自己との和解

2023-12-07 12:02:00

劉泳希  南京信息工程大学文学院

 

子どもの頃によく耳にしたのが、「あの子は冷たそうだ。」という評価だった。きれいではない歯並びのせいで、子どもの頃はいつもみんなと遊ぶ勇気がなかったし、積極的にコミュニケーションもできなかった。大学に入って、大人になるにつれて少し明るくなったが、自信がないので明るく暮らせない。ある日、偶然インターネットで新海誠監督の新作『すずめの戸締まり』の北京大学でのプレミアを見た。監督が手に持っている三本足の椅子が印象的だった。「たとえ完璧でなくても、明日に強く立ち向かうべきだ。」新海誠監督は三本足の椅子について大体このように説明した。私は監督の説明に惹かれて、その映画を見に行った。

『すずめの戸締まり』は少女・岩戸鈴芽が旅の青年・宗像草太と共に災難の門を閉めていく旅をするという物語だ。物語の初め、鈴芽の過ちで、草太は「後ろ戸」から飛び出した子猫に呪われ、三本足の椅子に変わった。「後ろ戸」というのは、災いの出入口となってしまっている扉のことだ。草太をもとの姿に戻すために、日本各地でずっと開いている「後ろ戸」を閉めるために、鈴芽と椅子の旅が始まった。少女と椅子が猫を追いかけ、各地の災害を鎮めながら全国を旅する。最終的には、世界を救った。

 初めてこの三本足の椅子にすぐ気づいたように、私は映画に出てくる椅子にも興味をひかれた。私の考えでは、この椅子は鈴芽の心の傷を表している。鈴芽の旅は、鈴芽がその傷を癒す旅とも言える。最初、鈴芽は椅子は弱くて役に立たないと思ったかもしれない。しかし旅の中で、椅子は徐々にその役割を発揮し始める。例えば、みかん農家の少女が車を運転して坂を上る途中、みかんを縛ったロープが外れた。みかんは丘から転がり落ちて行った。椅子はそれを見ると、ネットを張ってでみかんが散らばるのを防いだ。あるいは鈴芽が子供の面倒を見るのが大変そうだと見ると、動くおもちゃの椅子になって子供を楽しませる。椅子は不完全であるにもかかわらず、思いがけない役割を果たしている。草太がだんだんこの不完全な椅子の姿に慣れているのを見て、私も自分の小さな欠点ぐらい気にせず、素晴らしく生きられると思った。

鈴芽にとって、母は彼女のすべてであり、幼いころから鈴芽に温かさや喜びを与えた人だ。三本しか足ない椅子は母親の作ったものだ。地震による津波は彼女の母親を連れ去り、鈴芽に深い傷跡を残した。この三本足の椅子は、鈴芽の傷ついた空っぽの心の一部を示していると思う。鈴芽は、最初は心配してこの椅子を持って歩いたが、最後は安心して椅子の上に立っていた。鈴芽は過去の自分と和解したのだ。

 たとえ傷ついても、立ち直ることができる。鈴芽の旅は彼女を癒すとともに私を癒してくれた。私がすべきことは、自分の欠点を受け入れて前向きに積極的に生きることだ。だから私も勇気を出して自分の光る点を見て、もっと良い自分になる。

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