勇ましく生きて幸せになれるように

2023-12-07 15:17:00

陳思呂  長江師範学院  

 

人生を通じて、分岐点を通るたびに一つの選択を出さざるを得ないものだ。しかし、あらゆる選択はあながち正しくない。仮に、過去に戻って選択し直したとしよう、幸せになれるか。それをふりだしに、作家の住野よるは『また、同じ夢を見ていた』というライトノベルを作った。

大人っぽく見える小柳奈ノ花は「人生とは、(映画など)みたいなものよ」ばかりの口癖を言い続き、友達もない小学生だ。未来の自分のおかげで、小柳は「幸せとは何か」の答えを見つけた。

最も痛ましいことに、親が亡くなった高校生の南さんのことだ。彼女は両親に悪い話を言ったまま謝れないことに苦しんでいる。親がもう亡くなってしまったからだ。それで我が国の「子養わんと欲すれども親待たざるなり」の悲しさを思い出さされた。そのせい、彼女も心を閉ざしているだけでなく、傷つけたいと思ってばかりいる。一方、悪口を言われているアバズレさんも一人暮らしのおばあちゃんも孤独で愛されないうえに理解されないのは哀れっぽいようだ。

やけくそになる南さんと自堕落に甘んじるアバズレさんとずっと孤独なおばあちゃんは三つの未来として小柳と出会った。彼女たちが来るからこそ、小柳は両親と和解したり、全力を挙げてもう少しで失うところだった隣席の桐生君を挽回したり、愛を手に入れたりすることできた。その代わりに、彼女たちもきっと小柳と付き合っているうちに自分の幸せを取り戻しただろう。

作者がそのライトノベルを作るのは人に人生の意味が理解でき、自分に属する幸せが見つけられ、いつでも難しくても諦めぬ最後まで後悔しないでほしいからだそうだ。「人生でどこでも出発点があればこそ、いつからでも全然遅くないわけだ」通りの意味だと言ってもいいだろう。私たちは過去に戻って選択し直せないので、幸せになれるように諦めず頑張って生きるほかにならない。そこで、勇気を出してください。

日本からの小説やアニメや音楽など大多数の作品が誰にも幸せになれる願いがあるらしい思いがする。積極的暖かさを感じさせてたまらない。それも私が日本の作品とか好きな理由だ。

つい中学時代が思い出された。その時よく家族の愛を味わえないので死にたい思いも出たものだ。今から見ると、愛されないより死んだほうがましだと思っていたとはなんかバカみたいなと考える。今が不幸せだからといって未来も幸せを取れないとは限らないからだ。よりによって火を浴びて生まれ変わった鳳凰のようにどんなに失望しても未来を期待していて、いつか自分の美しい幸せを持ち得ると信じでいる。

知っている限りでは、日本のみならず、どんな国でも毎年家庭やいじめなどで生活に絶望したり迷いたりしている人がいるのは間違いない。それに対して誰でもいくら困難にぶつかっても諦めず勇ましく生きて幸せになれるように願ってやまない。

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