日本新劇団の中国訪問公演を喜ぶ

2023-05-22 16:31:00

九月二十六日、周恩来総理は日本新劇団の公演を観たあと、日本の芸術家たちと記念撮影をおこなつた。
九月二十六日、周恩来総理は日本新劇団の公演を観たあと、日本の芸術家たちと記念撮影をおこなつた。

日本新劇団の中国訪問は、一行の人びとが汽車を下りたつたその日から北京(ペイチン)市民と中国文化·芸術·演劇界の人たちを大きな興奮のなかにつつみこんだ。

日本の新劇は、一九〇六年に坪內逍遙が「文芸協会」をつくつた時から数えて五十四年の歴史をもつているが、わたしたちの新劇は欧陽予倩(オウヤンユイチエン)さんらが一九〇七年に東京で「黒奴龥天録(アンクル·トムス·ケビン)」を公演した時から数えることになつているので、わたしたちの方がほんのすこしばかり年下の弟ということになる。わたしたちの新劇は、創始期において自国の伝統的な演劇の影響をもうけたとはいえ、やはり日本の新派劇や新劇から多くのものを学んだ。進歩的、革命的な日本の新劇人がかつてながいあいだ日本の民主主義と進歩のために苦しい困難な闘いをやつてきたとすれば、進歩的、革命的な中国の新劇人は、その新劇芸術をいつそう明確に反帝、反封建闘争の有力な武器としてきたといえよう。どんなにおおぜいの演劇人が闘いのなかで自己のすべて、生命までをもささげたことだろう。この意味からいつて、中日両国の新劇人は文字通り「兄たり難く弟たり難し」である。中国革命の勝利によつて、中国の新劇は人民政権のもとで順調な発展の条件にめぐまれているが、日本の新劇人は、アメリカ帝国主義と日本反動派の二重の圧迫のもとに、悪戦苦闘をつづけざるをえない状態におかれている。

わたしたちは、日本の演劇界が日本国民の反米愛国の正義の闘争のなかで、高度の革命的な情熱をあらわしているのをみて喜びにたえない。ここ数年らい、日本の演劇界では、いろんな演劇団体が力をあわせて、戦闘的な意義をもついくつかの演し物を何回か公演している。多くの進歩的な演劇人がぞくぞく街頭に出、工場、農村にはいり、火ともえる大衆闘争のなかにはいり、その芸術によつて日本国民の独立、民主、平和、中立のたたかいに奉仕している。岸反動政府が広はんな人民の反対をかえりみず、日米軍事同盟条約を調印したことによつて、おおぜいの演劇界の人びとがはげしい義憤にかりたてられ、とりわけ新劇界では白髮頭の老演劇家から若い演劇人にいたるまで、まつたく老幼男女の別なく、勇敢に戦闘の最前列に進み出た。日本の新劇界の今日の姿を見ていると、わたしたちの新劇界の昨日の姿を見ているような気がする。わたしたちは、自分でもこうした時代を闘いぬいて来ているので、日本の演劇界の人たちの気持は誰よりもよくわかる。わたしたちはどうしても、日本の演劇人が困難にうち勝つてゆくよう援助し、全力をあげてその正義の闘争を支持しなければならない。わたしたちは、日本の演劇界のすばらしい明日が、これまた、間もなくやつてくるであろうことを信じている。

日本の進歩的な演劇は、大きくのびてくるまでにいろいろと苦しい目にあつてきた。だが、久しい間にわたる困難な条件のなかでも、やはり、多くのすぐれた成果がかちとられている。日本の演劇人は、芸術的にひじように高い数多くの脚本を書いているし、演出、演技の面で多くの経験をつんでいる。北京での公演にあたつて、日本の演劇人は、こうした特にすぐれた点を相当集中的に表現した。そのために北京公演は、日本の新劇の多彩な小型展覧会の観を呈し、また日本国民の今日の生活と闘争をうつし出す恰好の鏡ともなつて、わたしたちが鑑賞し手本とするに足るものであつた。

