教育支援で青春を謳歌 砂漠の子どもたちに希望あふれる未来を

2022-08-30 17:29:59

袁舒 王雪迎=文

王雪迎=写真

新疆ウイグル自治区のホータン(和田)市から80㌔以上離れた砂漠の真ん中に、地元の人もあまり訪れないバクトゥンという村がある。気候が厳しく、乾燥しており、砂嵐が頻繁に発生する。しかしここには、快適で便利な大都会を離れ、教育支援を通して砂漠の子どもたちのために明るい未来への懸け橋を築く若者たちがいる。 

  

砂漠の中の小学校 

北京から直通列車で30時間、3000㌔西へ進むとウルムチ(烏魯木斉)に着く。そこからバスに乗り換えて丸2日、タクラマカン砂漠を抜けてホータン市まで移動。最後はホータンの市街地から小型バスに乗り換えて、やっとホータン県タワクル郷バクトゥン村に到着する。2017年以前、ここの子どもたちは貧困や教育条件の悪さなどが理由で、満足な教育を受けられないでいた。バクトゥン村小学校はタワクル郷にある11の村レベルの小学校で成績がワースト2位、正しい読み書きを教えてもらえず、卒業しても自分の名前すら書けない児童もいた。17年、自治区の共青団委員会は「村で教える・ボランティアが教える」と銘打った、教育による貧困脱却の新たなプロジェクトを立ち上げた。新しい教育支援モデルを採用し、毎年西部計画(大学生・大学院生を募集してボランティアとして西部地域の基礎教育や医療・保健などを支援する)で全国から「支援教員」の大学生・大学院生をバクトゥン村に派遣し、村の小学校と幼稚園が抱える教員不足、教育手段の遅れなどの問題の解決を支援している。 

  

バクトゥン村小学校の教育支援プロジェクト開始当初、大きな声で教科書を朗読している子どもたち(写真・茹可) 

プロジェクト開始当初、バクトゥン村の小学校に初めて来た支援教員の多くは、教育環境の悪さに衝撃を受けたと言う。校舎は向かい合って建つ2棟の平屋で、教室の後ろでは石炭ストーブがたかれ、空気中には黒い煙と鼻を刺す臭いが漂うのにストーブから離れた席に座る子は全く暖かさを感じられず、小さな手には霜焼けができていた。授業中に大きな音がして振り返ると、座っていた椅子が崩れて児童が床に尻もちをついているなんてこともあったそうだ。だが児童たちはそれに慣れているらしく、先生が駆け寄って手伝う前に、慣れた手つきで椅子を固定するワイヤーをひねって椅子を組み立て直して、何事もなかったかのように黒板に向き直って授業が再開するのを待つのだった。 

具体的な科目を教える前に、まず子どもたちの学習習慣を立て直すことが必要だった。「家の手伝い」「弟妹の世話」……そんなような理由で学校に来ない児童は多く、全体の出席率は30%以下。第1期の支援に携わったグリ・アイシェームさんは、児童の家一軒一軒に電話をかけ、クラス委員の案内で各家庭を訪問した。児童が両親の代わりに弟妹の面倒を見るために学校を休んでいるのを見ると、保護者と一緒になって他の方法はないかと検討した。家族に本当に面倒を見る余裕がない場合は、児童が弟妹を学校に連れてくることを認め、授業に出ていない教師が交代で面倒を見るようにした。家庭訪問を重ねるうちに、学校を休む児童が減り、1カ月後、出席率は90%を超えるまでになった。 

  

小さな手を取り広い世界へ 

昨年6月、蔡漢左さんは第5陣の支援教員としてバクトゥン村にやって来た。蔡さんが担当するのは算数だが、着任当初の授業では、数時間かけて入念に準備しても、期待した効果を上げることができなかった。なぜ子どもたちは分からないのか?どこが分からないのか?蔡さんは頭の中でそればかりを考えていた。昼は授業をし、夜は有名校の先生の動画などを見て、周りの先輩にも積極的にアドバイスをもらいながら勉強をした。そして子どもたちにもっと授業に興味を持ってもらえるように、面白い教材もたくさん作った。 

成績が最下位の5年2組の担任になった韓東鋒さんは困難な任務にもかかわらず、やる気満々だった。支援教員のほとんどは非教職課程出身で、大学を卒業したばかり、これから教職に就くとも限らない。バクトゥンの子どもたちが自分にとって最初の教え子であり、おそらく最後の教え子であることは、ここに来たときから分かっている。だから皆、限られた時間を大切にし、子どもたちにありったけの熱意を注ぐ。韓さんは言う。「バクトゥンでは居場所というものを感じられる。自分がいなければ、先生が一人少なくなる。自分が頑張れば、子どもたちにとって道がまた一本開ける」 

  

