族の地域構成は三つに分けることができる。東部には主に回族、ウイグル族、漢族などが住み、北部には主にカザフ(哈薩克)族、蒙古族など、南部にはウイグル族、タジク(塔吉克)族などが住む。ウイグル族は主に世界で3番目に大きい砂漠のタクラマカン砂漠周辺のオアシスに住んでいる。
新疆にはまたシボ(錫伯)族という「奇妙な」民族がいる。元は中国東北部に住む満州族の一派だが、1764年に清王朝の軍団として5000人が新疆に派遣され、住み着いたという。清朝を建てた満州族は数百年後に漢族の文化と同化し、祖先の満州語が読めなくなっているが、遠く離れた新疆に住むシボ族は伝統文化をかたくなに守り、今も満州語を話し満州語で書かれた古文書を読むことができるのだ。
この旅で特に印象深かったのは、有名な古代都市のカシュガル(喀什)で交通整理をする警官のほとんどがウイグル族だったことだ。制服は北京や上海と同じなのに風貌は中央アジア__中国が多民族国家であることを明確に示す光景だった。
1970年代以前の新疆は経済が立ち遅れ、首府のウルムチ(烏魯木斉)ですら3階建て以上の建物がなかったと聞く。私の訪問時はすでに発展してはいたが、沿海地域と比べると大きな差は否めなかった。しかし地元の政府幹部は、あと数年後にまた来てほしい、その時には間違いなく様変わりしているだろうと言う。理由は中国の改革開放は沿海地域から始まったからで、中国全土を大きなポケットに例えるならば、沿海地域はポケット口であり、新疆はポケットの底なのだ。中国の指導者が冷戦終息後の百年に一度のチャンスをつかみ、新疆の積極的な開放を決めたことで、新疆の人々は経済の大幅な発展という希望を見ることができた。
過激な宗教勢力が台頭した90年代
その10年後、私はツアーに参加し2度目の新疆に赴いた。その時はカシュガルから隣国のキルギスタンとの国境にある出入国管理所まで車で行った。歩哨が温かく迎えてくれ、スイカを切ってくれた。この地は1日で四季が味わえる気候の典型で、夜はストーブをたいて昼にはスイカを食べるのだと言う。
この時の新疆行きでは経済発展を見ると同時に、宗教勢力の急速な発展も感じることができた。90年代以降、汎イスラム主義が世界で台頭、ビン・ラディンなどの過激な宗教勢力が米国で9・11事件を起こし、その流れが新疆にも及んで多くのテロ事件が発生した。のち米国がアフガン戦争とイラク戦争を起こしたことで、新疆の一部の過激な宗教勢力もテロに参加した。2002年、国連は「東トルキスタンイスラム運動」をテロ組織に認定した(米国も賛成票を入れている)。新疆南部には2644の小中学校があるのに対しモスクは1万3338あり、多くの子どもたちは学校に行かず僧院に送られて宗教教育を受けているということを、私は現地で初めて知った。
年2億の観光客を迎える一大観光地に
それからさらに10年以上が過ぎた新型コロナウイルス感染症の流行前、私は日本在住の華人教授数人と連れ立って3度目の新疆行きを果たした。この時の新疆の姿はまさに面目一新の感があった。高速鉄道が開通し、首府のウルムチは中西部の他の首府同様に栄えていた。90年代以降、国は沿海部の各省・市が新疆とチベット自治区のインフラ建設を分担するように組織し、現地で病院、学校、高速道路を多数造り上げた。カシュガルの旧市街にも行った。シルクロードに位置するこの有名な町は、以前のごみごみした街並みが全く新たな姿へと生まれ変わり、民族の特徴を色濃く映した商業施設はもちろんのこと、ウイグル族が経営する旅館が至る所にあり、本場のウイグル料理と雰囲気を味わおうと、沿海地域からの客が宿泊していた。
2019年初から10月までに中国全土から新疆を訪れた観光客は延べ2億人以上だ。2億人は実に新疆の総人口の10倍で、これほど多くの旅行者が訪れていることが、新疆の魅力と社会の安定を証明しているだろう。過激な宗教勢力の取り締まりと地域経済の発展を経て、ここ数年はテロが一度も起こっていないと、現地のウイグル族幹部が語ってくれた。不穏な社会情勢であれば、個人を含む多くの旅行者が新疆を目指すはずがない。
新疆には毎年多くの観光客が訪れ、少数民族の文化を満喫している(cnsphoto)
貧困脱却し希望の地に
貧困緩和支援のために自治区政府がさまざまな職級の幹部を各民族が住む村に派遣し、漢族と少数民族家庭を結び付けることで全民族が「共に豊かになる」手助けをしていることも知った。後者は16年以降の自治区政府による「民族団結一家親」活動で、自治区政府の幹部と職員100万人以上を動員して各民族の人々に寄り添い、問題解決に取り組ませることで、各民族が親しく結び付き、民族団結を促そうというものである。
われわれ一行はカシュガルを出て中国とパキスタンの国境にある、古来名を知られるパミール高原に向かった。世界には8000㍍以上の高山が約10あるが、うち二つはその途上にあり、これぞ真の秘境だと同行者の誰もが驚いていた。ちなみに、中国留学中の日本の若者の多くが個人旅行で新疆を訪れているので、私が授業で新疆について語る時には、彼らが撮影した動画を見せるようにしている(ユーチューブで見ることができる)。
新疆は本当に行く価値のある場所だ。中国には「百聞は一見にしかず」という言葉がある。下心のあるデマを信じるのではなく、自分の目で見たものこそ、最も信頼できるものだ。今、欧米の一部勢力が新疆に関する奇妙なデマを流しているが、私は新疆に住む大多数の少数民族と同様イスラム教を信じるアラブ諸国が、なぜ中国の民族政策を批判しなかったのかと問いたい。昨年10月には20のアラブ諸国とアラブ連盟の駐中大使と外交官が新疆を訪れ、現地の企業、学校、貧困脱却プロジェクト、一般市民の住む集合住宅を見学し、さらにイスラム教経学院やモスクなども訪れ、帰国後には新疆の経済・社会の進歩を積極的に評価し、欧米の一部の人々による新疆への批判を根拠のないものと評している。
今年の新疆は「一帯一路」の東風に乗って雄心勃勃たる「一圏(ウルムチ都市圏)一帯(新疆北部の市街地)一群(新疆南部の市街地)」という今後5年の発展計画を打ち立てた。私は新疆の新たな夢がいち早く実現することを願い、そして希望に満ちたあの地に再訪できることを願っている。