こんど、日本訪中新劇団は三つの劇と三つのシユプレヒコールを公演した。三つの劇というのは「夕鶴」、「死んだ海」、「女の一生」で、それぞれに、きわめて新鮮な深い印象をあたえた。


「タ鶴」
「タ鶴」

「死んだ海」
「死んだ海」

「夕鶴」は開幕式の演しものとして上演された。これは民話に取材した木下順二さんの名作である。山本安英さんは十一年まえに、そのすぐれた演技によつて美しく純真なつうの姿を浮彫りにした。つうは、与ひようとの幸福な生活を商人の惣どらが陰険な手段で破壊するのを知つて憤りを感じる。他方、つうは、これまで自分を心底から可愛がつてくれていた与ひようが突然あんなにも冷たい態度に出るのをみると、ひじように失望し、またわけがわからなくなつて、近所の子供たちがつうをかこんで歌をうたつてもいつこうに苦悩は晴れない。けれどもつうは、夫の寝顔を見ているうちにまた自分の羽根をぎせいにして夫ののぞみをかなえようと決心する。こうした場面で山本安英は真に迫つた感動的な演技を見せてくれる。与ひようになつた桑山正一は利己的で愚鈍な農民をはつきりとえがき出しながらも、この若い農民に勤労者としての純朴さは失わさせていない。

わたしたちは、恩返しをする純真な鶴のつうに心から同情する。彼女は天上に住んでいたので、私有制度の社会で金銭がどんなに大きな魔力を発揮するかを知らない。「誰でもそれ(金銭)をもつ者は、彼の望むすべてのものを支配することができる」ということや、金銭が「経済的秩序や人倫的秩序の破壊者」であり、「徳ある人の心をまどわして、邪悪な行ないをさせる」(「資本論」第一篇第三章より引用)力をもつていることを知らないで、つうはただ、天真らんまんな愛情の幻想しかもたない。ここにつうの悲劇があつた。

作者はこの劇をつうじて資本主義社会にたいする見方を吐露しているし、またしらずしらずのうちに暗い気分をただよわさせているが、子供たちの純真なたましいにはやはりひじように大きな信賴をよせている。「夕鶴」の演出は、名演出家の故岡倉士朗さんの傑作で、全体にわたつて簡潔、素朴であり、日本の民族的風格にとんでいる。岡倉さんは四年前に日本新劇代表団とともに中国を訪問されたが、不幸にも帰国された翌年になくなられた。この劇を中国の舞台で見ていただけなかつたことは、かえすがえすも残念である。

二ばん目の演しものは、日本新劇団団長の村山知義さんが特にこんどの訪中公演のために書かれた「死んだ海」である。この劇は日本の千葉県銚子に近いある漁村を舞台にしている。ここの漁民たちはもともと鰯漁業で生計をたてていたが、岸反動政府がここをアメリカ帝国主義の軍事基地として提供してからは、海岸にはずらりと高射砲がならび、しよつちゆう実弾射撃をやるので鰯は逃げてしまう。漁獲高がへつたうえに、漁業資本家が漁民への補償金を横取りしてしまうので、貧乏な漁民たちはいよいよ食つてゆけなくなつて漁業資本家に反抗する運動をまきおこす。そしてこの運動はのちに偉大な反米愛国闘争にむすびつき、その一部としてもりあがつてゆく。

「死んだ海」は強烈な現実的意義をもつた劇で、映画と演劇を結びつける手法がとりいれてあるために、全体から局部にいたるまで自在にえがき出され、規模が大きくなつている。出演者の一人一人から革命的な感情があふれ出ていた。かつて日本で関漢卿(クワンハンチン)を演じた新劇界のベテラン瀧沢修は、共産党員の矢島新蔵になつてさすがに余裕のある演技を見せている。岸輝子の澄川お吉、清水将夫の船主神谷孫十郞、永田靖の笹島、清洲澄子の福子などいずれも老練な演技である。下元勉の金沢敏夫や大家道子の君子などもひじように清新はつらつとしている。


