「一茶と猫と四季」で日本の俳句を知る

2023-12-07 11:56:00

安家毅  南京大学  

 

「一茶と猫と四季」を知ったのは偶然、文学、特に詩賦など、言葉の美しさを深く秘めた難解なものばかりを選んでいなかった。友人から贈られたこの本を、ただぱらぱらとめくってみると、今まで感じたことのない、優しく淡く美しい小林一茶の俳句の美しさがあるような気がする。私にはあまりなじみのない美しさに憧れ、小林一茶とその特色ある詩句をもっと深く知りたくなってしまった

「猫と四季」は、一茶さんが猫を題材にした俳句集。猫の日常を多く扱っているのも特徴。ページをめくると、小林一茶さんがいかに猫を愛しているか、いかに猫を可愛らしく観察しているかがよくわか。そして、彼がこの世の小さな生き物たちに残した想いがいかに優しいものであったか、そして、その後も一茶が何百首もの猫の俳句を詠んだことを不思議に思うことはない。ここにある一首一首の俳句は、すべて小さな袋の猫の餌のよう。この猫の餌は星明かり、露、梅の花や若葉と関系があり、一年中一茶と猫やその他の生き物の味のよい生活を表してい。同時に、一茶の濃い人情味をも表してい

百首の俳句が私に与えた感じは中国の器宇軒昂、大統一の風格を示す漢賦唐詩とは全く違、その感じは更に陰鬱でくじけた魏晋の風骨のようで、しかしまた相対的に更に優しく婉曲。「大陸の文明は島国の文明の繊細さを永遠に味わうことはできない」という言葉があるかもしれないが、俳句自体は訳すことができない。俳句自体は物事の描写と暗示を重視しているため。俳句を中国語に訳すと、上下や音節が大きく異なり、ニュアンスも変化する。一茶の俳句はなおさら。俳句の誕生と発展は、庶民の階層では、日本で最も素朴な「俗」の文化であり、この文化は壊れた物質環境の中で美を発見したため、俳句は題材の運用機能に強い作者の自嘲を体現することを要求してい。彼の強いものへの反抗、弱いものへの同情は、かつてなく、後にも先にもなく、窮屈な生活の中にあっても、常に周囲のものをいとおしむ心を持ち、同じ境遇の中にある同じような弱いものに注目し、彼らの哀歓を感じ取っていたの。いずれにしても一茶の俳句は、彼が美だけでなく愛を発見したことを見せてくれ

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