海よ、僕らのつながり

2023-12-07 15:10:00

李愛群  大連海事大学  

 

「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。」

授業でテキストに書かれた三好達治のこの句を見た時、何を言っているのか分からなかったが、よく見てみると、「海」の文字に中に「母」という文字がある事に気付いた。この謎が解けた瞬間、海の向こうの詩人、三好達治と深く繋がっていると感じた。

教壇に立っている先生が三好達治の生涯を紹介している時、私は「郷愁」というテーマから、異国の海を眺めている達治のイメージを想像していた。授業中にも関わらず、思いはまるでこの詩に書かれている「蝶」のように、別の所に馳せていた。

四年前、海沿いの都市で生まれ育った私は、人生で初めて家を離れ、一人で遠くの内陸にある大学に通い始めた。最初はホームシックで、何度も泣いたが、徐々に大学での生活に馴れ、軌道に乗ってきた。

勉強の生活に没頭していた時は、親や故郷の友達との連絡を忘れてしまったこともよくあった。故郷から遠く離れた場所で、私は新しい先生や友だちと出会った。彼女たちとの付き合いにより、違う地域の文化に戸惑い、日本語の勉強により、違う国の文化に驚いた。そして、どちらからも「共通点」を感じるというより、「違和感」を感じたことが多かった。恐らく、カルチャーショックとはこういうものかもしれないと思った。

達治のこの詩に出会ったとき、故郷を離れて既に長い時間が経っていた。この間、新しい友達と色々な所へ旅行したことがよくあり、当然、その青く静かな海を見たこともある。その時、故郷にある広くて果てしなく、いつも美しく輝いている海が記憶のどん底から浮かび上がり、私の心を乱した。その瞬間、不思議なことに、今回は達治に「共通点」を感じた。

日本語という新しい言語を勉強する以前、言語の壁は乗り越え難いと私は思い込んでいた。なぜなら、たとえコミュニケーションできたとしても、お互いの心で通じ合うことは出来ないと思っていたからだ。

しかし、私は「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる」と繰り返し囁いた。すると、達治の故郷への思いが、私の心に届いたような気がした。日本語で書かれた詩を通して、この静かな海の波の音の響きから、達治と同じ気持ちを感じた。

「皆さんも、達治と同じこと体験したことがありますか」と先生の声で、私は空想の世界から戻ってきた。そうだ。まだ授業中であった。

「あります」私は心の中で大きな声で答えた。中国と日本には広い海があるにも関わらず、私と達治は違う文化の元で育った人間であるにも関わらず、言葉を通し、詩を通し、私たちが共有している海を通し、私は時空を越え、達治が感じたことを感じている。

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