「女の一生」
「女の一生」

「女の一生」で布引けいになつた杉村春子は、十六のとき堤家に逃げこんでそこの「小間使い」となり、それから「若奥様」、「奥様」となり、最後に、六十の坂をこえ戦火に焼け出された廃屋に一人ぼつちで住むそうした女の一生を演じる。布引けいの役は、俳優がその多面的な才能を発揮するのに得な役柄で、杉村春子はこの役をものの見事に演じている。

わたしたちはまた、けいの姑の堤倭文子を演じる北城真記子にも敬服のほかない。かの女の演技はあんなにも自然で、落着きがあり、少しもけれん味がない。清水将夫の章介も老成円熟の演技である。田代信子の総子や文野明子の知栄も見事だつた。

この劇は、プロローグとエピローグをのぞき、あとは五幕とも全部堤家のおなじ応接間を使つている。だがこの同じ部屋は、時代の違い、飾りつけの違い、人物の扮装の変化などによつて、まるで違つた気分をかもし出す。最後に、布引けいの夫がたまたま春分の日にやつてきて、「鬼は外、福は內」と言いながら豆をまく場面があるが、ここにも、この死にのぞんだ階級の没落の雰囲気が表現されていた。

三つのシユプレヒコールもひじようによかつた。一つは三池炭鉱のストをえがき、一つは沖繩人民の反米闘争をえがき、一つは東京を舞台に日米「安保条約」反対の闘争を記録したものである。この三つのシユプレヒコールは、思想性、芸術性ともにしつかりしている。シユプレヒコールは第一次大戦後ソ連からドイツにはいつた朗読と合唱を主とした時局劇である。「日米『安保条約』反対闘争の記録」では、社会の各階層をつらねた反米、反岸の統一戦線の展開をみごとに表現し、幻燈や映画を利用するだけでなく、最後に出演者たちは二手に分かれて舞台をおり、観客と一つにとけあつて、もりあがる革命的感情を表現した。

日本新劇団の北京公演の成功を祝うために、わたしはつぎに、二、三の点を挙げ、それでもつて祝意をあらわすことにしたい。

(一)こんどの公演の演しものはいずれも直接、間接に反帝の意義をもち、芸術と政治の結合がなしとげられている。この両者をいつでもしつかりと結びつけ、新劇を平和、独立、民主、中立の新日本をめざすたたかいに奉仕させてゆくかぎり、日本の新劇はかならずやいつそう大きな光彩を放つにちがいない。

(二)こんどの日本訪中新劇団は、歴史も芸術的風格もそれぞれにことなる五つの劇団からなる団体であるが、この人たちが中国の土を踏んでいらいわたしたちに与えた印象は、まるで一つの団体もしくは一人の人間のように、分けへだてなくたがいに助け合い、協力し合うそれであつた。これはわたしたちがぜひとも学ばなければならない点で、たしかに、わたしたちは、さらに団結をかため、闘つてこそはじめて政治の上で、芸術の上で勝利をかちとることができるのである。

(三)新劇団の人たちは、首都劇場で舞台稽古をはじめたその日から最後までずつと芸術活動にたいする厳粛さと真剣さをしめし、いつそう有力な表現をもとめて、技術のうえのどんな技葉末節をもおろそかにしなかつた。わたしたちはこのことからもひじように強い感銘をうけた。わたしたちがたえず演劇の思想的、芸術的水準の向上につとめてこそはじめて、わたしたちの作品は、広はんな大衆を獲得し、大きな社会的役割を発揮することができるのである。わたしたちはぜひともいつそうよく機会をつかんで日本の新劇の人たちかち学ばなければならない。わたしたちはかならずともに前進し、光明をめざして闘う兄弟の関係を強めなければならない。


シユプレヒコール「三池炭鉱」
シユプレヒコール「三池炭鉱」

最後に、新劇にたずさわる者としてわたしは、こんどの公演を皮切りに、中日新劇界のいつそうの連係を強め、それとともに、わたしたちの努力をつうじて、わたしたちが中日両国人民の団結と友好のために、アジアと世界の恒久平和と社会進歩をかちとるために、すばらしい貢献をするようになることを衷心からのぞむ次第である。

テン·ハン=中国戯劇家協会主席)

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