バクトゥン村小学校で2年目の教育支援をする楊鑫靖さんと受け持つ4年1組の児童たち   

バクトゥンは変わらなければならない。ここで生活する少女たちは親が言う通りにほとんどが中学卒業後に結婚する。農民の子どもは農民にしかなれないと信じており、親が生きた道をたどって生きていく。砂漠の向こう側がどんな世界なのか知らないし、いつかここから外に出なければならないとも思っていないのだ。「経済的にも文化的にも、バクトゥンは砂漠のようなものだ」。北京大学から支援に来た劉継さんは、厳しい自然環境と極端に遅れた社会環境のために、この地は外の世界とほとんど切り離されていると語る。「親は子どもの教育をほとんど考えていないし、子どもに対する期待もない」。しかし、劉さんが最後に心を打たれたのは、子どもたちが心から知識を求めるその姿だった。だからどの支援教員も子どもたちの小さな手を取って、「この子たちを砂漠から出して、もっと広い世界を見せてあげなければ」と心の中で決意するのだ。 

先生と児童の共同の努力により、バクトゥン村小学校の成績はタワクル郷内ワースト2位から、ホータン県内の村レベルの小学校139校のうちで総合得点1位になった。以前は他の学校への転校を希望していた児童も安心して勉強できるようになり、10㌔以上離れた村からも多くの保護者が子どもをバクトゥンに転校させるようになった。 

児童の心境にも大きな変化が見られた。最初は学校が嫌いで泣いて登校拒否していたスビヌールさんも、次第に勉強が好きになり、最後はバクトゥン村小学校を最優秀の成績で卒業し、新疆のレベルの高い中学校に入学することができた。「以前は漢民族の先生たちがどうして無条件に私たちに良くしてくれるのか、何が目的なのか分かりませんでした。でも、サマーキャンプでウルムチや北京に出て来て、もっと広い世界を知って初めて、自分たちがしっかり勉強して、ホータンを出て、中国各地をもっと見ることができるように頑張ってくれてたんだと分かりました。必ずしも、父の代までの人たちのように、私たちも生涯砂漠で暮らす必要はないのだと知りました」。そう語るスビヌールさんは将来の進路もすでに考えている。「先生みたいに、たくさん勉強して、進学して、自立した女性になりたいです。母や姉とは違う道を歩んでみたいのです」 

  

献身する中で愛を学ぶ 

若い支援教員たちは、汗水流してこの砂漠の中の小学校を変え、その過程で彼ら自身も少しずつ変わり、ひたむきな努力によって人生における貴重な洞察を得ることができた。 

山東省出身の楊鋭さんは、バクトゥンへ来る前、自分は少し気取った学生だったと言う。大学の頃、650元のナイキの靴を履き、2日に1回は柔らかいブラシで丁寧にケアし、服も毎日洗濯していた。彼女はバクトゥンへの荷物の中に1300元もする赤いジャンパードレスとエレガントなワンピースを詰め込んだ。しかし、タクラマカン砂漠の吹き荒れる風と砂が彼女の生活を変えた。2着で78元の上着を洗濯して変形しても着続け、靴は2足で50元のものを履く。ワンピースは教え子のアマニシャさんの母親にプレゼントしたし、ジャンパードレスはスーツケースから出したことすらなかった。3年間、毎朝化粧をする習慣も完全に絶たれた。その上、シラミを駆除するために、女子児童たちと一緒に頭を丸刈りにした。今の楊さんは外見をあまり気にしなくなり、きれいにおめかしすることより、児童が勉強で大きく進歩する方が達成感があると言う。卒業後、大都会で働く同級生たちは、楊さんが完全に別世界に消えたと感じ、時々彼女に助言する。「理想を追い過ぎてるんじゃない?2年間新疆にいて、帰ってきたら貯金もなく彼氏もいない負け組になるよ。親のことも考えないと」と。楊さんは、友達が自分のためを思って言ってくれているのは分かっていたが、大学卒業が人生の分岐点であり、誰もが同じことを追求するわけではないことも分かっていた。今では、児童たちが先生のためにそっと教壇に置いたブドウや赤いナツメの実を見るのが何よりの幸せだという。バクトゥン村では毎日、自分が児童たちに愛されていると実感できるのだ。 

  

シラミを退治するために、楊鋭さんは女子児童と一緒に頭を丸刈りにした。髪の毛を剃った次の日、教壇に立つ楊さん   

17年からの5年間、北京、河南、上海、陝西、広西、四川から西部計画のボランティアたちが次々とバクトゥン村小学校にやって来て、リレーのようにこの村の子どもたちの夢をつないできた。多くのボランティアは1年の支援を終えて帰っていったが、バクトゥンとのつながりが途切れることはない。劉継さんはボランティアを終える前に、これから来る新しい先生たちのために40のデジタルファイルを整理して教学冊子を作った。今でも時々、バクトゥン村で教育支援をしている先生とビデオ通話で指導方法などについて語り合うことがある。バクトゥン村小学校は、彼にとって切り離せない心のよりどころとなった。 

「1年の時間で、一生忘れられないことをした」。これは、ここで教壇に立った若者たちの心の言葉だ。今日のバクトゥン村小学校にはピアノ10台が寄贈され、鼓笛隊、サッカーチーム、ダンスチーム、朗読チームも結成され、この砂漠の中の小学校は子どもたちのカラフルな夢を実現できる場所となった。 

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