仮面の下の自我

2023-12-07 16:21:00

李俊柯 四川軽化学大学

 

「私は仮面劇を演じているようだ。」三島由紀夫の小説『仮面の告白』で、主人公は自分の人生をこう締めくくった。これは小説の中の「私」と心の中でこの社会に認められていないものが闘っている矛盾であり、主流とは大きく異なるこの小説がこれから心に深い印象を残した。

この小説のストーリーは、「私」の成長を手がかりに、生まれてから青年時代に至るまでの物語だ。「私」は男性として、幼い頃から人並み外れた心理を持っていた。例えば、他の男性に恋情を抱き、女装に興味を示すなど。中学時代、男子生徒の近江が好きになった。大人になると、入隊を逃れるために仮病をして兵役を逃れた。普通の人のように見せるために、女の子園子と恋をしようとしたが、結局この恋は実らなかった。これが「私」の成長過程だ。

この小説の全体的な雰囲気は陰鬱で、いつも主人公の言いにくい心を見せている。最初、このような心に直面して、彼は抵抗を示すことなく、喜んで自分を受け入れた。他人の前で直接表現することさえできる。実は、私たちは生活の中で、普通の人とは違う心理や秘密を持っていることもあるが、他人を傷つけない限り、このような自分を喜んで受け入れることは間違いがない。ところから、「私」は勇敢であり、本当の自分になる勇気がある。自分が他人と少し違うことに気づいたら抵抗を示すのは、自分を愛していないことの表れだ。

しかし、大人になってから、「私」は現実逃避をした。これも仮面をかぶった始まりだった。兵役に直面して、「私」は逃避する考えが生まれ、仮病を通じて兵役を逃れた。その後、女性と恋をすることで、自分を普通の人のように見えるようになり、実際には本当の愛はない。「私」の目には、この社会に対抗することができないので、偽装を通じて自分を傷つけることを減らすしかない。しかし、この方法は自分にとって気弱であり、他人にとって利己的である。そして、小説の結末は悲惨で、「私」は自分の幸せを見つけることができない。

私たちのほとんどの人にとって、多かれ少なかれ無形の仮面をかぶっている。それは秘密、癖などかもしれない。小説の中の「私」のように、私たちは自分の違いを受け入れることを望んでいる一方で、社会からの非難に直面することを恐れている。だから、様々な原因で、私たちはそれらを偽装するようにしている。これも人間性の矛盾と自己のもがきを象徴している。

私たちは幸せを追求する能力を持つべきで、同時に自分を認識する必要がある。仮面をつけるのは、他人を傷つけるのではなく、自分を守るためだ。

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