「青春」は一体何でしょうか

2023-12-07 15:15:00

張玉熙   天津科技大学  

 

私はずっと前から日本の文学が好きになりました。それは、たぶん中学生の時、父から東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇跡』をもらいました。そして、東野圭吾の作品を常に読みになりました。その中、一番印象的なのは、『同級生』です。

その本はだいたい、主人公西原の彼女が交通事故で亡くし、彼は学校で勉強しながら、犯人を探すという物語を語ります。私はその時、判断力が弱いので、彼の行動に深い影響を与えられました。先生に口返して、友達と伴に嫌な人を孤立して、様々な「青春っぽい」ことをしました。

私の中学校は全寮制のです。昼ご飯の後は、休憩時間で、全員寮に戻るべきです。ある日、友達が「休憩時間つまらないでしょう?逃げろ、教室で隠れよ」と言いました。少し考えると、私は頷きました。その後、私たちは教室のコンピューターで映画を観ました(うちの学校は携帯電話を禁止です)。幸いなことに、私たちはなにやら寮の管理人さんに見つけられませんでした。翌日、疲れたので、その友達は一人で行きました。しかしその日、管理人さんは異常な状況が気づきました。眠っている私は管理人さんに起きられて、彼のことを聞かれました。もちろんその対応の言葉を用意しておいたが、起きるが早いか質問を聞かれて、浮足立って、せっかく「彼はトイレに行きました」と答えたが、その瞬間後悔しました。午後の授業で、先生は皆さんに彼の反則を通報しました。嘘をついた私も処罰を受けました。私は怒って、その場で処罰に不満を示して、先生の言葉に反論しました。私はその時、友達を守りたいのみならず、その先生の「専制」も壊したいし、『同級生』の西原であるかのように自分の力で大人に反抗したいし、自分が思っている「正しいこと」をしたいです。当然、その行動は、重大な結果をきたしました。

私は以前、「それは青春だ」と思います。でも、その事件が終わると、常に「青春は一体何でしょうか」と考えています。青くて痛くて脆い青春は、キャンパスで過ごしました。少し振り返ると、ばかばかしいことを本当にたくさんしました。その幼稚な考え方、果敢な行動、他人を傷つけないように作った優しくて白い嘘は、全て「青春」という時期の構成要素であり、正しくないかもしれないが、それらは、私自分の選択です。私はその時、特に自意識過剰な大人を嫌いです。自己中で、責任を逃ればかりして、何の役にも立たないのは、大嫌いでした。だからといって、それは無遠慮でわがままの口実ではありません。自分勝手な行動は「青春」ではなく、無知です。後先考えず、憚らない行動は、他人や自分を傷つける三尺の秋水になるだけです。省みると、夢に向かえ、冷静に判断を下し、命知らずように一所懸命頑張るのは、青春の「本物」です。

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