共に過ごした貴重な歳月
70年前、当時の中国人民保衛世界和平大会主席だった郭沫若氏は、『人民中国』創刊号に寄せた「発刊のことば」の中で、この雑誌は、日本の人民に今日の中国の国家建設事業の実際の姿を伝え、これによって、読者が正確に迅速に、全面的な理解を得られるようにすることを趣旨としており、これは中日両国人民の友誼を促進するためにも、また極東の平和を擁護するためにも必要なことである――と述べた。光陰矢のごとし、いつの間にか『人民中国』日本語版は70歳の誕生日を迎えた。
70年の道のりを振り返ると、『人民中国』はさまざまなことを目撃してきた。現代化に向かった新中国の苦労の過程、中日関係が無から有へ、民から官へ、国交正常化から深化へと向かった紆余曲折の発展の歴史、また、中国人民の時代ごとの姿や奮闘の物語、さらには、数世代の対日広報従事者が日本人の同僚と共に仕事に励み、両国人民の友好、両国の人々の心の触れ合いを促進するためにささげた70年の心血……『人民中国』は紙媒体として、現代の中日関係の発展を推進する上で、独特かつ替えのきかないプラスの役割を果たしてきた。
中日交流の窓を開く
1950年代、冷戦情勢の変化に伴って、障害を乗り越え、交流を実現させたいという中日双方の願いが日に日に強くなっていた。このような背景の下、1953年6月に月刊雑誌の『人民中国』日本語版が誕生し、日本の人々が新中国の実際の姿を全面的に知るための「窓」を開いた。
この「窓」を通して、日本の読者はさまざまなこと――53年10月1日の国慶節に天安門広場で行われた「平和と建設」の大行進の盛大な光景、中国人の手による初めての揚子江鉄橋――武漢長江大橋、平均標高3000㍍以上に開通した西康・チベット自動車道路、62、63年に中日両国で相互に開催された貿易展覧会の盛況な様子、日本新劇団や松山バレエ団による訪中公演の感動的なシーンなど――を目にした。
これら中国発の新鮮な報道に興味を持った日本の各界の人々が次々と『人民中国』の読者になった。彼らは日本の各地で続々と「読者会」を発足し、『人民中国』の日本での知名度向上に一役を買った。まさに『人民中国』と日本の読者の共同の努力が、中日両国間の情報の伝達や人の往来がまだ不便だった時代に、交流の橋を架けたのである。
72年9月、中日の国交が正常化した。『人民中国』は同年11月号の本誌とふろくの別冊に、多数の素晴らしい文章と写真を掲載して、中日関係のこの重要な瞬間を記録した。今日になっても、この貴重な歴史的史料は依然として、当時の両国民が中日の平和友好を追求した揺るぎない初心と素晴らしい願いを感じさせてくれる。
中日友好の賛歌を歌う
国交正常化の実現は中日関係の新たなページを開いた。その後、中日両国は国家間の正常な往来を回復し、特に中国が改革開放をスタートしてからは、各方面の協力が積極的に展開され、「中日平和友好条約」の締結から「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する中日共同宣言」の発表まで、中日友好事業には新たなピークが訪れ続けた。
その時期の『人民中国』を開くと、中日友好をうたう報道が主旋律となっている。84年の3000人の日本青年の訪中から、翌年の「中日友好の船」に乗った500人の中国青年の訪日まで、『人民中国』は記者を派遣して取材し、臨場感あふれる報道で両国民の深い友情を記した。92年、明仁天皇(現上皇)が2000年にわたる中日交流史において天皇訪中の先駆けとなり、『人民中国』は多数の写真を掲載してこの中日友好の美談を報道した。また、この時期、中国社会の大きな変化や悠久の歴史文化、民俗風習が記者のレンズや文章を通して読者に紹介され、日本の人々の中国旅行ブームを引き起こした。この時期、『人民中国』の読者は次々とツアーを組んで北京を訪れ、本誌スタッフと活発な交流を行い、友情を深めた。一方、人民中国雑誌社も86年に東京支局を開設し、読者会との連絡を通して、愛読者とのつながりをいっそう強化した。双方が密接に交流し、手を携えて心を一つにしていた光景は、当時の健全な中日関係をリアルに反映していた。
中日関係の未来を見守る
今世紀に入ってから、中日双方は経済貿易協力、文化交流、人の往来などを全方位で展開し、それはこれまでになかった高みに達し、両国民はかつてないメリットを得た。しかし、世界の大変動期にあり、国際情勢が目まぐるしく変化する中、中日関係は起伏や紆余曲折を経て前進しながら、新旧の課題に向き合っている。
複雑な情勢にあっても、『人民中国』は人民友好の旗印を断固として高く掲げ、中国の立場を積極的に表明してきた。中日協力の成果を数え上げ、文明の学び合いを紹介し、災害時の両国の見守り合い、助け合いや、新型コロナウイルス流行時の双方による支援物資の贈り合いについて伝えるなど、『人民中国』は中日友好協力に関する数々の報道によって、両国関係への自信や、国民間の絆を強めてきた。
さらに、『人民中国』は10年近くにわたり、日本側パートナーと協力し、Panda杯全日本青年作文コンクールを開催し、数百人の受賞者の訪中を実現し、青年交流の伝統を新時代において大いに発揚した。また、年1回中日共催の「北京―東京フォーラム」に協力し、難関を乗り越え、中断することなく、中日両国の有識者が、この中日間で最大規模かつ最高レベルの公共外交(パブリック・ディプロマシー)・官民交流の場において、両国関係のさらなる発展のために知恵を出し、コンセンサスを集められるようにし、両国社会に新時代の要求に合致した中日関係の構築について考え、模索するよう呼び掛けてきた。
70年間にわたり、風雨を乗り越え、努力の末に成果を手にした。『人民中国』の70年は、終始日本に向けて等身大の中国を説明してきた70年であり、中日友好を願う人々が一致団結してきた70年であり、友情とウインウインをたたえながら両国民を温かく励ましてきた70年だった。歴史を未来につなぐため、私たちは各年の雑誌から一つずつ、計71の誌面を厳選した。そこには『人民中国』が70年間目撃してきた時代の大きな変化が凝縮されている。