ウインタースポーツ人口3億人突破 冬季五輪が新産業ブーム後押し
李一凡=文
北京市と河北省張家口市が手を携え2022年北京冬季五輪の招致に成功して以来、中国の人々はスキーやスケートなど、これまでマイナーだったスポーツに徐々に目を向け始めた。そしてウインタースポーツはブームを迎え、ウインタースポーツ産業はかつてないほど注目を浴びている。
3億人がウインタースポーツに参加する――。これは、中国が22年の冬季オリンピック・パラリンピック大会を招致する際、国際社会に向かって打ち出した厳粛な約束だ。近年、冬季五輪の準備やウインタースポーツへの政策支援、盛んなイベント開催など、多くのプラス条件が重なり、「3億人がウインタースポーツに参加する」というビジョンはすでに実現。中国のウインタースポーツ産業の市場規模は拡大し続け、「雪と氷の大地」は「貴重な金山銀山」に変身している。
北京の首都体育学院のドームスケート場で激しくパックを追う北京第101中学アイスホッケーチームの選手たち(写真・秦斌/人民画報)
ブーム到来で消費意欲も上昇
沈璐宸ちゃん(6)は小学校1年生だ。まだ幼いが、フィギュアスケートを始めてもう2年になる。リンクに立ったばかりの頃はフラフラとよろけていたが、今や2回転ジャンプを飛ぶようになり、その進歩はまさに飛ぶような勢いだ。
フィギュアで結果を出すには、多くの時間とエネルギーが必要だ。璐宸ちゃんはフィギュアを始めてから、リンクに上がると毎回2~4時間は練習している。「一番お金がかかったのはトレーニング費です。レベルによって違い、1コマ200~400元します。最近、中級レベル用のスケート靴とブレード(刃)を買いましたが、1セット数千元もしました」と母親の陳さんは話す。決して少なくない出費だが、陳さんにとってはそれほど費用をかける価値があり、「フィギュアのテクニックを身に付けると、集中力や順応性が高まり、自信もつきました」と認める。
ウインタースポーツに参加するには、一定のハードルがある。ウエアや用品から養成・トレーニングまで、経済面での強力なサポートが必要だ。社会・経済の発展と人々の生活レベルの向上に伴い、スポーツの消費市場は巨大な潜在力を示している。また、地元で冬季五輪が開催されるという歴史的チャンスは、他にはない推進作用をもたらす。
20年度のウインタースポーツへの参加状況調査を見ると、市民は冬季五輪に引き続き関心を持っており、ウインタースポーツの認知度も徐々に高まってきている。また、これに費用をかける意欲も上昇している。
中国ネット通販大手・京東(JD.com)によると、昨年の「ダブルイレブン」(11月11日「独身の日」に合わせて開催されるキャンペーン。年間最大のネット通販取引額がある)の期間中、スキー用品の注文量は前年に比べ23倍も増え、スケート用品の取引額も同15倍上昇した。
北京冬季五輪で進む国産化
スノーボード愛好者の邱楓さんは、スノーボード歴5年だが、もう4回もボードを替えた。最初は安い物を買い、レベルが上がるにつれてボードもグレードアップした。「以前は輸入ボードの中古を買うことが多かった」という邱さんだが、今では国産ブランドも高品質なスノーボートを市場に出しているので、邱さんの選択の幅も広がってきた。
愛好者の足元にあるスノーボードは、中国のウインタースポーツ用品・器材産業の台頭を反映している。中国のウインタースポーツは始まりが遅く実力も不足し、用品の製造技術と研究開発の面でもかつては差があった。だが、北京冬季五輪の招致成功は、同分野の国産ブランド・製品に強い追い風となった。
「昨年から、ウクライナやロシア、オランダ、ドイツなどから次々に注文が来ています。これは、中国のスケート靴のブレードが10年ぶりに再び海外市場に進出したことを意味します」。黒龍江省チチハル(斉斉哈爾)市にある黒龍ウインタースポーツ用品メーカーの鞠培鴻社長はそう語る。
黒龍スケートブレードのブランドは、1950、60年代に立ち上げられ、かつては欧米など20以上の国と地域に輸出された。しかし、今世紀に入ると従来からの製品は時代の波には勝てず、会社の経営もどん底に陥った。ところが、2015年に北京冬季五輪の招致に成功すると、黒龍スケートブレードは企業買収と組織再編を経て、ブランド復活の転機を迎えた。
