無縁から有縁へ

2023-12-06 15:51:00

劉詩穎  広州大学

 

「もう98歳なのに、何で死ねないの。」

去年の春節、一人暮らしの祖母が私にこう言った。 暖かい冬の日差しに照らされているはずなのに、わたしの心の中は真っ暗闇で大きな悲しみが湧き上がり、祖母から発せられる寂しさに襲われた...

故郷を離れる途中、列車の窓の外に色あせた枝を眺めていると、以前見たNHKのスペシャル番組「無縁社会」を思い出した。「無縁」とは、人と人とのつながりが無く、人間関係が希薄な孤立した状態を言う。無縁社会では、老いても手を差し伸べてくれる人はなく、孤独死に至る場合もある。放映後大きな注目を集めて、NHKには14,000通もの手紙が届いたそうだ、その中には私と同世代の人々もいた。

「フリーターとして1人暮らししています。誰とも全く会話がありません。精神的にもかなり不安定とかしています」(19歳)

「私は、あの…、20代の男です。正直ちょっと寂しくて自殺が頭によぎる時もありました。周りからいっぱい声かけてほしいです。なんでもいいです。以上です。」

それを知った後、今の私自身は無縁社会の中で生きていないと思っているが、無縁は誰にとってもありうる苦境かもしれないと感じた。

私にも地縁、社縁、血縁が全て無くなってしまった時があった。地方から大都会に移り住んだ私の家族は隣近所に知り合いも居なかった。高校時代、勝気で狷介な私はクラスの男の子に言葉で苛められ始めた。親友たちとも違う高校になっていたし、両親の仲も良くなく家にも帰りたくなかったし、結局、苛めのことを誰にも言えなかった。私は、無縁という騒音に覆われ、孤独と無気力に陥っていった。しかし無縁という状態は絶対的なものではない、当時の担任の先生が私の異常を察知して、学校の心理カウンセリングを予約してくれた。優しくて、親切な先生のカウンセリングが一学年を過ぎる頃、私の心は平和になっていた。あの時の先生が居なかったら今の自分はないと、思い出すたびに胸が熱くなり涙を禁じ得ない。当時の自分は本当にラッキーだと深く思っている。

しかし故郷の祖母のような無縁状態は、私に無縁社会の存在を実感させた。平凡な一生を過ぎて、子供達も離れ、友達も仕事もない、携帯電話もあまり使えない、孤独に生きている祖母のようなお年寄りは中国に大勢いる、そしてそれは未来の私であるかもしれない。そんな生活は聞いただけでも耐えられない、やはり人は「無縁」であったら生きていけない、「有縁」の「共生社会」の中でこそ生きていけるのだと思う。

新たな「つながる場所」を探し、「つながる力」を持つ人になろう。例え伝統的な縁が消えても新たな縁は作れる。「無縁」は絶対的ではない。一人が新たなつながりを作れば、新しい縁が生まれ、さらに自分が誰かの縁になることもできるだろう。そんな勇気を持って、今を一生懸命生きていきたいと私は思う。

無縁から有縁へ、これから、どんな縁に出会えるのか、今から楽しみだ。

関連文章