藪の中に潜む真実

2023-12-07 15:53:00

李馨語  山東師範大学外国語学院  

 

『藪の中』は芥川龍之介の著名な短編小説で、侍の死という一つの事件について異なる視点から語られる物語である。木樵り、盗人、侍の妻、そして侍の亡霊という四人の主要な登場人物が一つの事件について語り、しかし語られる真実は一つとして一致しない。その結果、真実は藪の中に消え、事件は迷宮入りとなる。この物語には、二つの疑うべからざる事実かある。一つ目は侍が死んだこと。二つ目は侍の妻が盗人の多襄丸に犯されたことである。それ以外の記述は語り手によって異なり、その真実を知る由もない。これは芥川龍之介の懐疑主義を表している。

この物語で提起された第一の疑問は、人々が事実を歪曲する動機がしばしば自己利益に基づいているということ。

盗人、妻、侍はそれぞれ自分の罪を認めつつも、その動機については異なる主張をし、真実を隠していた。この三者は、それぞれ罪を犯したが、なぜか真実を隠し続けた。その理由は、当時の社会の倫理基準に完全に合致していたからだ。盗人はを殺したでも、正義感溢れる英雄になった。妻は自分の夫を殺したけど、夫の侮辱に堪えられない操の固い女になった。侍は自殺しながらも、妻に裏切られた哀れな武士となった。そもそも大切なのは、罪の犯し方ではなく、その後のイメージ形成とその利益の一致性である。また、同じ客観的な事実でも、人捉え方によって「真実」は人それぞれ異なるかもしれない。

真砂の侮辱された姿が何度も描かれ、彼女の視線一つによって盗人は彼女を奪い、侍を殺す決意をした。侍は彼女を見て裏切られたような気分になった。

三人とも、客観的な事実を隠すために嘘をついたのかもしれない。あるいは、三人とも本当のことを言っていて、自分たちの解釈が違うだけなのかもしれないが、そこまではわからない。

ここから導かれる第二の疑いは、「絶対的真実」など存在しないのではないかということである。もしかしたら、私たちが認識している世界は、私たちがどのように世界を解釈するかによって形成されているのかもしれない

誰もが自分の利益のために嘘をつき、真実を知られないようにする。本当は、真実が知られていないのではなく、そもそも真実なんて存在しないかもしれない。真実というものは、そもそも知られにくいものであるが、「ポスト真実の時代」においては、真実は二の次の地位に置かれる。

「ポスト真実」は、客観的事実といえる情報よりも感情に訴えかける情報の方が強く世論を動かしていくような情勢、世の流れを指す表現である。そのような社会において、単に真実か否かという価値観よりも、訴えてくるものがあるか否かという価値観が世論を形成しやすくなっている傾向が浮き彫りになりつつある。

ポスト真実の時代を生き延びるためには、情報を選別し、批判的に考え、自分の判断を貫くことが必要である。

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