喪失の向こうにあるもの——「キッチン」を読んで

2023-12-06 16:45:00

馬長河 四川外国語大学  

 

「私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う。どこのでも、どんなものでも、それが台所であれば、食事を作る場所であれば私はつらくない」

初めてこの風変りな冒頭を読んだ時、戸惑いを覚えた。

いくら題名が「キッチン」でも、いきなり冒頭で台所への愛着を表すのはやはり唐突だと自分が思ったからだ。しかし、物語の結末から遡って再び冒頭の言葉を読んでみると、暖かさにほのかな悲しみを帯びた心地になり、いつもその奇妙な雰囲気に浸っている自分がいる。

この物語は死と愛にまつわる。

主人公の美影は若死にした両親に次いで、唯一の身寄りだった祖母にも死なれ、そんな彼女がある縁で、田辺親子と一緒に暮らすことになった。少し間をおきながらも、三人がお互いに寄り添い慰め合い心温まる日々を送っていたが、それも田中えり子の死で終わりを迎えた。

淡々と描かれたこの物語を読んでいると、死という言葉さえも柔らかく感じるほど、いつも落ち着いた心地になる。そこに自分の人生も映っているように思えてくる。自分も美影と同じく、大切な人に死なれ、死とそれがもたらす悲しみに向き合いながら生きている。人間それぞれ人生の体験を持ち、それによって感情も変わってくるものであっても、死に対しての喪失という事では、いささかも変わらないではないか。

人間はこの世に産み落とされ、その後、再びこの世に還される超越的存在から死を宿命付けられている。いかなる形でも、死は人間を不幸の淵に陥れるが、それに対する意識は人や民族によって異なるものだ。この物語から、日本人の死生観が微かに覗いてくる。さながら、草花が生い茂っては枯れてしまうが如く、人生は儚いものだ。従って死の運命にある生身の人間としてできるのは、縋り合いながら、今をしっかり生きていくことのみである。

このような死生観から、主人公の台所への愛着が生まれる。ここで、「キッチン」の意味を再び掘り下げると、生きる上で欠かせない営みが行われる場所は、この世の優しさと暖かみを象徴するように思える。人間が自らの人生を送るには、他人から貰う善や慰めも必要とされる。なぜなら孤独や喪失は、人間が生きていく上で最も回避できないこととは言え、誰もそれをあっけなく受け入れることができないからである。だが、喪失の向こうにも悲しみの淵ではなく、何か心を和ませる明るいものが存在しているに違いない、と私はこの小説から教わった。

絶えず運命の影にぼかされる人生ではあるが、喪失の向こうにある明るさを見据えて歩むが良い。この世に生きるすべての命、いずれも何かを失いつつ、この先へ……。

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