「15年以降、スケート靴とブレードの販売量は年平均30%前後伸びており、国内の需要は明らかに増えています。また海外市場の販路も回復しつつあります。この他、当社の業務も、室内スケート場の建設やスケートボードの生産など多方面に拡大・展開しています」と鞠社長は話す。
冬季五輪の開幕を間近に控え、新疆ウイグル自治区のボルタラ(博爾塔拉)・蒙古自治州温泉県にあるクロスカントリースキー場で、山東省の複数の企業が共同開発したスノーワックス車(スキー板に雪質などに合うワックスを塗るサービス車)は、同地で合宿訓練をしていた雪上競技のナショナルチームと合流した。同車は中国初の国産スノーワックス車で、換気装置が付いたスノーボードワックス台を備え、6人のスタッフが忙しくワックスがけを行っていた。1時間ほど後、新しくワックスをかけられたスノーボードが選手の足元に届けられていた。
これまで中国のスキーチームは競技会で、いつも会場そばか仮設テントの中にワックス台を置いていた。今やワックス車があり、速くきれいにワックスがけができるだけでなく、選手にウオーミングアップや試合の生中継などさまざまなサービスを提供できる。このワックス車は、ソーラー発電とエネルギー貯蔵、5G(第5世代移動通信システム)、工業インターネット、ビッグデータ、人工知能(AI)などの技術を一体化したもので、開発・設計の段階で66件の特許を申請したという。
北京冬季五輪の準備をきっかけに、国産品の「無から有」「有から優」を実現したのは、ワックス車やスケート靴だけでない。ここ数年の国内スキー場の増加に伴い、1台平均20万元以上もする輸入造雪機と比べ、国産造雪機は低価格でメンテナンスも容易なことから、特に小規模のスキー場で好まれている。今や国産造雪機は作る雪の量や質などの性能面で大幅に向上しており、将来的には輸入造雪機と肩を並べると期待されている。
「3億人がウインタースポーツに参加する」ことは絶えず深く推進され、ウインタースポーツ用品・器材産業も、間違いなくこの追い風に乗っている。工業・情報化部(部は省に相当)と教育部、国家体育総局など9政府機関は、『ウインタースポーツ用品・器材産業の発展行動計画(2019〜22年)』を共同で印刷・配布し、「22年までにウインタースポーツ用品・器材産業の年間販売収入を200億元以上とし、年平均の成長率を20%以上とする」と打ち出した。
また、『中国スキー産業白書』(2019年度報告)によると、国内スキー場で新たに導入された国産の造雪機は、15年の50台から19年には467台に増えた。
「ウインタースポーツブーム」を商機と感じている人の中には、スキー・スケート場の経営者もいる。北京市朝陽区の陳露国際スケートセンターでは、毎日朝から晩までフィギュアスケートとアイスホッケーのクラスの時間割がいっぱいだ。「17年に営業を開始した当時は、アイスホッケーチームは1チームだけでしたが、今では8チームにまで増えました。頻繁に練習に来る受講者は220人で、リンクの調整はとても重要です」と楊一瑋社長は言う。
ウインタースポーツに参加する人々の意欲が高まれば、スキー・スケート場設備の供給もこれに追い付く必要がある。国家体育総局によると、昨年初めまでに全国で標準的なスケートリンクは654カ所、室内外の各種スキー場は803カ所あり、15年と比べ、それぞれ317%と41%増加した。
中国初の国産スノーワックス車の中でワックスがけに忙しいスタッフ。選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、さまざまなスノーワックスを選び塗り方を調節する(新華社)
スキー人気が地域の発展促進
ウインタースポーツ産業のもう一つの「成長ポイント」はスキーツアーだ。家族や友人を誘ってスキー場に行き、スキーやスノーボードで「地上飛行」を体験した後は温泉に漬かり、現地のグルメを堪能し、そぞろ歩きしショッピングを楽しむ。こうしたレジャースタイルは新しい流行になっている。
