「善を守る『糸』」

2023-12-06 16:07:00

王斉聖  国際関係学院  

 

休暇中、黒澤明監督の映画『羅生門』を観た後、芥川龍之介の『羅生門』に興味を持ち、『羅生門』を読むために手に入れた短編小説集でしたが、その中の『蜘蛛の糸』に深く引き込まれました。

『蜘蛛の糸』は、泥棒カンダタが悪事を働きすぎて死後、18層の地獄に落とされ、さまざまな拷問を受けていましたが、仏陀は彼がかつて蜘蛛を助けたことを思い出し、彼にまだ善心があると考え、彼に地獄から逃れるための蜘蛛の糸を垂らしました。カンダタはその糸につかまり、上り始めますが、彼は他の罪人たちも糸に掴まっていることに気付くと、糸が切れることを心配し、他の者たちを蹴落とそうとし、結局は彼も一緒に再び地獄に落ちました。

『蜘蛛の糸』は童話のようですが、実際には人間性について深く掘り下げ、善悪観や人間の複雑さを鮮やかに描写しています。芥川龍之介は、物語で人間性の善の側面に対する彼の内なる追求と願望を世に示し、彼の思考は中国の「勿以恶小而为之,勿以善小而不为」という古いことわざのように、小さな善行を無視しないよう促しています。

しかし、芥川の作品から百年が経過した今でも、私たちは人々の心に真の善意を見出すことができていない現実に直面しています。インターネットの発展により、人々の距離は縮まりましたが、無形の壁が生まれ、社会はますます冷たくなり、高齢者が転んでも誰も手を差し伸べず、自殺者が現れても多くの人が見ているだけで止めない、さらにはネット上で他人を攻撃し、ののしり合う人々が増え、キーボードから簡単に出てくる言葉が他人にどれほどの傷害を与えるかも考えることはありません。

人間は社会的な生き物であり、孤独に生きることはできません。他人に対する善意は最終的に自分に戻ってくるということを私たちは理解すべきです。

ネット上で他人をののしる人々は、蜘蛛の糸で他の罪人を叱責したカンダタと同様です。彼らがののしられる立場に追い込まれ、深みに落ち、誰も慰めてくれない状況に直面したとき、自分の行動をどのように振り返るのでしょうか。

この作品は、自己中心的な心を厳しく批判し、人々の友好と調和を願うものであり、今日でも有効です。中国の人々が魯迅の作品を評価するように、現実を分析する文学作品は時代を超えています。

私たちは著者の洞察力と筆致を称賛すべきでしょうか、それとも百年経った今も社会が私たちの期待するように美しいものに変わらないことを嘆くべきでしょうか。

現実に立ち向かうとき、私たちは嘆く必要はありません。自ら始めて、生活に情熱を持ち、他人に親切で冷たくならないよう心がければいいのです。魯迅が、「有一分熱,發一分光,就令螢火一般,也可以在黑暗里發一點光,不必等候炬火。此后如竟没有炬火,我便是唯一的光」と言ったように、自分の善意と熱意を保ち、現代の光となるよう努力していきたいです。

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