死に近づいて

2023-12-06 16:20:00

李湘蓮  四川外国語大学  

 

 八月末、久しぶりに故郷に帰った。この日は中元節であり、祖先の霊を見送るために焼香をする習慣がある。
 朝早くから小雨が降っていた。家族が祖先に対し焼香をしたが、父はずっと何を祈っていた。恐らく加護を願っていたのだろう。雨粒が襟を濡らし、祖父母の遺影に落ちると、誰かの思いを伝えているかのように見えた。
 「自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた」

『城の崎にて』を読み終えたばかりだったからか、その一行をふと思い出した。そして疑問。私は祖父母の死を目にした時、不思議と「死」はただの見知らぬ恐怖を感じさせるものだった。
 午後は灼熱の下で、家の前で野菜を下処理している時、蝉は必死に鳴いていた。そして足元を見ると、整然と進んでいるアリの行列に気付いた。そして列の先には死んだ蝉が一匹居て、アリたちは蝉の死体を必死に運ぼうとしていた。これは本の主人公が蜂の死を見かけた時の光景と瓜二つだった。アリたちがどれほど頑張って運ぶにせよ、仲間がどれだけ存在を告げるにせよ、まるでそれら全てと関係がないように、本来うるさく鮮明だった生物は、今は本の書いた通り、静寂そのものだ。
 夜が更けても私は寝付けず、昼間見た光景を思い出していた。死はこれほど静で自然なものなのか。冴えた月光が床に降り注いでいたが、答えをくれなかった。明け方、ようやく眠れそうになった時、突然激しい腹痛に襲われ、気を失いそうになった。うめき声を出して苦しんでいると、両親が私に気付き、厚い布団で私を包んでくれた。痛い、熱い、寒い、寂しい……頭の中はカオスさながらだった。苦痛に身をくねらせた私は、本の中の鼠のようであり、産着の赤ん坊のようだった。疲れた、今回死神が足元ではなく枕元に座っているのか、彼を追い払う呪文は何だったか……すると、徐々に、睡魔がやってきたが、ここで寝ると二度と目が覚めないのでは、と思い睡魔と戦った。しかし戦いの末、深い眠りに落ちていった。
 長い夢を見た。
 真っ暗なトンネルを歩いていると、遠く出口に祖父母が立っているのがうっすらと見えた。トンネルの中に風の音も足音もなく、私は無言のまま、この静寂を楽しんでいた。
 蝉の鳴き声が耳に入り、目を開けると、暖かい日差しだった。頬に涙の跡、忙しい両親の姿、そして蝉の声とアリたちも、皆私がまだ生きていることを痛感させたが、昨夜は、死が私のすぐそばにあり、命とは脆いものだとしみじみ感じた。そして、つい「城の崎にて」に出てきたイモリを思い出した。自分もイモリのように死んでしまうと思ったが、偶然にも生き残った。「運のいい奴だ、今日はお前の第二の誕生日だ」死神の囁きが聞こえたようだ。死の一歩手前まで行ったからこそ、生きている私は死に対して親しみを持つようになっただろう。そう考えながら、立川志らくさんが語る落語『死神』の最後の一言を思い出した。「祝ってやるよ、誕生日おめでとう」。

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