言葉の力は無限だ

2023-12-07 15:50:00

劉謹華  河北北方学院  

 

 父は仕事で遠くの省に行く。暫く帰ってこない。出発する日、父は荷物を車に乗せながら見送る私に言った。

「行ってくるよ」

父が車に乗り込む際に、私は何か父に声をかけようとしたが急に声が詰まってしまった。何を言えばよいのかわからなくなった。父はそんな私に気がついて窓を開けた。

「どうした」

…いや、別に」

「そうか」

これは先日、父が仕事に行く際の私達父娘の様子だ。この時、次のような言葉が頭の中をよぎった。

「サイダーの ように言葉が 湧き上がる」。これは主人公チェリーさんの俳句で、映画のタイトルにもなっている。またチェリーさんの気の弱さを克服してヒロインのスマイルさんに告白したい気持ちを表して詠んだ俳句だ。この映画は、人と付き合うのが苦手な俳句少年チェリーさんとコンプレックスをマスクで隠す少女スマイルさんの関係を描いた物語だ。最初この映画を見て、ただ俳句の五七五の言葉のリズム感があって面白いと思うだけだったが、振り返って考えてみて、自分も父に愛を伝え切れているのか思い返してみた。すると最初に見た時と比べて、二度目に見た時は前回とは違う意味が分かった気がした。それは自分と父の関係に思えた。チェリーさんは自分の愛を伝えたい気持ちを上手く言い表すことができず、いくら俳句を作ってもスマイルさんに素直な思いを伝えられなかった。チェリーさんも、そして私も。

父の車の窓が閉まる前に勇気を出して、ずっと思っていたことを口に出した。

「体に気に付けて。それから、勉強する…」

しまった。やっと口から出た言葉がこれなのかと思い自分が嫌になった。しかし、私はその時まで父にこの程度の心遣いの言葉すら言ったことがなかった。

小学校の頃から、よく国語の先生が「言葉の力は無限だ」と言っていた。しかし、その頃の私はそれがどんな意味か理解できなかった。私の家は古い保守的な家で、誰もわざわざ「愛してる」なんて言葉を口にしない。父は何も言わず物事を黙々とやるだけで、いつも行動で愛を伝えるタイプの人だ。私も親の期待に、勉強の成績で応えることしかしなかった。大人になった現在でも、自分の思いを伝えるのが得意ではない。この映画を見て、何かを変えようかなと思い始めた。だから気の利いた言葉は出てこなかったが、私自身の一歩を踏み出すことはできた。少し驚いている父の顔を見ていると、自分の気遣いの言葉が少しは父の心に刺さったのかなと感じた。

一般的に東アジアの国々の国民性は控えめで、あまりストレートな愛情表現を好まないといわれている。世界にはまだ多くのチェリーさんや私と同じような愛情表現に不器用な人がいることだろう。この映画は、あえて愛を語るすばらしさを伝えている。みんなも、この映画を見て、愛情表現をする勇気を取り戻してほしい。そして、言葉の力、大切さを知ってほしい。

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