『中国スキーツアー発展リポート(2021)』によると、調査に回答した消費者の55%が遠くへスキーツアーに行きたいと希望しており、82%が短期の同旅行を希望している。ウインタースポーツを軸に、飲食や宿泊などの裾野産業とサービス業の需要が喚起される例は、中国ではもはや珍しいものではない。
これについて、中国スキー史上で初の世界チャンピオンとなった郭丹丹さん(42)には大いに納得するところがある。郭さんは、その目でスキーツアーによって河北省張家口市の崇礼区が発展する過程を見てきた。「今の崇礼は、私が来たばかりの時とは全く違います。今はスキーに来る人は本当に多く、周囲の飲食店は超満員です」。郭さんによれば、スキーツアーの発展は崇礼という小さな雪と氷の街に巨大な変化をもたらした。
現役選手から引退して1年目の02年、郭さんは張家口市崇礼県(16年に区に改称)にある塞北スキー場にやって来て、スキーのインストラクターとなった。緩やかな丘陵状の山脈と豊富な天然雪という資源がありながら、崇礼のスキーツアーの発展は相対的に立ち遅れていた。
「02年に私が初めて北京から塞北スキー場に来た時は、車を運転して5、6時間かかり、道は凸凹でした。当時はこの地域全体で、塞北スキー場の管理されていないコース一つしかなく、レジャー目的でやって来てスキーをする観光客はほんの一握りでした」
翌03年には、崇礼で初めての総合型スキー場である万龍スキー場が完成。徐々にスキースポーツの大衆化が進み、崇礼でスキーを体験する観光客も増え始めた。「スキー場1カ所だけでは、すでに大衆の需要を満たせなくなっています。現在、崇礼には七つのスキー場があり、関連施設も日増しに整備されています」と郭さんは言う。
冬季五輪の招致成功後、崇礼のスキーツアーはサービス業の発展を加速させている。同地域の各スキー場はスポーツとレジャーが一体化したリゾート地に変身し、さまざまなレジャー・娯楽設備を完備している。また、19年の京張(北京_張家口)高速鉄道の開通に伴い、崇礼は「北京から1時間の生活圏」に入り、崇礼のスキーツアーをさらに活性化した。
「お客様は高速鉄道に乗って崇礼に着き、ホテルでチェックインした後、午後にはスキーに行けます」と話す太舞スキーリゾートマーケットセンター支配人の任暁強氏は、「夜にはバーや温泉、カラオケ、映画などを楽しめます」とPRする。さらに任支配人は、「たとえスキーシーズンが終わっても、引き続いて観光客はマウンテンバイクやゴーカートなど30種類以上のアウトドア・アクティビティーを体験でき、このリゾート地はまさに四季を通して運営されています」と述べた。
雪と氷の大地は金山銀山でもある――。スキーツアーの急速な発展に伴い、崇礼の人々は、この言葉の意味をますます深く実感している。年間150日にも及ぶ積雪期間に、地元住民の趙春新さん(55)は以前は困っていた。だが、今では空に舞う雪を見ても、心はむしろ浮き浮きとしてくる。
スキーリゾート地の建設に伴い、趙さんは警備員の仕事を見つけた。以前は、トラックの運転手として走り回っていたが、雪の季節は収入が安定しなかった。ところが今では毎月給料が振り込まれる。「真面目に働きさえすれば、ここでは仕事がないと心配する必要はありません」
スキーツアー・ブームが起こってから、地元の多くの人々が雪を「なりわい」とするようになり、趙さんの妻と息子もスキーリゾートで仕事を見つけた。収入の増加につれ、趙さん一家は村の小さな平屋から、明るく広々とした部屋が三つもある大きな家に引っ越し、生活条件も大幅に改善した。
19年末時点で、崇礼で直接あるいは間接的にスキー産業と観光サービスに従事している人は、3万人近くに上った。この中には、かつての貧困人口約9000人が含まれている。その年、かつて国家レベルの貧困県だった崇礼は、貧困というレッテルをすんなり取り去った。
太舞スキー場の街の夜景。ここにはハイクラスのスキー用品やファッションブランドの店が集まっているだけでなく、世界のさまざまなグルメを堪能できる(写真・陳建/人民画報)